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「男だったら出世する名前」

短大に通っていた20歳の時だったと思う。

地元のデパートへ出かけたときのこと。何か母に頼まれた用事だったかと思う。

デパートと言ってもスーパーマーケットをちょっと上品にしたくらいの、田舎町の老舗。駅から遠く建物も古びていた。駅前の新しいデパートとはまるで空気感が違っていた。

わたしは占いの出店を出しているおばさんに呼び止められた。

「あなた!ちょっと時間ある?座っていきなさいよ」

今ならちょっと目礼して「興味ありません」と無言でお答えするだろうけど、まだ世間知らずで、律儀で、気弱で、田舎育ち故に声をかけてきた相手を無視することができなかった。

「お金は要らないわよ。興味のある人だから呼んだのよ」

ビクビクしてるのが伝わったのだろうか、占いのおばさんはニッコリ笑って紙と鉛筆を差し出した。名前を書けという。

わたしは素直に名前を差し出した。

「あら?いいじゃないの」

人生で初めて名前を褒められた。ちょっと衝撃だった。

姓はありふれたもので、名の方もありふれたものだ。変わっているのは漢字1文字で無理矢理読ませていることくらい。父の自己満足の産物だった。

この無理矢理の1文字でわたしは苦労していた。初対面で読んでもらったことがない。その1文字には普通後ろに「美」とか「実」がつくのだが、付いていなくてしかも呼び方はありふれていたから「美しいがない方の!」と呼ばれることもあった。容姿コンプレックスの塊のようだった若い頃、それは丸太で殴られるように痛かった。

覚えている限り、初対面で名前を読んでくれたのは高校の時の教頭先生ただ一人。博識な人だった。小説宮本武蔵に出てくる置屋の女将が同じ名前なのだと教えてくれた。ちっとも嬉しくなかった。


しばらく紙を見つめていたおばさんは、やおら数字を書き入れ始めた。そしてそれを差し出して、

「いい名前なんだけど…でもね…」

とおどおどしているわたしを見る。なんだ褒めてくれたと思ったのにそうじゃないのか。あからさまに顔に出ていたのか、おばさんは急いで言った。

「男だったら出世する、いい画数なのにね」「女性としては気が強くて少し苦労するかもしれないわ」

おばさんにお礼を言って、その場を離れた。急いで買い物を済ませなければとかなんとか嘘をついた。これ以上名前について不幸なことは聞きたくなかった。わたしは人見知りだし自分に自信なんて無かったし、忘れたかったけれど、おばさんの言葉は呪いのように記憶に貼りついた。


呪いが発揮されたのは大学のサークルに入ってからだ。

わたしは日本文学を勉強したい夢を捨てきれず、受験をしなおして上京し大学生になった。授業は知的興奮の毎日で楽しかったが、サークルにも夢中になった。高校から夢中になっていたマンドリンのサークルで、初めて主役のマンドリンパートに入ったからだ。高校時代が楽しくなかったわけじゃ無いけど少々不本意な気持ちでギターを担当していたから。

知識はすでにあったからどんどん上達した。練習に夢中になれば先輩は可愛がってくれる。自己肯定感の低い人生を送ってきたので嬉しくてまた努力した。仲間にも恵まれて毎日が楽しかった。

同期も尊敬の眼差しで見てくれる。でも学年が上がりパートのリーダー候補になったことで立場は変わった。

俺たちの上に女が立つのか。同期の男子の視線が変わったことには気づいたけれど、より練習に精進すれば認めてくれるだろうと思い込んでいた。

高校も短大も圧倒的に女子が多い環境で音楽を続けていたから、経験したことがなかったのだ。女への嫉妬、侮蔑、差別意識が相手の努力なんかより先に立つタイプの男がいること。そういう男は割と多いということ。

四面楚歌になった時、占いのことを思い出した。

そして置かれている状況を名前のせいにした。楽器の上達によって、過去から決別したように自信たっぷりだったわたしは努力を否定されたことに傷ついて、相手の傷には気づかなかった。

もちろん女であることを理由に陰口を叩き、意味なく反抗して人の和を乱すことはどんな社会でも許されないことだ。けれどもわたしは更に強くなることでそれを押さえ込もうとした。彼らにとっては気の強いだけの嫌なヤツに見えていたんだろう。

社会人になって大きなプロジェクトを任されることになった時も、同じような目にあった。面と向かってプロジェクトの失敗を宣言されたことすらある。その時も結果で黙らせてやる、そう誓って孤軍奮闘した。

「男だったら出世する…」

あの呪いはずっと続いていて、これも名前のせいなのかと自分を顧みなかった。ついでに「ガラスの天井」も呪っていた。呪えば呪うほど、自分に跳ね返ってくるのに。

そうじゃない。他人との距離感の取り方や、相手を認める度量、気遣いや、ありがとうの言葉、なにより笑顔がわたしには足りなかった。男だったら馬鹿にされないのにと、いつもピリピリして弱みを見せたらお終いという顔をしていたから、誰もついてこなかったのに。

女の場合、結婚によって名前の画数が変わることが多い。当たり前だが、それでもわたしの状況は変わらずに時は流れ、孤軍奮闘に疲れ、心を病んだ。


それから10年以上が経った。その間苦しい闘病生活があった。精神的に死にかけたけれど、なんとか生きている。メンタルクリニックのドクターとの会話を続けることで、長い時間をかけて自分を赦すことを覚えた。薬の力も偉大で、身体の緊張がほぐれることで心もゆるやかにほぐれて来た。

昔の自分からは想像もつかないほど、いろんなことに寛容になったし、結論を急がなくなった。

せっかく時間をかけて取り戻した心に、無駄な汗をかかせたくない。


出世もしなかったし女であることで苦労もした。占い師のおばさんは本物だったのかもしれない。

でも名前のせいかと聞かれたら、違うと答えると思う。いろんな道があった中で、その時その時にわたしが選んだ結果だから。病気のことは想定外だったけれど、そのおかげでラクになれたのも事実。病気と引き換えに名前の呪いはほぼ解けた。




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