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掌編小説、随筆

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掌編小説と随筆をまとめています。
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2022年8月の記事一覧

感情の記憶

 私はふと思った。
 思い出せない記憶はどこにあるのだろうか、と。

 しかし、簡単に理解した。
 感情に記憶されているんだ、と。

 今の私の感情のどこかに、昔の記憶が残されているのだ。それは癖となり、トラウマとなり、考えの基盤となり、私を作り上げている。

 ここでまた、ふと思う。
 思い出せない記憶によって、これから先の人生は作られていくのか。癖、トラウマ、考えの基盤……それらによって作られ

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立秋

立秋

 立秋の侯、夏雲の上にさらりと並ぶ薄い雲が、暦の上では秋だと知らせる。涼風至、残暑見舞い、何処からか涼しい風が夏の終わりの便りを寄越す。蜻蛉は秋の初めの涼しい風を知る。そうして高い秋空へ、その透明の羽を、すらりすらりと青の中に泳がせる。秋の始まりを讃え、喜びに舞う。
 秋桜の肩よく並べて涼風にゆらりゆらりと揺れ動くさまは、仲睦まじく踊る様也。稲穂は育ちて暫くもすれば、頭を垂れて黄金の原が姿を現す。

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重陽と菊

重陽と菊

 九月八日。白露に濡れる草花の光輝く朝、初老の男は起きて、今日一日を迎えることが出来たのに感謝を捧げ、布団から出た。今日は何をするのかを既に決めている。あの日を祝うための下準備をする日。それを遂行すべく彼は素早く洗面を済ませ、服を着替えて外へ出た。
 天高く、そして青く、そこに薄らとした幾筋もの雲が空に羽衣を掛けているかのように広がっている。陽は燦々と輝いていた。見慣れた田園風景を抜け、花屋へと向

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