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【インタビュー】自分を満たす仕事の選び方

筒描と住む職人

「僕のはギャンブルでいう『逆張り』ですよ」

 元バーテンダー。自宅の風呂場で藍染を始め、11年目の藍染しんごさんは、そう言った。彼の話を うかがううちに見えてきた、彼の仕事の選択基準。それは、

自分の心が満たされるかどうか。

 決して十分な収入が得られているわけではない。正直、生活面の不安に関しては、見ないふりをしないと今の仕事はできないと言う。それでも、生活面の不安よりも何よりも、自らの心を満足させられるかどうかで仕事を選ぶ。その結果、『逆張り』の仕事の あり方を貫こうとしている。

 ちなみに『逆張り』とは、ギャンブルなどでよく用いられる言葉で、王道とは真逆の手法で攻めることなのだそうだ。しんごさんのスタンスが『逆張り』になる理由。それは、江戸時代には庶民の生活に根差していたが、今では非常に希少となった、その藍染の染め方にある。

 現在市場に流通している藍染商品は、絞り染めや型染めといった技法で作られているものが多い。そんな中、しんごさんが手掛ける作品は、

筒描(つつがき)

 2022年現在、この筒描藍染をしている会社は、日本国内にも片手で数えられるほどしかない。しんごさんによると、若手の藍染作家でこの筒描ができる人も、ほとんど いないと言う。
 またしんごさんは、自らデザインを手がけ筒描で染め上げることに こだわっている。現在では、もともとある図案やデザイナーが作成したものを布に染めるのが主流なのだそうだ。

 筒描に魅せられ、自宅のふろ場に藍染用のタンクを置いて生活するしんごさん。打ち合わせやインタビュー時に、しんごさんが時々自らが手掛けた作品を見る真剣な眼差しは、恋人に向けるそれと変わらないようにも感じられた。

一畳ほどの風呂場に置かれた藍染用のタンク。
しんごさんのお手製。

 将来的には、筒描藍染で国宝を作り、人間国宝になりたい。『藍染しんご』の作品を買ってもらえる人間になりたいとの夢を持つ しんごさん。筒描藍染でないと心の健康が保てない、とまで言うしんごさんも20代前半は自分に向いていることが わからず苦しんでいた。

いや~。ほんと、悩んでたんで。

 しんごさんがバーテンダーをしていたのは、とにかく いろいろな人の話を聞くためだったそうだ。20代前半、しんごさんは何者かになりたい、何かがしたいと考えていた。

「何か物づくりがしたいっていう方向性は見えてたんですけどね。その『何か』が分からなかったから、たくさん いろいろな人の話が聞きたかったんですよ」

 と、当時を振り返る。自分の心が満たされる『何か』。そして、自分に勝算がある『何か』が分からなかった時期。この時が一番メンタル的に苦しく悩みも深かったそうだ。
 それでも、しんごさんは自分に向いている『何か』を見つけるために、とにかく行動していた。

「レザークラフトは、1年ぐらい。バーテンと掛け持ちで。絵も描いて、応募とかしてみたこともあったんですけど、ダメでしたね」

 そんな中、しんごさんが 出合ったのが藍染だ。
 勤めていたバーと駅の間にあった藍染屋。2~3年、その前を通って通勤するうちに、なんかいいな……と思って数点藍染製品を買った。それが、始まり。

「お前、藍染好きだな。おれも長くないし、教えてやろうか」

 と、一人目の師匠に声をかけられた。とにかく自分でやってみないと、向いているかどうかは分からない。そこで、週末だけ藍染を習い始めた。ところが、

「心は満たされなかったんですよね~」

 それでも、藍染の色が好きだった。そして、武士や侍などにも興味があった しんごさんは自分で勉強をしながら継続して藍染を習い続けた。師匠との話も楽しかったそうだ。そんな しんごさんに、青山の骨董屋で再び出合いが訪れる。

「どこにもない雰囲気だったんですよ。独特な。なんか おしゃれな感じすらしたんですよ。うん、おしゃれ」

 しんごさんが生まれて初めて見た筒描作品は、江戸時代の結婚式の祝い風呂敷。もともと師匠から本などで見せてもらい、昔の藍染がすごいらしいと知ってはいた。ただ、今現在 江戸時代の筒描藍染を実際に目にする機会は ほとんどない。美術館・博物館に収蔵されているものの他、まれに骨董屋が扱う商品の中にあるぐらいなのだという。しんごさんは、そんな貴重な実物を見て、

「これは、確かにすごいぞ。これは自由度が高いぞ。これ、やってみようかな……」

 藍染以外にも レザークラフトや絵画など、とにかく興味を持ったものは何でもやってみた。その経験も、ここで選択するための判断基準となったようだ。
 レザークラフトは、ファスナーや金具などの部品が自分では作れないので既製品に頼ることになる。自分で作りたいデザインがあっても、全てオリジナルで製作することが難しい。一方、藍染は 全工程を一人で行うことが可能だ。
 また、絵画は何もないカンバスに絵を描く自由度の高さから、ピカソのような天才には勝てない。けれど筒書の場合、絵の才能だけあってもいいものは作れない。まず、染の技術が要る。そして、デザインも藍染にした時に映えるものにする必要がある。そういった制限の中で作る筒描藍染であれば、自分にも勝算があると感じたそうだ。
 そこで、一人目の師匠に相談したしんごさんは、藍染の基本を習得してから、筒描を学ぶために二人目の師匠につくことになる。

しんごさんの筒描作品の一部。
境界線のファジー感。
筒描藍染特有の魅力が宿る。

藍染は庶民の芸術。だから、ぼくに ちょうどいい。

 筒描に魅了された しんごさんは、少しずつ仕事の比重をバーテンダーから藍染に移していたそうだ。藍染だけでは、生活が苦しかった。だが、

「体調崩してたんですよ。夜型すぎて。あんまり寝れなかったり」

 飲食店勤務は、生活時間が不規則になりがちだ。それが原因で体調を崩してしまい、バーテンダーを辞めようと考えていた。二人目の師匠が80歳になり、工房を潰して辞めることになったタイミングとも重なり、しんごさんは掛け持ち生活にピリオドを打つ。本音で言えば、収入的にも仕事の内容的にもバーテンダーは続けたかったらしい。
 収入は変わらずに筒描一本で生活できる水準に到達していなかった。その不安をどうやって乗り越えたのかをしんごさんに尋ねると、

「不安乗り越えたっていうか、それは今もですからね。今となっては、逆に筒描から引けないぐらいの感じですから。大成功とまではいけなくても、こんなの作ったよって自分を満たすしかないですね

 と、笑顔。不安がないわけではないのに、しんごさんの様子には一切の悲壮感がない。生活面での不安には蓋をしないと筒描は続けられないけど、不安よりも何よりも自分が満足したいと言う しんごさん。
 しんごさんの話の端々に出てくる『満たす』という言葉。一体、どういう状態が しんごさんにとって『満たされた』状態なのだろう。

「かっこいいのができたって満たされ方。かっこいいものが作りたい。江戸の職人に天国から褒めてもらうぐらいしか、満たされようがないというか。ほんっと、江戸時代のやつ、むっちゃすごいんすよ。極めた人たちが作ってた芸術品なんですよ。あれが すごすぎるのに、今はもう誰も作れないっていう」

 将来的には、江戸時代の藍染屋の上をいく筒描が作りたいという理想を持つ しんごさん。江戸時代の筒描きを語る時、しんごさんの口調は より一層 熱を帯びる。しんごさん自身の体温が上がり、周囲の気温も上昇させてしまっているかもしれない。なぜ、そこまで江戸時代の筒描きにこだわるのだろうか。

 藍染は、もともとが野良着などに用いられる庶民のものだった。そして筒描は、染めで布にデザインを描くために開発した日本独自の技術。
 明治時代には、日本の藍ではなく、インド藍や合成染料のインディゴで染められた品が流通し始める。それでも、当時の藍染がかっこいいのは、筒描を極めた日本の庶民の職人さんたちの芸術作品だからだ、としんごさんは熱く語る。日本の庶民の芸術作品であるからこそ魅力を感じるし、そこが しんごさんにとっては非常に大事なポイントだという。

「幕府お抱えの絵師でもない庶民が、祝い事を表現しようとしてなんとかかんとか染めから何から全部やってったのが藍染。それが、筒描のすごく独特の雰囲気なんですよ。もっと力強さとか、雰囲気とか。その独特な感じをもっと練習したいんすけどね」

 学生時代、しんごさんは 絵が巧いほうではあった。けど、美大を出ているわけでもない。もとより芸術の路線で極めようとしたわけでもない、ごくごく普通の人間。だからこそ、

「ぼくに ちょうどいいんですよ。ぼくぐらいの人が、やってたはずなんですよ。藍染を」

 普通の一般人。由緒正しき家系に生まれたわけでも、生活が豊かなわけでもない、江戸時代の庶民が生み出した芸術。その芸術でカッコいい作品をゼロから『藍染しんご』ブランドで作り出すこと。それが、しんごさんが苦悩し、いろいろ試した上で、辿り着いた自分を満たせる『何か』だった。

筒描は、人生の頼みの綱。

 2022年。去年までは受注していた筒描以外の藍染の仕事は、お引き受けせず、筒描一本で攻めていくと言う しんごさん。

 筒描以外の仕事では、心の健康が保てない。だからこそ、数年前から年男になる2022年は勝負の年にすると決めていたのだそうだ。
 筒描で どれだけ細い線を自分が描けるか挑戦したい。金箔や銀箔を使った作品、それから帯や着物も作ってみようと思っている、と、次から次に今年 挑戦したいことが湧きだしてきている様子。
 そんなしんごさんの今の課題は、作品を完成させる度に必ず出てくる納得できない箇所をどう潰していくかだという。それらは全て、とにかく自分で一度染めて、経験することで自らの感覚に蓄えていくしかない。

 ただ、しんごさんの挑戦の積み上げは今に始まったことではない。今までの挑戦の積み重ねが 彼の心の健康も支えていた。

「ぼくは、今まで筒描で散々失敗してきたから、今これができるってのが分かってるんで。一生分、失敗して着られなくなったTシャツありますから」

 何度も何度も失敗を重ね、今の自分は他の人が簡単にたどり着けないところにいる。筒描には、そんな安心感があるという。しんごさんにしかできない筒描藍染という仕事だからこそ、心の健康が保てる。
 自分が満たされる仕事を選ぶため、バーテンダー、レザークラフトや絵画などとにかく いろいろなことを実際にやって確かめてきたしんごさん。とにかくやってみる、そのスタンスはここでも変わらないように思う。
 まずは自分に向いているかどうかを自ら体験し、無数の選択肢の中から自分で見つけた仕事、筒描藍染。ひたすら失敗を繰り返し筒描作品を作り続けることで、しんごさん自身が心の健康を保てる仕事にまで成長させてきたのかもしれない。

「藍染屋って、藍染の中でもココはゆずれないって、自分たちの推しポイントがそれぞれあるんですよ。ぼくにとっては筒描が、それです」

 しんごさんにとって筒描はどんな存在なのか、尋ねてみた。しんごさんが、うーん、難しいすね……と唸りながら、必死に頭の中で言葉を探る。しばらくして、

「……筒描は頼みの綱、ですね。もうこれしかムリ。これ以外じゃ、自分もやる気がしない」

 11年、付き合ってきた筒描に 人生すべてをかけているのが伝わる言葉。
 筒描と二人三脚。人間国宝を目指す職人の心を満たすための挑戦が、続く。

藍染しんごさん SNS
Instagram→https://www.instagram.com/aizome_shingo/
Twitter→https://twitter.com/AIZOME_SHINGO


#この仕事を選んだわけ

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