見出し画像

人間/コタールへの共感と違和感

人と人との間に生きるのが人間だとしたら、人と人との間に収まれないやつは人間じゃない。

カミュの「ペスト」でペスト流行以前に、犯罪を犯し、それがバレないように生きていたコタールは、ペスト流行以前から社会からの疎外感を感じていた。

でもコタールは、ペストが流行し、街の人々が不安感や閉塞感に包まれると、上機嫌になった。自分と同じ気持ち、孤独を避けたい、脆い気持ちを持つ人が増えて、その気持ちは自分は以前から知っていたと、得意になるのだ。
--------------

現状のコロナ禍と呼ばれる中で、通信手段は発達してるにせよ、孤独感は確かに増している。
そして、コロナ禍以前から孤独だった者、孤独が確定していた者もいるだろう。

私自身もコロナ禍以前には辛うじて人との接点は取り持っていたものの、時期とタイミングが重なり、この時期には再び孤独を感じるようになるであろうことは確定した未来だった。コロナ禍でなくとも。

孤独の味は知っていた。だから、コロナ禍に陥っても、前と変わらず、より人との繋がりが希薄になるだけだと、既知のものとして観測していた。既知のものだったという点はコタールと変わらない。

しかし、みんな同じ状況に陥ったと知ったからって、想い晴れたか?そんなことはない。そこはコタールに違和感を持った。
孤独が辛いのは自分に突きつけられた事実であって、それは変えようがない。

人と人との間に生きるのが人間なのだから、人との間に入れない状態は、周りも同じ状況だろうと、人間でない状態には変わりない。
苦しいことには変わりない。

----------------

ペストが収まり、コタールは自暴自棄になった
結局は社会からの疎外からは逃げられなかった

全員が一人ぼっちになったって
それで自分の傷が癒えるわけじゃない

----------------

というわけでイチニシチでした!

カミュのペストを読んでて、こういう切り口で疑問を持ったので書いてみました!あまり見せること意識せず、本当に日記として書いたようなものなので、強調せず読みづらくてすみません。

ですます調で通すのも書きづらかったので、たまにはこういう書き方も。
それではまたお会いしましょう!
Beyondのイチニシチでした!


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?