場面緘黙の弟がこの度めでたく就職した

場面緘黙の弟がこの度めでたく就職した。
末弟は今年で21歳になる。次女の私とは9歳差だ。
我が家は4人きょうだいで、長女と末弟の年齢差は12歳差である。
我が家は母子家庭だ。父親は弟が1歳くらいのときに首を吊って死んだ。
母は父親が死ぬまでずっと専業主婦だった。
いきなり一家の大黒柱がいなくなり、4人も子供を抱えた母親は、夜な夜な華屋与兵衛でバイトをしながら介護の仕事を始めた。
それからとんとんと国家資格を取得し、今や三大福祉士持ち。相談支援事業所の所長をしているのが母親である。立派だと思う。誇りに思う。

話がずれた。とにかく我が家の末弟は場面緘黙だった。けれども母親は育児と仕事に追われ、弟を丁寧に療育することはなかなか難しかった。
小学生のとき、運動会などで弟は何もできなかった。演劇発表会でもそうだ。突っ立って晒し者になるしかなかった。
作文などは絶対に書かなかった。絶対に絶対に書かなかった。宿題のプリントもそうだ。まともに書いて提出できたためしがない。
小学4年生で初めてみんなの前で徒競走を走った。たったの一回。されど一回。みんなで跳び上がって喜んだ。嬉しかった。弟が公衆の面前で何かをしたという事実がとても嬉しかった。

おそらく4人きょうだいの中で弟は一番頭がいい。時々ものすごく真理を突いた発言をする。提出物さえちゃんとできていれば、筆記試験をクリアさえできれば、弟は誰よりも良い学校に行けたのではないかと思う。
見た目は高身長でぱっちり二重でイケメンの部類だ。スタイルもいい。姉の欲目をなしにしても、イケメンだと思う。
場面緘黙でさえなければ、弟はそこそこ楽しく人生を送れたはずだ。
でも弟は場面緘黙だった。父親が死んで、4人も子供がいて、うちにはあまりお金もない。

(自治体からもらえる助成金は満額でもらっていたようだし、一軒家のローンは父親が死亡したときに保険だか相続廃棄だかで消滅した。家賃が発生しなかったので、我が家は母子家庭で4人きょうだいでもそこそこ普通の暮らしができた。これはやはり母親の手腕である。短大を首席で卒業するくらい賢いのが我が家の母親で不幸中の幸いであった。)

場面緘黙の弟は中学を卒業してからサポート校に入った。サポート校を卒業したあとは、ファミレスで表に出ない厨房での皿洗いのアルバイトをしながら実家でパラサイトシングルになった。
でも……コロナだ。コロナがやってきて、すべてを変えた。
コロナで弟はバイトをクビになった。ちなみにバイト先ではいじめもあったらしい。弟はホールでの接客業務ができない。なのに人手が足りないときにホールでオーダーを取れと、同世代の先輩に無茶ぶりされたらしい。それが上手くできず、嫌味を言われるようになったらしい。
そこのオーナーは弟の特性についてよくよく理解をしてくれていた人だったのに。給料の明細には必ず「次は〇〇をできるようになろう!」など励ましのメッセージをくれていたのに。

コロナといじめで弟はバイトを続けられなくなった。それからずっとニートだった。弟と3歳しか年が離れていない三女は、母や長女や次女の私が何もしないので何度もキレていた。
自分だって大学を中退して、専門学校に入り直したのに。就活を失敗したのに。派遣で働いていて全然上手く行ってないのに。
ニートの弟は甘やかされている。ずるい。どうして誰も何もしないのか。ずるい。自分は失敗しても頑張らなければいけないのに、弟はなぜ頑張らなくてもいいのか。
三女はずっと不平等だと口にしていた。
私も姉も実家を出てしまっていたので、自分たちのことに精一杯だったので、妹や弟のことは母親に任せきりで何もできなかった。
というよりも、社会人になるまでずっと自分を犠牲にして家に尽くしてきたのだから、そろそろ自分の人生を始めてもいいじゃないか、とすら思っていた。
そろそろ妹や弟のお守りから解放されてもいいんじゃないか、と。少なくとも私はそう思っていた。姉の思惑は知らないけれど、私は実家を出てからきょうだいとほとんど連絡を取らなくなった。
結婚した今も母親と姉としかラインを交換していない。だってもういいじゃないか。自分の人生を望んだっていいじゃないか。

でもずっと弟のことは気がかりだった。弟がずっとニートのままなら、母親の死後は福祉従事者である私が後見人、キーパーソンになるんだろうな、とうっすら思っていたし、その覚悟もしている。私まだ30歳なのにね。
でも転機が訪れた。弟の就職先が見つかったのである。

弟はバイトを辞めてから児童館でボランティアをするようになっていた。定期的に通っていた。そこで他児童館の副施設長と出会ったそうだ。
その副施設長は「うちで働かない?」と声をかけてくれた。もし場面緘黙で履歴書を書けないのなら面接の場で全部書いてあげるよ、とまで言ってくれた。
ねえ、こんなことってあるんだろうか。
ずっと諦めていたのにな。弟は将来生活保護になるんだと思っていたのにな。誰も助けてくれないと思っていたのにな。
そんなにも弟への配慮をしてくれる大人がいたんだと泣いてしまった。

副施設長は言った通りにしてくれた。弟は採用されて2024年の3月から児童館で非正規職員として働き始めた。今は月80時間で働いているが、ゆくゆくは社保に加入できる月120時間にしてもいいと児童館側は言ってくれている。幸い、同僚は良い人たちばかりで、弟は勤務時間を増やしたいと言っているらしい。
我が家は一軒家を所持している。ローンはない。つまり家賃がない。家賃がなければ、月120時間の労働でも将来的にはじゅうぶん暮らしていける。

弟がずっとニートだったら、自分たちで面倒を見るしかないと思って生きてきた。それで配偶者に見限られても仕方ないと思っていた。我が家の事情に他人を巻き込むわけにはいかないから。そんなのは金銭的にとても無理だと捨てられるかもしれない。そんなふうにもう怯えなくていい。

母親の死後、薄給だろうがなんだろうか弟の援助をしなくてはいけないんだろうとか、共倒れになるかもしれないなとか、早く生活保護を申請すればいいのにとか、4人も子供を生んで馬鹿じゃないの、とか、私たちがこんなにも苦労をするのは両親のせいだ、とか。

もう考えなくてもいいと思ったら、涙が止まらなくて、蒼穹が目に染みる。


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