「触れる、触れられる」から始まるダンス
ライフワークとしての演劇 04
上本竜平さん(AAPA代表 東京)
「その人がどう生きていて、その活動をどういうものとして捉えているのか」
社会との接点を模索しながら、各地で地に足をつけて舞台活動をする方たちに「ライフワークとしての演劇(ダンス)」というテーマでお話を伺います。
今回は、AAPA (アアパ / Away At Performing Arts) 代表の上本竜平さんに、活動の拠点である北千住の日の出町団地スタジオでお話を伺いました。「日常と地続きの舞台空間」をコンセプトに、身体的な気づきから創作したダンス作品の上演や、コンタクト・インプロビゼーションをベースにしたクラスやワークショップなどを通じて、身体のあり方を見つめる場を日常に広げています。
(以下敬称略)
演劇からコンテンポラリーダンスへ
米谷 ダンスを始められたきっかけを教えてください。
上本 僕が育ったのは東京の郊外です。中高が男子校で、柔道部に入ったけれど2年で辞めて、大学に入ったら演劇をやりたいと思ってました。小学校の学芸会で演劇をした時、自分ではない役をやることが楽しかった記憶があって。父親から大学は演劇サークルが盛んだと聞いたからか、演劇は大学のサークルでやるもの、というイメージでした。
ただ自分が通った大学では演劇サークルはマイナーで数も少なかったので、途中から横浜の ST スポットや東京の小劇場と言われる場所に舞台を観に行くようになりました。そのなかでコンテンポラリーダンスの存在を知り、2000 年頃の演劇からダンスへという流れもあって、自然とダンスのほうに興味を持つようになりました。
その頃、コンテンポラリーダンスをやるダンサーはまだ少なかったんでしょうね。ダンス経験がほとんど無くても、TIF(フェスティバル/トーキョーの前身)が企画したドイツの振付家のスザンヌ・リンケさんのクリエーション・ワークショップに参加できたり。そこには「これから海外に行くぞ!」という同世代のダンサーもいたんですが、自分も同じようにやっていこうとは思ってなかったので、就職して26 歳までサラリーマンをしていました。
米谷 サラリーマン時代に、舞台活動はされていたのですか?
上本 2004 年に AAPA を立ち上げて、プロデュースをやってました。最初、茅ヶ崎の海水浴場で仮設劇場としての海の家を企画して、それから横浜を拠点に活動するようになって。その頃は建築家の仲間と様々な場所に仮設空間を作り、ダンスや演劇の人たちに声をかけて舞台を企画していました。
ただ、自分もダンスをやりたいと思っていて。今はパートナーとして活動をともにしている永井美里が、2006年にイギリスの大学のダンス学部を卒業して戻ってきたタイミングでAAPAに参加し、その翌年に僕が会社を辞めてフリーランスになって、ようやくダンスの創作をするようになりました。当時はリーマンショックの前でしたが、会社の業績が下がって社内が暗い雰囲気になり、仕事が減っていたことも影響としてあったと思います。
日常と地続きの場所にあるスタジオ
米谷 コンテンポラリーダンス専門のスタジオは、都内でも少ないように思うのですが、ここは、団地の中にあって、日常生活に近い印象ですね。
上本 横浜のBankART NYK(元倉庫)など、もともと劇場ではない場所で公演を続けていたのですが、2011 年にJCDNの「踊りにいくぜ!! Ⅱ」という、新作をゼロから立ち上げる企画に採択されて、国内4都市の劇場を回りました。東京のアサヒ・アートスクエアでの最終公演のゲネの日に、東日本大震災が起きて。公演は 5 月に延期になり、ダンサーの 1 人が出演できなくなって、代わりに作者の自分が出演しました。結果としてこのことが転機になり、ダンスを自分の身体から作っていこうと思い、劇場ツアーが終わった後、日常のなかに拠点を持って、ダンスの方法論を身につけるところから始めたいと考えるようになりました。30 歳の時です。
2 年ほど準備をして 2013 年に、日の出町団地スタジオをオープンしました。北千住は知り合いがいた松戸や土浦に近かったので、自然とここに落ち着きました。都内は家賃が高いけれど、URのテナントは安く借りられて、改装も自由で、条件的にも良かったんです。
米谷 このスタジオで一般の方や子どもたちに、コンテンポラリーダンスを教えていらっしゃいますね。
上本 僕らが活動を続けられているのは、確実に、街のダンス教室のように、コンテンポラリーダンスのスタジオを運営しているからです。毎日のように自分でクラスをして、スタジオの貸出や管理もしていくなら、生活するには十分です。地味な活動ですが、地道に続けていけば、東京のような都市では成り立つのだと思います。
ただスタジオを始めるには初期投資が必要なので、新型コロナウイルス関連の助成金を活用して場所を持つ人もいるようですし、何かしらのサポートを見つけて欲しいと思います。
どうすれば「安心できる身体」になれるのか
米谷 活動の軸にされているコンタクト・インプロビゼーションについて教えてください。
上本 「触れる、触れられる」ことから、始まります。人に触れることを意識的にすること自体、普段の生活では少ないので、人の背中をさすったりゆらしたりするマッサージのような触れ方から始めて、からだの重みや重心のやり取りに発展させていくことで、その場で生まれる即興の動きをダンスにしていきます。
自分たちもコロナ前に講師として海外に招いてもらったことがあるのですが、世界的には、一般の人が趣味として行っているコミュニティがたくさんあります。欧米などのペアダンスの文化や、風習としてコミュニティのために行われてきたダンスの文脈とも、つながっていると思います。
スタジオでのクラスや、外部でのワークショップを行っていて、接触が苦手な人がいたり、性別の関係で、特に男性側がハラスメントにつながるのではないかと躊躇することが結構あります。「触れない」のが安心というのは分かるのですが、「触れる」こと自体が悪いわけではないはず。どうすれば安心できる形で「触れる、触れられる」ことができるのか工夫すること、それを通じて「触れたくない、触れられたくない」人の気持ちを理解することが、大切だと思います。
米谷 新型コロナウィルスの影響やハラスメントが問題視されるようになり、「触れる、触れられる」ことに、多くの人が敏感になっていて、改めて身体感覚を見つめ直す時期に来ているのではないかと思います。
上本 コロナ禍で「触れる」ことはダメということになり、アウトリーチのような活動もできない状態が続きました。他人と物理的に距離を置くようになったことで、精神的にも身体的にも元気がなくなった人が多くいると感じています。SNS の広がりを含め、言葉や声の影響力はとても強くなっていて、閉じた環境では、そうした言葉を自分の中で展開してネガティブに解釈していくことがあります。コロナ禍で広がった、そうした身体性の希薄さは、少しずつ回復していかなければならないと思っています。
米谷 上本さんが、以前に『ケアと身体性』をテーマに開催されたイベントの記事で、『安心できる身体』のあり方について書かれていたことが興味深かったです。
上本 コンタクト・インプロビゼーションには、こういう動きで相手に触れれば大丈夫という技術が、慣習的な積み重ねとしてあります。例えば、触れられている時に見られていると怖さを感じたりするので、相手の顔を見ないで触れるようにするとか。お互いに背中合わせになるなどして、目を閉じたりもしながら、触覚に意識を向けるところから始めていく。そして触れられる人も、いつでも優位に立てるように、固まらないで、よけることや離れることもできるようにする。触れられている側が受け身で弱いのではなく、いつでも自分から動くことができる。強い状況でもあると意識することが大切、と伝えています。
そして、触れられることが不快であれば、それをちゃんと言葉にすることが大事。それが可能な状況を作った上で、講師などの第三者が違う触れ方のバリエーションも提示することで、色んな方法を試すことができると良いと思います。
男性で「僕が触れるのは悪い気がして」と言ってくれる人はよくいるのですが、それなら触れられる側になったらいいと思うんですよね。男性は触れる側だと思い込んでしまうことが多いけど、男性の方が体格がしっかりしていて、体重をかけても支えてもらいやすいから、女性でも男性でも安心感を持って触れることができるはず。女性の側が「触れる」ことに慣れるのもそうだし、男性も自分の方が「触れられる」ことに慣れて、お互いに安心できるようになれるといい。
米谷 確かに、女性の立場からすると触れるという同じ行為でも、男性の方から「触れます」と来られるのと、「私から触れる」というのでは、感覚が違いますね。私自身も無意識に、女性の方が触れられる身体というイメージを持っているように思います。触れる立場になると対等というか、意識が変わりますね。今まであまり意識したことがなかったですが、おもしろいなと思いました。
米谷 今後の活動について教えてください。
上本 ダンスでも、東京など都市の中心にこだわらずに移住し、日々の生活を大事にしながら活動する人が増えています。僕らも千葉の房総の方にもうひとつ拠点を持つので、新たな地域で活動を広げていきたいと思っています。日常生活の中での身体や、「触れる、触れられる」ことを通じた気づきをモチーフに、ダンスだからこそできる動きを追求して、創作を続けていきたいです。
コロナ禍、また、ハラスメントの問題が顕在化された社会で、接触することの緊張や不安の中から、どのように身体性を回復していけばよいのか。身体感覚の違う他者を尊重し、対等に接すること。相手に安心感を与える身体のあり方を模索し続ける、コンタクト・インプロビゼーションの意識が、大切なヒントになるのではないでしょうか。
米谷よう子
【上本竜平 プロフィール】
1980年生まれ。東京都八王子市で育つ。
2003年、慶應義塾大学総合政策学部卒。在学中にコンテンポラリーダンスの舞台とコンタクト・ インプロビゼーションに触れ、ダンスを始める。
2004年、建築家とともに企画した『茅ヶ崎戯曲(仮設劇場になる海の家)』を契機にAAPAを立ち上げ、様々な場所で「日常と地続きの舞台空間」を企画。2007年より、周囲の環境と日々を意識する場として、触れている物や言葉からダンス作品の創作を始める。「大野一雄フェスティバル2009」「踊りに行くぜ!! Ⅱ vol.1」「Asia Pacific Impro 2」「Touch コンタクトインプロ フェスティバル (2018: 北京/上海) 」など国内外でレジデンスや公演、ワークショップを行っている。2013年夏、団地の中庭とつながる「日の出町団地スタジオ」を北千住 (東京都足立区) にオープン。スタジオでの日々のクラス、各地で行うワークショップやパフォーマンスを通じて、からだに気づく場を広げている。
AAPA
https://aapa.jp/
≪公演情報≫
AAPA 土浦公演『内側、重なり interior, overlapping』
2022年8月5日(金)〜7日(日)
https://atelier100.tumblr.com/post/688010107756445696/0805interior
米谷よう子の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me1e12a71d670
読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。