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悩みは行動に移せば悩みじゃなくなる(たぶん)

20年前にロンドンにやってきた頃にそれはそれは理不尽な目に遭うのが日常茶飯事で、いつか英語でクレームを言えるようになりたい、と切に思っていたものでした。

今年で在英21年目。幸か不幸か、日常のこまごましたことを頼れる人がいない時期の方が断然長く、大抵のことは自分でなんとかしなければならなかったこともあって、英語で自己主張することや交渉すること、なんならけんかすることにも、困らなくなってはいるのです。

が。
意思を伝えることには困らなくなってきても、スペルを意識しないとあやふやになりがちなアルファベットがごちゃまぜになって伝わらなかったり、そもそも意識したところでどうにも正しく発音できなかったり、自分はちゃんと発音しているつもりで、そもそも間違っていることに気付いていなかったり、というのは山ほどあって。まあ、外国人として暮らしていると、もう見た目の時点で不当な扱いを受けるなんてこともあるので、発音が若干アレなくらいで落ち込むほど繊細ではなくなったにせよ、たびたび同じことをなんども繰り返して言うのも疲れるし、そもそもわからなくても聞き直さずに聞き流すのを見て見ぬふりするのももやるし、ということで、長いこと、発音・アクセントはなんとかしたいけどどうしたら良いのやら、案件でした。

そんな時に、ことあるごとにお世話になっているカレッジで、日常生活で困らなくくらいに英語を話している外国人対象の発音コース、というものを見つけました。とはいえ、安くはないし、これ以上習い事を増やしたら、本当に仕事どころじゃなくなるしと踏ん切りがつかず1年以上保留にしていたのですが、ここにきて大学進学が決まり、1年目後半から始まる病院などでの現場研修やその後の進路のことを考えると、やるなら今よね、と意を決して申し込んだのでした。

なんとなく、例文みたいなのをただしい発音で読む練習とか、グループディスカッション的なことをやりつつ、お互いのアクセントの指摘をしあうとか、いわゆる語学学校の延長上のレッスンなんだろうなと勝手に想像していたのだけれど、私の予想これっぽっちもかすっていませんでした。

お父様がスピーチ(と言うか発声学的な?)の専門家でいわば話し方に関して生まれた時からトレーニングを受けていたという先生は、テレビに映画、ウエストエンドやハリウッドで活躍していた元役者かつ、王立ドラマスクールなどでも指導をしていたスペシャリスト。

授業は、おじいさん先生らしく隙あらばアクセントに関するよもや話に脱線するものの、レッスン自体はとても良く形態化されていて、その日のテーマの似て非なる発音記号グループの(いわゆるBBC英語といわれるような)発声方法を、舌の位置、唇の形、頬の筋肉、のどの使い方、ジェスチャーを使ったリズム感、など身体の使い方を説明するところから始まります。さらにセンテンスに関しては、隣り合った単語のアルファベットの構造(子音母音の関係など)で決まる、繋げ方のルールや繋げるときに突如挿入される音の説明なども。

ルールはあるのだけれど、計算式のようにきっかりしているというよりは、もっとオーガニックで、私の感覚では、英語の指導を受けているというよりは、まるでバイオメカニックスの勉強を体感をとおしてしている感覚にとても似ているように感じます。

説明された内容を踏まえた上で、全員でひとつの単語なりセンテンスなりを練習したあとに、ひとりずつ順番に、時には同じものを、ときにはそれぞれ別のものを、順番にみんなの前で個別指導を受け、できない時にはできるまで単語やセンテンスを発音の観点からぶつ切りにして、ときにはふざけているかのような発声方法や口の形をさせられながら、最終的にOKがでるまで、何度でも言わされます。

最初はこれが猛烈に恥ずかしかったのですが、皆んなそれぞれ苦手な音があって、なんだかんだと全員が吊るし上げられるので、あっという間に恥ずかしさはなくなりました。それに、これは特に自分以外の人が個別指導でなかなかOKがでないのを見ているとわかるのですが、最初はとてもその単語を発音しているように聞こえないものが、てこずりながらもだんだんその単語に近づいてきて、OKがでるころには先生とほぼ同じ発音ができているのです。

不思議なもので、たとえ頭で「どうやるのか」が理解しきれなくても、言われた通りに、それこそ赤ちゃんが大人のまねをして喋ろうとうーあーと言っているのに近いことをしているうちに、神経経路が勝手に正しく動き出すのか、自分で認識できなくても正しい発音になるようなのです。

実際に私は「……… but it suits ………」という文章のこの3つを繋げなければならないところを、butとitを繋げたところで力付き、itとsuitsがどうしても繋げられずに吊し上げの刑にあったのですが、あまりにできる気がしなくて、理解しようとするのを放棄して言われるがままに発声していたら、自分ではちゃんと発音できたという認識がないまま「今の完璧!」とOKが出たのです。え、今のでいいの?と思わず聞き返してしまったほど。

私は母音の後にくるLの音がどうしてもうまくできなくて、発声しながら「これは違う」「でもどうしたらいいのかわからない」というのをずっと抱えていたのですが、ちょうどその音についてのレッスンがあった先週、その原因がわかって眼から鱗がポロポロ落ちました。「どんなに一生懸命舌の位置やら喉の使い方やらをどうこうしようとしても、口の形が違っていたらどうしたってその音は出てこない」という先生の言葉をきいて、そうなの?と試してみたら、うわああ、本当だ!と。そして口の形を意識したら、あんなに苦手だった母音+Lの発音がいとも簡単にできるようになり、私の番がまわってくるたびに一発OKのうえにめっちゃ褒められるという事態に。

まあ、いまでも気を抜くとほにゃらら音になってしまうのですが、これは意識しているうちにマッスルメモリーが蓄積されていくに違いありません。そんなところも身体と動きおたくとしては楽しいところ。私は感覚頼りで細かいことをきっちり覚えるのが得意ではなく、発音どうこうの前に単語力とスペリング力を磨く必要もあるにはあるのですが、大学卒業する頃には、もっといい感じに英語を話せてるといいなあと、英語版早口言葉をゆるく練習中です。



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