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Vol.4 伝承医療ヘラヴェダガマで、自分の物差しをへし折られる経験をどうぞ~ヘラヴェダガマおぼえがき その1~

今回から6回にわたり、
スリランカ土着の伝承医療「ヘラヴェダガマ」について語ります。
初回は、土着のものに出合った時に起こる、
自分の当たり前を無効にさせられる経験から。

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さき: バビンのvol.1-3を読んで思ったんだけど、私の話し方がさ、たまちゃんの言ったことに対して、「いや、こういう意見もありますよ、こういう見方もありますよ」って、まるで反対意見を述べるかのようだなあ!と。最後に「でも私も同意見なんだけどね」ときて、つまりは、最初っからたまちゃんと同じ意見なんだけど、なんか、この反対意見の部分、わたし何で言ってるんだろう…?いらないじゃん…?って素朴に思ったの。

たま: それってサービス精神なんじゃない?あえていろんな見方を提示するっていう。

さき: さまざまな考え方があるのを認めたいというのと、似たような考え方をする人たちのなれ合いのような狭い話になりたくない、っていう両方から来ていると思うんだよね。

でもさ、自分が信じていること、考えていること以外に、そんなにエネルギーを割く必要あるかな?って改めて思って。
自分で自分の信念を否定しているような振る舞いが、我ながら目に余ったわ。

たま: 言い方の順番を変えて、先に肯定しておいたらいいんじゃない?
でも確かに、「わたしたちはこう!」って排他的な会話をしてる雰囲気は嫌だよね。

さき: うん、いつもいろんな考え方や価値観を認めたいなとか、認めなきゃとか、認めるべきだとか。

今の言葉でいうとダイバーシティー(多様性)の受容というのかな、そこは大切にしたいと思ってる。でもその一方で、伝承医療の深いところにいる人たちと接していてほっとさせられるのは、彼らの、自分の価値観に対する揺らぎのなさなのかもって思ったんだよね。

本の『スリランカに学ぶアーユルヴェーダのある暮らし』※の中でも、伝承医療のヘラヴェダガマ※のことが書かれているよね?この取材、どうだった?

※『スリランカに学ぶアーユルヴェーダのある暮らし』
エスプレ(現在は残念ながら絶版)
※ヘラウェダガマ:スリランカ土着の世襲制の伝承医療。
脈診や植物を用いた治療法はアーユルヴェーダに近しいが、診立ての仕方や治療方法は属人的であり、体系化されていない。

たま: 一言でいうと、びっくりすることが多かった。

さき: すごく特殊だもんね。
ヘラヴェダガマ医の家に生まれた者だけが代々受け継いでいく医療で、そういう設定を良しとしている世界でしょ。

たま: 面白いよね。取材したのがもう10年も前のことなんだけど、事前にヘラヴェダガマについて調べたくても、当時は情報がなくて。
検索しても全然出てこないし、文献もない、紹介してくれた人も、ざっくりしたこと以外はわからないとのことで、現地で先生たちに直接話を聞いてから、詳しい中身を考えていくしかないっていう状況だったの。

さき: そうなんだね。行ってみて想像していたのと違う部分はあった?

たま: 想像できるほど知らなかったとはいえ、一番想定と違ったのは、話が全然かみ合わないこと(笑)
自分が、近代文明に毒された単一の価値観しかない人間だったってことに気づかされて、愕然としたよ。

さき: あはは!それ、面白いね!
こちらが取材として投げかけたことを受けとってくれないってこと?

たま: そうそうそう。たとえば「どうしてヘラヴェダガマの医者になったんですか?」って聞いても、「そういう運命だったから」で終わっちゃうの。
続きを待ってても、出てこなくて、「え?ほんとにそれだけ?」っていう。
むこうからすると、「カルマなんだから、それ以上理由なんてないよ。何を聞いてるんだ?」ってことみたいで。

こちらからいろいろ質問するんだけど、あまりに話がかみ合わないから、本として成り立つのかな?って不安がよぎったりもしたの。でも、だんだん、「これって、わたしの質問の仕方がおかしいんだな」って気づいたの。

結局、私が因果関係に縛られすぎていたんだよね。
こうなっているのには理由があるはずだ、っていう前提で質問してしまっていた。
でも、理由なんてない世界もあるんだよね。
もっと運命論的にすべてが決まっていく世界観で生きている人たちもいる。
そのことを目の当たりにしたインパクトは大きかったなあ。

さきちゃんはスリランカやインドの先生と接していて、同じような経験したことある?

さき: めちゃめちゃあるよ!
おそらく、伝承医療の人たちに「なんでその仕事をしているんですか?」って聞くことは、「なんで人間として存在しているんですか?」って聞くのと同じくらい、彼らにとっては違和感がある問いなんだろうね。
近代的=西洋的な思考法って、私たちが敢えてインストールしてきたものだから、ちょっとしたきっかけがあると、私も「あれ?」って、ハッとする。

たま: 「質問の意味がわかりません」って、何度先生たちから言われたことか(笑)

さき: それってすごい経験だよね。
梅村絢美さんというヘラヴェダガマの研究者の『沈黙の医療』という本にも
同じようなエピソードがあって。
彼女は社会人類学者として、ヘラヴェダガマの先生たちを観察を続けるんだけど、先生たちに質問しても明確な答えがかえってこないことに、最初ははてなマークの状態だったの。
でも途中で、「なるほど、この人たちが答えてくれない理由は不義理だからでも、表現しきれないからでもなくて、語らないということが、彼らの医療に対するリスペクトなんだ」と気づくんだよね。
その気づくってことが、まずとても難しいだと思うんだよね。

たま: 無意識のうちに自分の物差しを取り出して計ってるの。
で、相手と使ってる物差しが違うことに気づかずに、「なんか寸法が合わない」って状態になってるの。
あるいは、どうやら相手は違う物差しを使っているらしい、ということがわかっても、理解が追い付かないんだよね。

さき: 嫌でも自分の物差しを無効にさせられるというか、へし折られるような経験がガツガツとあるよね、伝承医療は。
むこうはへし折ってるつもりはもちろんないんだけど。(つづく)

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まだまだ止まらないヘラヴェダガマトーク。
Vol.5では、ヘラヴェダガマならではの“人を診る”ことや”宇宙の契約”として医師になることについて、暑苦しいくらい熱く語ります。

photo by Satoshi Osaki

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