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ハッピーエンドを迎えたい。

まだまだ暖かくはなりませんが、年度末の3月がやって来ました。
穂の国とよはし芸術劇場PLATでは、3月といえば市民と創造する演劇の季節です。

毎年、5月は大道芸、11月は高校生と創る演劇、3月は市民と創造する演劇…と、まるで季節の風物詩のように巡り巡って来る企画のひとつです。

今年の企画はチェルフィッチュの主宰・劇作家・演出家の岡田利規さんと映像作家の山田晋平さんによる「映像演劇」の手法を活用した『階層』という作品を上演しました。

幾層にもわたるレイヤーの中に肉体や価値観が浮遊するような、実験的かつ抽象度の高い作品でありつつも、身体的にはグッと迫り来るものがあるような不思議な作品だったように思います。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。


担当ではなくとも、ひとつの公演が無事に終わるとホッとします。頑張りまくりの同僚達をこの約1ヶ月ちょっとの間、陰ながら応援していました。

しっかりとエネルギーを注いで、作品を生み、終わりを迎える。
劇場では、そんなことの繰り返しです。


なにかが生まれる瞬間

私にはPLATで働きたいと強く願った瞬間が2回あります。

1回目は、求人募集を見て応募したとき。
東京の劇場を辞め、新しい仕事を見つけるまでの間、自動車免許を取得するために2月の雪深い新潟の教習所へ免許合宿に行っていたときのことです。

寮の部屋で、実家の父からの電話に出ると、とある仕事の不採用通知が届いていることを知らされました。残念な結果に動揺しながらスマホで求人情報を検索すると、PLATの求人募集を見つけ、締め切りが、なんと明日まで!(当日消印有効!)

教習所の授業の合間を縫って、膝上くらいはある高さの雪に埋もれた歩道を掻き分け、JIS規格の指定の履歴書を何店舗か回って探し、手に入れることが第1のミッションでした。

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第2のミッションは課題文や同封書類の作成。
PCを持参していなかったため、寮のホテルの1階の、観光案内検索用のPCを使わせてもらい、フリーソフトを多用してなんとか完成。

第3のミッションは履歴書の写真撮影。
実家に置いてあった自分のPCを家族に操作してもらい、過去の履歴書で使用した証明写真のデータを送ってもらって、コンビニプリント。
幸いにも郵便局は近くにあったので、発送もギリギリ間に合い、今は縁あってここ豊橋で働いているというわけです。

あのとき、あのタイミングでよく間に合ったなぁと奇跡のように思います。
当時、PLATに行ったことはなかったけれど、ここで働くんだというイメージが浮かび、宙ぶらりんだった私に不思議な力が湧いてきました。
今思えば、あの不採用通知がきっかけで、今ここで働けているのです。
本当にラッキー、ありがとう、不採用通知!


2回目は、2021年2月の舞台手話通訳付き公演『凜然グッドバイ』を担当したときのことです。
これは、TA-net(シアター・アクセシビリティ・ネットワーク)と共に行った舞台手話通訳養成講座の受講者の実践の場として、舞台手話通訳ありきで作品を演出・上演する企画でした。

聴覚障がいをもつ人々に、演劇を届ける
劇作家・演出家の樋口ミユさんと、手話監修の河合依子さん、そして俳優、舞台手話通訳、TA-netやPLATのスタッフの皆が力を合わせて、言葉や音、表現を手話に置き換え、伝えるためにはどうしたらよいか、多くのエネルギーを費やし、工夫し、言葉ひとつひとつの本質を丁寧に探っていきました。

音としての言葉を単に手話に置き換えるのではなく、リズムと表情の豊かな手話の動きが役者の言葉とハーモニーを奏で、表現としての厚みを増していく。
誰かと分かりあうために、何かを伝えるために、関わりを持たなかった人々と表現を通じて繋がっていく。

稽古場で表現が生まれる瞬間を目の当たりにした私は、未来が少し変わっていくような明るい希望を受け取りました。

そしてそうやって、稽古場で、舞台上で、客席で、新しく生まれる挑戦をサポートする一員でありたいと強く願いました。
実はこの時私は、諸事情で退職を検討していたのですが、この作品がきっかけで、PLATで働き続ける道を選ぶことになりました。

そんな公演を終え、一年が経った頃。
あの舞台手話通訳付き公演『凛然グッドバイ』を発端としたドキュメンタリー映画が出来たとの知らせを受けました。

タイトルは『こころの通訳者たち ~What a wonderful world~』



PLATの稽古場でこの作品が生まれていった過程や、「聴覚障がい者」向けのサポートである舞台手話通訳をつける演劇に取り組んだという試みを、次は「視覚障がい者」にも伝えるにはどうしたらいいか、というような音声ガイド作成への挑戦まで発展していった様子が熱く描かれています。

ひとつの作品が終わっても、多くの人を巻き込んで新たな動きに繋がっていったことを、作品に関わった一人としてとても嬉しく思っています。

この映画を製作したのは、障がいの有無に関わらず様々な人が映画をユニバーサルに楽しむことが出来る映画館 "シネマ・チュプキ・タバタ"。
公開スケジュールなどは未定とのことですが、映画が上演されるようになったら是非、お見逃しなく!

また、2022年度の舞台手話付き公演の出演者も現在募集中です。
応募締め切りは3月末日まで。


All's Well That Ends Well

終わりは始まり、なんて言葉もありますが、そういえば私は目の前のことが終わった後の世界がこの先に待っている、ということを救いのように思っているような節があります。

終わりが来るからこそ、頑張れる。
より良い終わりを迎えるために、仕事に全力を注ぎ切る。
私のこの連載も、今回が終わりです。
おめでとう!ありがとう!

最近、なぜかふと「自分の人生も絶対にいつか終わりが来るんだなぁ」ということをハッキリと自覚するようになりました。
今までだって、頭では理解していたし、いつかは訪れる死に対して、生きるってそういうものでしょと諦め半分、納得もしていたつもりでした。

そこまで怖い話とか、ネガティブな話のつもりではありません。
私は30代独身女性という微妙なお年頃ということもあり、例えばこの先、結婚するのか、妊娠するのか、どこでどう暮らすのか、色んな選択肢があるような・ないような、考えたって仕方がないような…とこれからの人生に思い巡らせることがたまにあります。
ただ、「死」だけは誰にでも絶対に待ち受けている回避不能なライフイベントだと思うと、人生の終わりは目標点のように感じられ、すっと背筋が伸びるような気がする自分を見つけました。

この感覚って、なんだか舞台の仕事に似ている。
終わりを見据えて、今やるべきことを楽しみながら、積み上げていく。
楽しく、健やかに、悔いのないように。
そして、軽やかに次に進む。

人は生きたように死ぬといいます。
どのような終わりを迎えるかは自分次第。
その終わりの向こうには、思いがけない何かが待っているかもしれません。

自分らしいハッピーエンドを目指して、楽しく生きて、楽しく終わりを迎えたい。そんな風に思う、2022年の春でした。

終わりよければすべてよし!

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石田晶子の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/mcb850169d9e7


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