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山月記

今年も豊岡演劇祭への参加が決まった
演目は去年と同じ中島敦の「山月記」をやることになっている

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この演目は一人芝居としてはもう7年目くらいで、毎年かならずどこかで上演してきた
いちおう体ひとつでどこででもできるようにしてあるので、劇場はもちろん、お寺の境内や野外マルシェ、イオンのダンススタジオでやったこともある
今でも高校の教科書に掲載されているので、読んだことあるという人も多い作品だ

話のあらすじは、
中国の隴西に、李徴という男がいた
李徴はとても才能豊かで野心あふれる官僚だったが、いつか詩人として成功したいと思っていた
しかし、鳴かず飛ばずの日々が続いたある日、ついに発狂し、家族を残して山奥に消えてしまった
それから数年、
李徴の友人だった袁傪が、部下たちと一緒に山中を歩いていたとき、突然、草の茂みから虎が飛び出してきた
ところが虎は袁傪たちに襲いかかることなく、また茂みの奥に隠れてしまった
茂みからは人間の声で、「危ないところだった・・・」と繰り返しつぶやくのが聞こえた
何かに気がついた袁傪が言う
「その声は、我が友李徴ではないか?」
しばらくして草むらから応えが返る
「いかにも自分は隴西の李徴である」

この後、袁傪は虎になった李徴と話を交わすことになり、なぜ李徴が虎になってしまったのかを知ることになる
話は明け方まで続き、李徴は最後に自分の家族のことを袁傪に託し、自分の至らなさと後悔を吐露し、山へかえっていく
袁傪たちが振り返ると遠くで一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出るのが見えた
虎は虚空に向けて吼えると、また元の草むらに消え、ふたたび現れることはなかった

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最初に一人芝居をやったのは、大学一年生の時で、その時の演目もやはり山月記だった
自分のほかに袁傪役がいてコロスもいたので、厳密には一人芝居ではないけれど、ほとんどのセリフを一人でしゃべっていたので、いちおう初めての一人(に近い)芝居ということにしている
当時は、とにかくがむしゃらで、覚えたセリフをただただ叫ぶように怒鳴っていた気がする
あまりに叫ぶもんで、本番中セリフを忘れて黙りこんでしまったときは死ぬかと思った(あとでビデオを観たら1分以上は黙ってた)
あの沈黙が良かったとか言ってくれる人もいたけど、いやいや、忘れてましたからセリフ
その日は楽日で、悔し涙にまみれたぼくは、まわりで片付けが始まっても舞台セットのテントの中から出られずに閉じこもっていた
どうしたらいいだろうとテントの外であれやこれやと相談するメンバーたちの声が聞こえていた
けっきょく先輩の一人がテントに入ってきて肩を叩かれながら一緒に出ていってもらったのだった
今でこそニヤニヤと笑って思い出せるけど、当時の悔しさといったらなかった
あれ以来、舞台でセリフを忘れることはなくなった
いや、たまにちょっと抜けるときはある
あるけど忘れてるっていう印象にはなってないと思う、たぶん
そう、だからごまかし方はうまくなった
セリフを忘れたときはとりあえず笑う、これはおすすめ
間が埋まるし、笑ってるあいだに思い出す

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大学での経験や一人芝居の先輩方と出会う中で、しだいに一人芝居への興味とこだわりがつよくなり、そして今に至っている
一人芝居をやるおもしろさは、それこそ人それぞれにありそうな気もするけど、
ぼくが建前としてよく言うのは、「一人じゃなにもできないことがよくわかる」とか、「よりダイレクトにお客さんとの交流ができる」とかかしら
人には言わないけど大事にしていることは、
自分の出す小さな足音や吐息、客席の衣ずれ音などに連鎖して起こる、客席と舞台とが同調する瞬間をつかまえたら、そこにそのまま身を投じ続けるのか、辞めて身を引くのか、そのまま放っておくのか、そういうかけ引きの選択肢にまみれることにある
こういうのは多人数の、自意識が乱反射するような芝居だとなかなかじっくりとは味わえない
多人数は多人数で複雑なまみれ具合がおもしろいけど、一人芝居とはその純度と深度がちょっと違う

あとは、
舞台本番もおもしろいけれど、本番を前提にしていない一人稽古の時に、黙々とセリフをしゃべっているとき
これが実はものすごく贅沢なことだとさいきん思うようになってきた
期限に追われたり、義務感でやるのでなく、やりたいことをやりたいからやるというただそれだけの時間をつくって、そこに自分をちゃんと浸らせてあげるのは、役者としては超絶気持ちのいいご褒美だし、なにより健康によろしい
なので、何かどこでも一人でぽんとやれる芝居を持つことは、長い目で見ればとても有意義なことだと思っている
それが10分くらいの短いものでも、毎日誦じていると、調子が良いときとわるいときのバロメーターになったり、芝居として強度があがっていけば、自分だけの型として立ち返る身体を持つことができ、ただでさえ不安定な役者の精神力を支えるものとして助けになるものだと思う(宴会芸にもつよくなれる)

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来月の豊岡演劇祭では、3ヶ所の上演地をまわることになっている
基本的にやることはいつも変わらないけれど、どういう解釈で演技するかは微妙に毎回変化してきている
はじめのころは、李徴という獣になってしまった人間をどう描こうかばかり執着していた
李徴の出した答えにどう応えるのか、そういった問いを舞台上に具体化していくことが山月記を上演するうえで”あり”なのだろうと、それは今でも思っている
山月記自体がそういう物語なのだから当然そうなるのだが、去年の演劇祭でチェロの中川裕貴と一緒にやってから、李徴の友人である袁傪の存在がにわかに際立ってきた
もし山月記が李徴の物語ではなく、袁傪の物語だとしたら
言葉数は圧倒的に少ないけど、李徴の話を夜明けまでずっと聞き、おそらくその話を李徴の詩とともに寓話として世に広めたであろう袁傪に今は興味がわいている

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家族や友人(袁傪)と離れ、獣になってしまった李徴は、自身の肥大化した自尊心と羞恥心が自分を獣にしたと言う
人間とそうでないものとの狭間をさまよいながら、詩人として名を残すことに執着した李徴の在り方に、ぼくは役者の在り方を重ねて見ている
自己と他者、我執と献身、名声と醜聞、言葉と肉体
対立や矛盾をはらみながら、いびつな身体を人前にさらす行為が獣じみてなくてなんであろう
そうでないとしたら、では人間を人間たらしめているのはいったい何なのか
そういうことを考えるとき、「山月記」の物語が示唆してくれる問いや発見はなかなかに刺激的なのだ

小菅 紘史

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小菅紘史の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/m1775a83400f9


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