これでいいのだと夜道のひとり歩き

2回目のロックダウンが宣言されてからの猶予が4日間。すでに予約が入っていたクライアントのみなさんと、もうすぐ予約が入る頃かなというクライアントのみなさんに連絡をし、ロックダウン前の施術希望の方全員をなんとかこの4日間に押し込んだのでした。

そんなロックダウン前夜の最後のクライアント宅へ向かう道で、こんな夜遅くに人通りの少ない夜道を施術台をゴロゴロ転がしながら歩いてるなんて、比較的安全なエリアとはいえ危ないかもね、なんとなく世間が殺伐としてきているし、と思ったのでした。

大人になるよりもずっと前から、その強弱は炎ボウボウな時もあれば風前の灯状態までいろいろですが、割とコンスタントに自殺願望というか消えたい願望と共に生きてきていますが、ちょっと最近メンタルがあまり健康でない状況が続いていたんです。感染率が上がると共に仕事も減っていたので。

そんな感じだったので、夜道のひとり歩きは危ないかもと考えながらも、まあでも消えたい願望があるんだからそれを怖がる必要はないんじゃね?とふと思ったのでした。気を抜くとすぐにどっぷりと鬱々してしまうという中で、ある意味なかなかのポジティブ思考。施術が増えると、軸に戻る時間も増えるので、ロックダウン前駆け込み予約のおかげかもしれません。

てことは、死んでもいいって思ってる=怖いもの無しってことじゃんね、と思考が連想ゲームを始めました。怖いもの無しだったら、別にお金があんまりなくても野たれ死ぬまでやりたいことやればいいし、ひとりで生きてて頼れる人がいないことが寂しくて可哀想な人みたいでやだって思ってたけど、それって何をしても別に心配をかけるからと気にする人もいないからやっぱりやりたいことをやれる。なんなら家族との関係が拗れてるのも、そう。

そもそも私はやりたいことを始めたらどっぷりのめり込むし、やりたいことがたくさんあるし、人にとやかく言われるのも嫌いだし。確かにパートナーとかいたらいいなとは思うけど、そこに注ぐ気持ち的&時間的余裕はないな。あ、そうか。このひとりぼっち感も、拗れた家族との関係も、実は神様(宇宙)が、私が心置きなく好きなことをやれるようにと、そういう風にしてくれるだけなんじゃね。てか、これって神様の愛だわ。うわ、愛だったか、、すごいな神様と、ものすごいスピードで頭の中で腹落ちプロセスが起こったのです。

夜のしんとした冷たい空気と、頭上に輝く月の優しくてパワフルな光がとても愛おしく感じるのと同時に、「これでいいのだ」と脳内バカボンのパパが、ネガティブに捉えていた現状をみごとに覆してくれたのでした。

「これでいいのだ」 深い言葉です。

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