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私の身のまわり 〜マルチリンガル公演によせて 三浦基

私の身のまわりが騒がしいのか、そうでもないのかよくわからない感覚が、ずっと続いてきたような気がします。具体的に振り返ると、元劇団員に対してのパワハラ疑惑でロームシアター京都における私の館長就任の見送りと新型コロナの流行が重なったあたりからですから、もう3年近く前からになります。この間、私が何をしてきたかと言うと、感染対策を講じながらできる範囲で演劇の上演をしてきましたし、粛々と民事裁判を進めてきました。裁判の結果は春頃に出ると思いますので、この件に関してのコメントは控えますが、私にとってこの3年間をどう理解したらよいのかまだよくわかっていません。こんなことを言うと私が鈍い人間のように思われるかも知れませんが、いいえ、私だって大変に傷つきましたし、何よりもコロナで劇団活動の危機を経験しましたから、それなりの影響を受けてきたと思います。


しかし、ここにきて目に見える作品への影響ということが起こってしまいました。『光のない。』の再演を予定していたわけですが、その訳者から翻訳の使用を認められないと知らされたことでした。訳者は地点が裁判をすることに反対されているようでした。このようなことが起こりうるということを私はほとんど予想もしていなかったのでとても驚きました。劇団のメンバーもかなりショックを受けた様子でした。やはり、俳優の仕事は台詞を覚えて、いかにそれを観客席に届けるかということにありますから、その言葉が使用できないということは直接的な影響となります。私たちは、文字通り言葉を失いました。それでも話し合いました。そもそも日本で演劇をする意味まで考えました。もちろん結論は誰も持ち得ていませんが、少なくともこれまでやってきたことを振り返り、これからどうやって生きていくのかということに真剣にならざるを得ませんでした。ここで初めて告白しますが、私の中に、「解散」という文字が浮かびました。この時、この3年間どれだけ不毛な時間を過ごしたのかという悔しさに気がつきました。おそらく劇団のメンバーも似たような気持ちだったと思います。何か声を出すのも馬鹿らしい気分の沈黙。私の中で、この悔しさが圧倒的に勝ったので解散は雲散霧消しました。


安部さんがニコニコと、「せっかくだからイェリネクの原語でやろうかな」と言い出しました。原語というのはつまり作者イェリネクが書いたドイツ語で発語するということです。この作品において安部さんの台詞量は、尋常ではなく、これまでのどの作品よりも突出しているだけに、他のメンバーも引けなくなりました。むしろ、原語にこだわらず、他の外国語も使用したらどうかというアイディアが生まれました。それぞれがどこか別の国の言葉を担当して通じないはずの言葉でやり取りする。これは、原作にある「互いの声が聞こえているようで聞こえない」というテーマとぴったりだということになりました。このアイディアをイェリネクのエージェントに説明したら快諾をもらえました。いろんな悔しさが希望に変わりました。日本で演劇をすることの意味について、必然的に問う形式になることが決まったのです。いや、もしドイツ語圏やフランス語圏、その他どの国や地域でこの公演をしたとしても、同じような問いが生まれるだろうと思います。複数の言語でやり取りされるということは、単一であることを前提とした意味ではなく、重層的な意味から何かを掬い取るしか方法がないということになります。演劇をする、見る、聞く、そして知る意味、その行為が一体どのような体験なのか、観客は字幕を読みながら感じることになるでしょう。マルチリンガル上演とは、次世代の演劇を担うものです。『光のない。』から『ノー・ライト』へ変わることは、だから自然の成り行きだったのかも知れません。


私の身のまわりで起こったことは、他にもあります。ロシアによるウクライナ侵攻です。実は、サンクトペテルブルグの国立ボリショイドラマ劇場の委嘱で、『罪と罰』をレパートリーとして現地の俳優といっしょにつくるという仕事がありました。2020年の6月に初演をする予定でしたが、コロナの影響で劇場が閉鎖したりして再三延期になっていました。ようやく再始動するという知らせを受け、ビザも取得し飛行機のチケットを手配するその直前に、侵攻のニュースが飛び込んできました。事が事ですから、私には何も判断できません。私には関係ないと思いたくても、実際、来週の私がどこで何をやっているのかということに直接影響してくる出来事でした。渡航は延期され、京都のアトリエで劇団のレパートリー公演をやることにしました。侵攻からすでに半年以上が経過しました。私は、今、『ノー・ライト』の稽古を夕方までして、それから夜10時までサンクトペテルブルグにオンラインで繋ぎ、『罪と罰』の稽古をしています。ついにこの4月に初日を迎えることをボリショイドラマ劇場が決めたからです。とにかく私は毎日、外国語ばかり聞く稽古をしています。それは日本語を文字で見つめる作業でもあります。声には聞こえてこない日本語。個人の問題、コロナ、戦争に同時に見舞われてから久しくなってしまいました。私の身のまわりが騒がしいのか、そうでもないのかよくわからない感覚に慣れても仕方ありません。私および地点は演劇作品でそれを打破したい。皆さんには、聞こえてこない日本語でもって誓いたいと思います。どうか耳を澄ましてみてください。

三浦基


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