医学の視点から物語ること、生きること
ライフワークとしての演劇 02
河合穂高さん(劇作家 岡山)
「その人がどう生きていて、その活動をどういうものとして捉えているのか」
社会との接点を模索しながら、各地で地に足をつけて演劇活動をする方たちに「ライフワークとしての演劇」というテーマでお話を伺います。
今回は、わたしの出身地であり、演劇活動もしている岡山で劇作家として活動する河合穂高さん。口腔癌の研究者(岡山大学)でもあり、作品にその知見が活かされています。遺伝子操作を題材に「人間とは何か?」を問う SF ミステリー『春の遺伝子』は、2020 年度の劇作家協会新人戯曲賞最終候補となりました。
(以下敬称略)
演劇活動を続けるために、歯科医師、大学教員という道を選んだ
米谷 河合くんが、演劇を始めたきっかけは何でしょう?
河合 高校1年生の時、新しく赴任してきた先生が大学時代に演劇をしていた人だったんです。演劇部が廃部寸前で2 人しかいなくて「文化祭で演劇をやるから、お前出てみないか」と急に声をかけられて。それでハマってしまいました。その次の年は、僕が脚本を書いたんですが、初めての戯曲はめっちゃファンタジーでした。王国とか魔法が出てくる。いかにも高校生が書く感じでしたよ。高3の時も後輩のために書いて。
米谷 その時に書くのが楽しいと感じたんですね。
河合 そうなんです「これだ!」と。それでも手に職はつけないといけないと思っていたんですよ。うちの母は画家なのですが、「芸術をやるなら、自分のことを食わせられるようにやりなさい」と言い続けていました。うちは曾祖父から歯医者なんですよ。代々同じ病院を継いでいるわけではなくて、それぞれが開業したり、務めに出たり、みんな歯科医師の免許を持っているんだけど、やりたいようにやってきた。継がなくてはいけないから歯医者になったわけではなく、父の姿を見ていたら、好きなことと両立できるというイメージがしやすかったんです。
岡山大学には、演劇部があることを調べて入りました。東京の大学に行ったら、演劇しかしなくなって、卒業しないだろうなと。
米谷 わたしが河合くんに初めて会った時は、大学生でしたよね。岡山でプロを目指している人に出会うことは珍しいので印象に残っていました。大学で研究の仕事をしながら「プロになりたい」と書き続けてきた原動力は何でしょう?
河合 原動力というより書かないという選択肢はないという感じです。続けることしか考えてないですね。どうやって継続しようかと考えて、歯科医師や大学の教員だったり、生活スタイルというものが決まってきました。僕は物語を作るのがすごく好きだし、それこそ脚本を書いている時に「生きているな」と感じるんです。
米谷 演劇のしやすい都会に出ずに、岡山で活動を続けてきた理由は?
河合 移動できるタイミングはいくつかありました。もっと都会の大学院に行くとか、研修医になる時に県外に出るとか。絶対に岡山でないといけないというよりは、ここで積み上げてきたものがあって、それを簡単に手放さずに、ちゃんと積み上げられるところまで積み上げたかったんですよね。
劇作と癌研究が結びつくようになってきた
米谷 大学でのお仕事について教えてください。
河合 研究の専門は口腔癌で。僕は口腔病理医というカテゴリーに入るんですよ。診断をするのがメインなんですけど。診断をしつつ、研究をしつつ、大学の授業もする。教育と研究と診断の 3 本の柱が僕の仕事のメインです。
米谷 医学的な視点が作品に反映されることは意識していますか?
河合 最近は意識するようになりましたが、『春の遺伝子』を書いた時は実はあまり意識していなかったんです。自分の知識できちんと裏打ちされていないと納得して物語が書けないので、自分なりのリアリティを追求していった時に、自然とそうした要素が入り込んでしまうんですよね。ある現象をなぜ起きたんだろうと考えた時に、やっぱり自分の知識ベースのところが組み込まれてしまうんです。研究の内容とかが。
米谷 たしか、OTOで『ノコサレタ熱』(2016 年)を上演した時に、河合くんがプロフィールに「歯科医師」と書くかどうか迷っていたのを覚えています。書くと劇作を片手間にやっていると思われて、よくないんじゃないかと。私は個性だから書いた方がいいよと言って。今は研究の仕事と劇作がうまく結びつくようになってきたんじゃないでしょうか。
河合 今やっと結びついてきた感はあります。今だったら「僕は癌研究もしていて劇作家もしています」と言えるんですよね。まだまだだけど、研究の方もそれなりに「これは僕の研究です」と言えるものが論文という形で世に出るようになって、やっと言ってもいいかなと思えるようになりました。
いろいろな人が子育てに参加してくれている
米谷 お子さんが 2 人いらっしゃいますが、子育てとのバランスはどのようにとっていますか?
河合 土曜日も仕事で、香川県の高松に往診に行って、帰りも遅かったりするんですよね。週休 1 日です。子どもたちに勉強を教えたり、遊ぶことはしているけど、平日は 8 時前ぐらいに帰ってお風呂に入れる程度です。妻がワンオペ育児にならないように、妻の実家がサポートしてくれているのは大きいですね。うちは、結構いろいろな人が子育てに参加してくれているので、僕が両立できているのではなくて、環境に恵まれているんだと思っています。
米谷 お忙しいけど、執筆しているのはいつですか?
河合 自分でもいつ書いてるんだろう?って。子どもたちが寝静まった時間しかないです。だいたい深夜 2 時ぐらいまで起きてるんですけど、座ってるだけで寝てるみたいなのが多いですよね…
その人の完全な個性というものをちゃんと表現できれば新しい創造になる
米谷 河合くんは戯曲をどういうものだと考えていますか?
河合 骨組みだと思っています。きちんと作ることは大事だけど、あくまでそれは骨で。最終的に認識される形になるために必要な肉やその周りの皮膚とかは、演出家や役者が作っていくものだと思います。だけど、そもそも骨がちゃんとしていなければ、ちゃんと立つことはできないし、遠くに行くこともできない。劇作家の井上ひさしさんは「台本は船」とよく言っていたんだそうです。いい表現だなぁと思って。ちゃんとしたものを作らないと公演が沈む。だけどそれを動かすのは乗組員の役者であり、その方向を決めるのは演出家。その人たちがいるからこそ、とても遠くの新しい土地まで行けると。未完成が完成であるという特殊な書物なんですよね。
米谷 執筆している際に意識していること、心がけていることは何でしょう?
河合 自分に向き合うこと。それって妥協していないか、本当に新しい?と。自分でどこまで納得できるか。まずは自分がおもしろいと思えないと絶対だめだと思う。誰も見たことがない、知らない、そういうものがみごとな形で現れてくれば、それは新しい価値の創造ということだと思うんです。人間は同じ人は1人もいないので、ある意味、その人の完全な個性というものをちゃんと表現できれば、それは新しい創造になるんじゃないかな。
米谷 人は幼児の時、それぞれがとても個性的だけど、社会生活をしていくうちにどんどん型にはまっていきますよね。
河合 だからこそ、その表現が素直に自分に直結しているかということを考え続けないといけないんでしょうね。
米谷 これからどのように取り組んでいきたいですか?
河合 消費されてしまわない、一回限りでない作品を作りたいです。消費されていくだけのものが溢れているから、自分もそれでいいと思ってはいけないと。ある程度おもしろければいいと思ってしまっている限り、遠くには行けない。強度があるものを書いていきたいですね。
癌研究者になるという、演劇活動にとっては一見遠回りに思える道を選んだ河合さん。そこで得られた経験や知識が次第に血肉となり、医学的な視点から描かれているからこそ、その物語が観客の価値観を揺さぶるのだと思いました。
米谷よう子
【河合穂高 プロフィール】
神戸市出身。岡山県在住。
2006年に岡山を中心に演劇活動を開始。2012年以降は執筆に専念し、岡山を中心に他県の劇団にも作品の提供を行っている。現役の研究者(腫瘍学)であり、得られる最先端の知見を作品作りに活かしている。
2016年 『海繭』でNPO法人アートファーム主催 戯曲講座 優秀賞受賞
〈戯曲掲載〉
2018年 『海繭の仔』せんだい短編戯曲賞 最終候補戯曲賞 公益財団法人せんだい市民文化事業団
2020年 『春の遺伝子』優秀新人戯曲集2021 ブロンズ新社
岡山大学プレスリリース「がんを兵糧攻め!口腔がんの血管に発現する新たな標的物質を発見」
https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id666.html
朝日新聞記事「歯科医師と劇作家、「二足のわらじ」で生む戯曲とは」https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASP8X6TCTP8WPPZB004.html%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D
RSKイブニングニュース特集「新進気鋭の劇作家・河合穂高さん 注目作家の「二つの顔」とは…」https://www.rsk.co.jp/news/rsk20220112-00003038.html
戯曲デジタルアーカイブ『春の遺伝子』『海繭の仔』https://playtextdigitalarchive.com/author/detail/173
photo:
カバー写真・上から4枚目 天プラ・ホールセレクション『春の遺伝子』(2021年) 撮影:yukiwo
上から1枚目 演出助手として参加 OTOprod.vol2『斜陽/影』(2018年)より 撮影:一幡公平
上から2枚目 『Saturday Music Wave』(2010年) 撮影:yukiwo
上から3枚目 OTOprod.『ノコサレタ熱』(2016年) 撮影:一幡公平
米谷よう子の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me1e12a71d670