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日々の”当たり前”に目を向けてみる

大学生の頃は新聞配達をしていました。
また、一時期勉強と思って新聞を購読していた時期がありました。

新聞配達は、配達する区域にもよって異なると思いますが、私の場合は朝の3時に起床し、3時半頃から配達を開始できるように準備していました。
休みは月に1日だけある休刊日だけでしたので、毎朝早起きして、雨の日も雪の日も、もちろん台風や大雪の日も配達に出ていました。

私の家に配達してくださっていた配達員の方も、同じように早起きして毎朝どんな天候でも頑張って地域を回っていたはずです。
配達員の方のおかげで、毎朝決まった時間に新聞が届き、情報を得ることができるわけで、それは当たり前のようでも大変な思いをしながら配達してくださるからこそのことです。

そこで、正月の配達の日の前日に、私の家のポストへ配達員の方へ配達のお礼と新年の挨拶を書いた手紙を貼ってから私も配達へ向かいました。
配達後に帰宅すると、いつもの通り新聞が届いており、手紙は無くなっていました。
きっと持って帰ってくれたのでしょう。

そして、正月の休刊日明けの日、ポストに朝刊と葉書が入っていました。

元旦は、新聞配達のアルバイトをしているため3時には配達所を出て分厚い新聞を配るのですが、なかなかポストに入らず、また極力シワや折れ目がつかないようにいつも配慮するようにしているので苦労します。 さて、確か中学生の頃の道徳の授業で使う教科書...

Posted by 渡辺 裕也 on Tuesday, January 3, 2017

そこには、「お手紙ありがとうございました」と手書きでお礼が書かれていました。
私はその一行のお礼の言葉に、非常に嬉しい気持ちになりました。

日常の生活は、何事も当たり前のことばかりのように感じられます。
でも、その”当たり前”を当たり前にしてくれている誰かの支えが必ずあります。
誰かがどこか見えないところで関わっているからこそ、出来ることが沢山あります。
その”当たり前”に目を向け、関わりを想像し、感謝することは大切なことだろうと思います。

そして、日常の当たり前に感謝すると、なんだか自分自身も気持ちがいいものです。
当たり前が貴重なことであると気づけたときに、ほんのりと自分は幸せなんだなと感じられるような気がします。

日常の”当たり前”に感謝して、日々過ごしたいものです。

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