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表現と教育との関わりのなかで、いま思っていること

ボーダーレスなアート領域

ぼくには目標があって、それは学校教育の授業で、美術とか音楽とか演劇のことをトータルで取り組む「アート」という科目ができることです。

いまは、領域自体が、どんどんボーダーレスになってきていると思っています。
美術館で演劇もするし、劇場で音楽のライブや、展示パフォーマンスだってあるし、学校の教科も横断的に学ぶ形になっています。

その中で、常々大事なワードにあがるのが「コミュニケーション」と「答えが1つとは限らない問いについて考えること」だと思います。最近だとアート思考もよく言われますよね。

コミュニケーションや答えが1つとは限らないことを複数人で考えることは、演劇やダンスなどの表現芸術において、常々行っていることです。だからこそ僕は、演劇の要素を使って教育の分野でも力になるのではないかと考えています。

これは、大学生時代からそのように考えていて、それを仕事にしたいとここまで10年近くやってきていますが、義務教育の学校のなかで美術や音楽はあっても「演劇」という授業はないので、これまでは総合的な学習の時間などを通じて、ゲストティーチャーとしてコミュニケーションや表現をテーマにしたアクティブ型の演劇ワークショップの授業を学校現場で実施してきました。

そして、おそらく次の段階になるのが、「アート」という授業ができることかなと思っています。もちろん、「表現・コミュニケーション」という枠ですでに取り組んでいるところもあると存じていますが、
どんな地域でも、どんなところでも等しく教育を受ける権利として、美術や音楽とも合わせて演劇も取り組む「アート」という授業が学校にできること、そして、そこには外部からの専門の先生がはいることで、学校の担任の先生の負荷が少しでも下がることができればと思っています。

ゲストティーチャーや身近な大人の授業参画があることの面白さ

そこで、ゲストティーチャーや様々な形で社会と接点を持つ大人の授業参画があることは効果的になるのでは、と思っています。

先生の労働時間は、ほんとはいっぱいいっぱい頑張っておられると思いますし、より質を高めるためのことにさらに時間を使ってもらうためには、学校教育に関わる時間のなかでアウトソースをしたり、アウトプットだけでなくインプットしたり、生徒と一緒に考えたりという時間を増やしていければと思っています。

それは、学習指導要領が改訂されたり時代に応じて対応をしていくことになる先生にとっても、学ぶ時間や新しいことを思考する時間が必要で、それが学びの環境の質も上がるんじゃないかと感じているからです。

音楽や美術、イングリッシュティーチャーのように専門領域の方が学校に来ているというのはすでにあることですし、部活動でも外部からの指導者が来たりということはあります。

そういった「学校の先生でも親でもない大人」の社会との関わり方や生き方から学ぶことは、学校の授業以上に、子どもたちにとっての「生きる学び」になったりします。

豊かな学びの場を少しでも増やしたい

「異質な他者と出会う場をつくる」
ぼく自身、普段の演劇の要素を使ったワークショップで、学校に入らせてもらう時、いつも考えていることです。

地域やご近所との関係性が薄れていくにつれて、日常の中でも「他者」と出会うことが、難しいのだと思います。

かつての高校生への演劇ワークショップでの出来事で、
初めて会う人に話しかけるセリフを読むときに、「知らない人に話しかけるように言ってみて」と伝えたら、「知らない人と話したことなんて無いからわからない」という返答が返って来た、ということには驚きました。

違う年代の人と交わったり、話したりという経験ができにくくなってきているのだと感じました。

出会いがきっかけで、自分の中の世界が広がる。

先生にとっても、生徒さんにとっても、
異質な他者と出会う、そして学び合う経験から
価値観が揺さぶられる体験を得て、それを受け止める。

思考することやコミュニケーション力も、ここから始まるように感じます。

学校の授業や先生からは思考するための基盤を学び、
ゲストティーチャーや身近な大人から思考する経験や価値観の揺さぶりを体験から感じて学ぶ。

ワクワクドキドキする授業を展開していくことで、豊かな学びの場を少しでも増やしたい。
目標の先にある夢はこれです。

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