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虹の庭

虹の庭①

さらに神はいわれた。
「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と
代々とこしえに私が立てた契約のしるしはこれである。
すなわち、私は雲の中に私の虹を置く。
これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる」
                   (創世記9章12-13)


第一章

 私の人生は虹につきまとわれている。まだ長すぎはしないが、決して短くもないこの生涯の中で、一番多く見たのが虹の夢だ。記憶しているもっとも古い夢が虹の夢なら、記憶しているもっとも新しい夢もまた虹の夢だ。その虹は、空に弧を描くいわゆる虹であることもあれば、虹を象徴するただの色であることも多い。なぜこんなにもたくさん虹の夢を見るのだろう。それは何かを暗示するかのごとく強烈に私をここではないどこかへと引き戻す。しかしそんな夢も、時間の経過とともに詳細が薄れ、消えてしまうように仕向けられることもしばしばだ。たえず駆け引きが行われ、それに翻弄されて、私は奴隷のようにまた夢を売り渡す。
そうしていつも新しいふりをした一日が始まる。遠い宇宙の彼方の何処かに、自分の本性を置き去りにして。

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 アラームをセットしていなかったにもかかわらず、いつもの習慣でココは朝七時半に目を覚ました。
 (あぁ、もう会社には行かないんだ……)
安堵の中でそう呟き、再び深い眠りに落ちた。

 次に目が覚めた時は正午を少し回っていた。リモコンでヒーターのスイッチを入れながら、今しがたまで見ていた夢を思い出す。ココは池のほとりを歩いていた。しばらく行くと1mはあろうかという大きな蓮の花が神々しいまでのオーラを放っている。見たこともない大きさに加え、色は七色で、さざ波が立つように揺らめいている。その魅惑的な色に圧倒され、茫然とそこに佇んでいるという夢。最近はなぜか水の夢をよく見る。確か十数年前にも同じように水の夢をよく見ていた時期があった。少しの間、ベッドの中でココはそうしてうつらうつらしていたが、お腹もすいていたので起きることにした。
 まだ半分寝ぼけた意識で台所へ行き、硬度300以上あるミネラルウォーターを火にかける。底冷えのする冬の起き抜けの身体には、グラグラと湧き立ての熱湯で淹れる紅茶がいい。白龍のような湯気を立ち上らせ、沸点に達して完全に蘇生した生き物のような液体が、透明のティーポットの底に横たわる乾いた茶葉に勢いよく注がれると、茶葉は濁流に飲み込まれてたちどころに息を吹き返し、その葉が生涯蓄えてきた記憶のすべてを芳香とともに立ち上らせる。
 覚醒の連鎖は続く。
 甦った茶葉の香りは、人の記憶の覚醒を促す。一つひとつの動作や選択が、ごく僅かな違いを生み出す。宇宙はこうしたあらゆるレベルの無数の連鎖で動いている。

 ココはトーストを焼こうとしてふと思い出す。
 (……パンがなかったんだっけ)
昨日の朝、最後の一切れをオーブントースターに入れながら、帰りにパンを買わなくちゃ、と思ったことを思い出した。ところが昨夜は帰宅が遅くなり、そんなことはすっかり忘れてしまっていたのだ。
 ココはティーポットの紅茶をぼんやりと見つめる。
 (たまには外に行ってみようか……)
 そう考えながらカップに多めのミルクと紅茶を注ぎ、ゆっくり口に含む。目を閉じ、液体がのどを通過し、食道から胃まで流れ落ちていく間に、ココの記憶はユーラシア大陸を超えた西側にある島国に接続する。彼女が硬水で紅茶を淹れる理由はここにある。記憶にアクセスするために、その土地の水質に合わせる必要があるからだ。
 この小さな理想の追求と、偶然を装いもたらされる思いつきは、日常生活に変則的な出来事を誘引する。それはさらなる連鎖を呼び、最初の瞬間には思いもかけなかったことが起こる因子を無限に拡大させる。あらゆる瞬間は、あらゆる可能性を秘めた空白の隙間を持つ。映像の一コマ一コマの間に隙間があるのと同じように。そしてその空白は目に映る現実よりも果てしなく大きい。隙間の存在に気づかないためにそれがいかに巨大であるかを知る者は少ないが、それを地上の10%の生命体が知ったなら、世界は一変するだろう。

 紅茶を半分ほど飲んでカップを置き、ココは洗面所へ向かう。顔を洗い、歯を磨く。水は脳と心に束の間のショックをもたらすほど冷たいが、その感覚が通り過ぎると、まだ意識はまどろんでいる。
すぐに帰ってくるつもりでココは財布と部屋の鍵だけをポケットに入れて部屋を出る。マンションのエントランスにあるポストをのぞいてみると朝刊、美容室や新築マンションのチラシと一緒に定期購読しているアート系の雑誌が投げ込まれていた。ココはチラシをポスト脇に備え付けられているゴミ箱に捨て、エントランスを抜けて外に出た。

 ココは新聞をほとんど読まなかった。なぜだかわからないが子供のころから新聞をほとんど読んだことがない。「新聞くらい読みなさい」と親に言われることはしばしばあったが、なぜか読む気が起きなかった。昨日まで広告代理店の制作室でコピーライターをしていた彼女は、仕事柄、新聞広告や折り込みチラシも手がけていたため新聞を取ってはいたが、ほとんど見たためしがない。朝に晩に届けられる灰色の紙の中に、興味を引くニュースはあまりなかったし、何より自分が制作した広告を見るのも好きではなかった。それでもまだ駆け出しの頃は、自分が書いたコピーが活字になるのを見る喜びもあったはずだが、いまや活字には何の感慨もなく、掲載された広告を見ればそれが下版されるまでの数々の苦労を思い出す上、万が一そこに校正ミスでも見つけようものなら、その後のさらなる地獄が容易に想像されて、生きた心地がしない。できることなら掲載誌は見たくない。

 では一体何がこの灰色の紙に載っていたら一日が劇的に変わるのだろう。時々ココはそんなことを夢想する。魔法を探しているのだ。現実が夢と交差するような魔法を。毎日手にする一番大きなサイズの誌面に、たとえば「瞬間移動を可能にする鉱物が発見される」とか「青空にオーロラが出現」とか、あるいは「宇宙の叡智にアクセスする方法」……毎日そんな記事が掲載されているなら、朝一番で新聞のすべてのページに目を通すに違いない。
 殺人、詐欺、隠蔽、経済摩擦、ウィルス、遺伝子操作……。隣人を愛することも、紛争をなくすことも、世界が一つになることも永遠にできそうもないこの世にも、まだどこかに可能性は残されているのだと信じたい。
しかしそれはただの夢で、もちろんそんな奇蹟は起こらない。新聞はわざわざ広げるまでもなく、昨日の記事と今日の記事にさしたる違いはなく、こだまのように繰り返される憂鬱な内容に頭も心も麻痺させられていく。だから彼女は新聞を読まなかった。

 ココは駅まで出るのに、いつもは使わない細い路地を歩いていた。歩行者だけが通り抜けできる狭い小路を歩いていくと、見たことのない看板が目に入った。前まで行くと、ガラス張りのショーウィンドーには大きな茶缶がいくつも並び、その前にはティーポットやティーカップ、ティーストレーナーといった茶道具がディスプレイされている。紅茶好きのココにとってはそれだけで十分魅惑的だったが、彼女をさらに釘付けにしたのは一緒に置かれているものとしては少し違和感を覚える、額装された小さな絵だった。小さな池に虹がかかっている。
 (これ……)
 彼女はふいに子供の頃に見た夢を思い出す。それは恐らくココが記憶している中でも最も古い夢で、当時住んでいた家の庭に小さな池があり、そこにきれいな虹がかかっているという夢だった。すっかり記憶の彼方に消え去り、ほとんど思い出したこともなかった夢をなぜ今、唐突に思い出したのだろう。

 小さな黒い看板には、かろうじて読み取れる程度の消えかかった小さな文字で店の名前が書かれていた。

 『虹の庭』

 (虹の庭……)
 次の瞬間ココはショーウィンドー脇の扉を恐る恐る開けていた。キーッと木のきしむ音と共に、内側にかけられていたドアチャイムが、その古びた扉の音に反して……いやむしろふさわしいというべきか、カランカランと軽やかに、七つも八つもの違う音色を響かせた。かすかな甘い花のような、高貴でありながらも温かみのある豊穣な香りが鼻孔をかすめる。床にはショーウィンドーの裏側にはめ込まれていたステンドグラスの光が反射して、幾何学模様を揺らめかせている。正面のカウンターには古めかしい秤やテイスティング用の茶器、お茶を入れる際に使う茶杓などが置かれ、両側の壁にはぎっしりと天井の高さまで茶缶が並べられている。すべて種類の違う茶葉だとしたら、かなり本格的な専門店のようだ。
 (こんなお店ができるっていうのに何の広告も打たなかったのかしら?)
 ココは並んだ茶缶をよく見るために棚に近寄った。缶には見たことのないロゴマークと何か小さな記号のようなものが書かれているが、読むことはできない。
 (どこの紅茶かな?見たことないわ)
そのまま棚の中央の一番目立つようにディスプレイされているコーナーまで歩いていく。その一角はかなり大きくスペースが割かれ、ほかの棚とは違いがわかるように仕切りが設けられていている。並んでいる茶缶は入口付近で見た茶缶と相違はないが、ロゴマークの下の文字が読めた。
(Castleton SFTGFOP、Jungpana FTGOP、Lingia FTGFOP、Namring SFTGFOP……ダージリン……茶園別だわ)
 視線を右に移していくと今度は漢字で書かれた缶を見つける。
 (雲南紅茶、鳳凰単叢、大紅袍、鉄羅漢、龍井、白豪銀針、黄金桂……中国茶もあるのね)
 そのままもっと右へ移動すると、やぶきた、八女、宇治、静岡、狭山と続く。抹茶や玉露、ほうじ茶と記載されたものもある。
 (日本茶も……)
 日本まで来ると仕切られたスペースが終わりになり、その隣の茶缶の文字はまた記号で読むことができない。ココは中央へ戻り、今度は視線を下の方へ移すとUba、Nuwara Eliya、Dimbla、もっと左へ移すとKeniyaといった具合に、お茶の産地の銘柄が連なる。そのまま視線を上に移動させると木枠の上部に「Earth」という文字が刻まれているのを見つけてココは足を止めた。
 (Earth?この枠の中が地球という意味?確かに缶の並びは世界地図に沿って産地別になっているみたい)
ココは茶缶の背景に世界地図を思い描く。大体の産地の位置通りに缶は並んでいる。
 (ここが地球ということは、その周りは何?)
そう思うが早いか、ココはEarthと書かれた枠の外側にある茶缶の前に移動し、読めそうなものがないか目を凝らして一つ一つ順番に上から見てみるが、やはりどれもまったく読めない。
 一体この記号は何なのかしらとぼんやり眺めていたところへ、奥の部屋から40歳前後の華奢な女性が現れた。
 「こんにちは。ごめんなさいね、お待たせして」
昔なじみの友人に久しぶりに再会したかのような華やいだ笑顔で軽やかにこちらに向かってくる。「お待ちしていました。よかった、迷われませんでした?昨夜の大雨で看板の文字がちょっと薄くなっていたので、ちょうど書き直さないとと思っていたところで……。どうぞこちらへ」
ココは呆気にとられ、「あ、あの……」と言いかけるが、その女性は気にせず部屋の中へ入っていく。
 (お待ちしていましたって、誰かと違えているんだわ。それに昨夜の大雨?昨日雨なんか降った?)

 「あ、こっちは降らなかったかしら?向こうはひどい大雨で、なかなか楽しかったものだから。おかげで夜の虹も格別に映えたし」
女性は振り返りながら微笑む。長い黒髪と明るめの大きな茶色い瞳が、陶器のような肌に映える。まどろんだようなエキゾチックな顔立ちだ。
(確かにこっちでは雨は降らなかったけど、一体どこから来たのかしら?夜の虹?それにこの人、今私の思考に答えたみたいだったけど……)

「そろそろいらっしゃる頃だと思って、ディスプレイを変えておいたの」
 ドアを開けてココを通しながら女性は微笑む。
「あの絵はついさっき届いたばかりで、間に合ってよかったわ。可愛らしかったでしょ?」
 まるでココのためにあの絵を用意したと言わんばかりだ。
「あの、すみません。人違いだと思います。私はたまたまここを通りかかっただけで」
ココが最後まで話し終えるのを待たずに女性は優しく言葉を返した。
「いいえ、あなたをお待ちしていたのよ。そこの椅子にお掛けになって少しお待ちくださいね」
そう言うとまた夢見るように微笑み、反対側のドアから出て行った。

 人間は理解不能なことが次々に目の前で展開すると無反応になる。ココがただ呆気に取られていると、女性が出て行ったドアから今度はロマンスグレーの背の高い紳士が現れた。シルバーフレームの丸眼鏡には淡い紫色のレンズがはめられている。髪の色に良く合うライトグレーのタイトなフランネル・ジャケットの下には印象的な幾何学模様の柔らかそうなシャツを着ている。顔立ちは女性のように細面で、彫りは深いがすっきりとしていて品格がにじみ出ている。長いこと仕事で数々のモデルを見てきたココでさえ、ここまで整った顔立ちの人間はなかなかいないと感心するレベルだった。
「お待たせしました、ミス・ココ・アマミヤ」
 少し鼻にかかったようなソフトな声で名前を呼ばれ、呆気に取られていたココの思考が突如動き出した。
「なぜ私の名前を?」
 紳士は手のひらに納まるくらいの大きさの木片をココに差し出し、「絵の持ち主の名前は台帳に記されています」と人差し指を立てる。ココはその木片を半ば無意識に受け取りながら「絵の持ち主?」と言うのがやっとだ。
 紳士は穏やかに微笑む。「表に飾ってあった絵ですよ」
「いえ、あれは私のものではありません」
 ココは戸惑いながら答える。
 「記憶にないかもしれませんが、あれはあなたの絵です。そう記されていますから」
 紳士は落ち着いた表情を崩さない。
「記されているって、何に?」
「虹の台帳に」
「虹の台帳?」
「すべての事象を記録している台帳です」
ココがぽかんとしていると紳士は優しい笑みを浮かべ「それを持ってこちらへ来ていただけますか」と言いながら、入ってきたドアを開けた。
ココは言われるままに彼の方に進んだ。手にした札を見ると数字が印されている。
「8」
(8……今日8人目なのかしら)
ココはぼんやりとそう考える。
部屋を出ると、下りの階段があった。紳士はココが部屋を出るまでドアを手で押さえ、自分も部屋を出ると後ろ手にドアを閉めながら「では参りましょう」と微笑んだ。白檀に似た深く神秘的な香りがかすかに漂う。
“どこへ?”とココは心の中で呟いたが、なぜか口に出すことができないまま男性の後について階段を下り始める。
階段の壁には等間隔にランプが灯されているが、それがなければ真っ暗だろう。つねに左側にカーブを描いている螺旋階段だ。二人は何も喋らず、ひたすら階段を下り続けた。紳士は途中で振り向くこともなく、早すぎもせず、遅すぎもしない、淡々としたスピードで下りていく。壁に浮かび上がる彼の影が規則的に伸びたり縮んだりしている。

(それにしても随分長い階段……。地下5階分は下りたんじゃないかしら?こんな地下に一体何が?)
ココがそう思った瞬間、「さぁ着きました」と紳士がようやく振り向いた。果てしなく続くかと思われた壁が途切れ、また扉が現れる。その扉は非常に小さく、かがんで人が一人やっと通れるくらいの小さな四角い扉だった。
「頭をぶつけないように気をつけてください」
そう男性に促され頭を低くして腰をかがめ、体勢を崩さないようにゆっくり中に入ってみると、そこも先ほどの部屋と同じくらいの広さで、古びた四角い木の机とそれを挟んで椅子が二脚置かれている。
「どうぞお掛けください」
紳士は一方の椅子を指し示しながらそう言うと、自分はもう一方の椅子に座った。机の上には、一体どのくらい使われているのかと思うほど艶やかな飴色に変色した革表紙の分厚い本と黄金に輝くペンホルダーがひとつ置かれている。
「さて、あの絵をあなたにお渡しする前に、ちょっとした旅に出てもらわなければなりません」
紳士はそう言いながらホルダーからペンを取る。
「旅?」
ココが怪訝な顔でそう答えると紳士は柔らかな笑みを口元に浮かべた。
「まぁ、毎日も旅には違いないのですがね」紳士は微かに片目を閉じる。「ところで夢について少しお尋ねしますが、よろしいかな?」
彼には奇妙な力があった。穏やかな物腰、上品な振る舞い、柔和な表情、どれをとっても相手に強いるようなところは一つもないのだが、それが返って相手に有無を言わせぬ強制力となっている。
「夢、ですか?」とココが問い返す。
「えぇ、夢です。まず、あなたは今日、ロータスか何かの夢を見ましたね」
さすがにこれにはココもぎょっとせずにはいられなかった。ロータス……。確かに見た。光り輝く大きな虹色の蓮の花が脳裏に甦る。
「なぜ、そのことを?」
ココは紳士の顔をいぶかしげに見上げる。
(透視能力でもあるのかしら?)
紳士は弾けるように笑う。
「私は夢の専門家なのです」
そう言いながら紳士は本を開き、ページを繰って何かを探している。
ココは驚きを隠さず、ますます警戒したような目つきで彼を見る。
(夢の専門家……?)「心理学者ということですか?精神科医とか?」
「いや、ちょっと違います」
紳士は宙を見つめながら少し何か考えていた。先ほどの女性の表情に少し似ている。レンズ越しの瞳がとても美しい。部屋に彼だけを照らすような強い光源はないにもかかわらず、自分だけ光を受けているような輝きが瞳に宿っている。
「ここでのうまい肩書きが見つからないが、夢の管理人というのが一番近いでしょう」
「夢の管理人……」
(夢の管理人?そんな業種、“ここ”にはないと思うけど……さっきからこの人たちの言う「ここ」というのは何かしら?)
「申し訳ないが、それについて今、詳しく説明することができません、ミス・アマミヤ。いくつか確認をさせていただきたい。あなたは表に飾られていた虹の庭を見たことがありますね?絵ではなく、実物を」
紳士は穏やかな口調で、自分がココにそれを聞くのが当然といった様子で尋ねた。ココの脳裏には先ほど思い出した子供の頃の夢が甦る。そう、夢だ。
「実物ではありません。ただ、子供の頃に夢で見た景色にはよく似ていました」
紳士は微笑みながら頷き、「ありがとう。それを私たちは<実物>と言います」と満足そうに開いたページに何かを書き込み、さらに続ける。
「何歳くらいのことか覚えていますか?」
ココは少し考えていたが、「何歳かしら?よくわからないわ。でも、なにしろかなり古い夢……。記憶している夢の中では一番古いかもしれない。二歳か三歳くらいかしら……もっと古いかも……」と独り言のようにつぶやいた。
紳士はココの言葉に二度頷くと、ノートを閉じてペンをホルダーに戻す。
「わかりました、どうもありがとう。質問は以上です。では、始めるとしましょう」
彼はそう言って立ち上がり、入ってきた扉の対面にあるもうひとつの扉の方に向かって歩き出した。扉の前で振り向くと、ココが手にしている札を指差し、「それをなくさないようにしてください」とまた片目を閉じて微笑み、扉を開け放った。扉から光が差し込む。彼のシルエットが逆光を受けて銀色に浮かび上がる。
「それでは行ってらっしゃい」
「え!?」

ココは扉の向こうの景色に愕然とした。
「そんな馬鹿な……」
ココは絶句し、吸い寄せられるように立ち上がると、信じられない思いでその扉からよろよろと二、三歩外に出た。そこはこの『虹の庭』の前の通りだった。

                           (続く・・・)



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