自己紹介③

自己紹介②からの続きです。

晴れて(?!)、地元の高校に通うことになった私。学区があるためにもともと高校は2つしか選ぶことが出来なくて、進学クラス(といっても、高校卒業後に就職をしないという程度のもの)の選択肢が2つと、情報処理科、商業科の合計4つしか選択肢しかありませんでした。進学クラスの選択肢についても、電車で通うか自転車で通えるかの違いぐらいしかなくて、どっちもどっち。そういうわけで、近い自転車で通えるほうにしました。

 この学校、先ほど挙げた、商業科(この学区で、1番勉強は得意ではない生徒が集まる)と情報処理科(ちょっと特殊な人たちが集まる。1クラスしかないため、3年間ずっと同じメンバー)と普通科(高校卒業後、大学、短大を考えている生徒が集まる)によって構成されています。なので、3つの学校が一つになっているようなところ。また、学区が決まっているので、入学する生徒も7つの中学校からしか集まらない。今思い返してもなんと、閉鎖された地域だったのだろうと。そうは言っても、中学生からすると、新しいメンバーが増えるのでとてもわくわくしてましたが・・・

普通科は3クラス、120人ぐらいでした。部活もほぼ全員が入らないといけないような風潮で、中学からやっていた運動部に入ったのですが、顧問とうまくいかず1年でやめてしまいました・・・その後はいわゆる帰宅部。放課後になると、みんな部活に行くのに、カラオケやボーリングに行ったり、そのまま家に帰ってテレビを見たり。のほほんと毎日を過ごしていました。高校2年時の担任の先生が後から教えてくれたのですが、入試の段階では一桁の順位で入学していたようなのですが、気付いたら30-40番目になっていました。将来のこと、進学のことをぼんやりと考えてはいましたが、具体的にはならず。

 小さいときは、親の仕事や学校の先生といった自分に近い人しか、「大人」を知らないため、仕事もあまり知りませんでした。なので、医者になるとなんとなく言っていましたが、Jリーガーになりたいとか夢のようなことも言ってました。なんとなく、教育って素敵な仕事だな〜とは思っていました。中学生の時、家庭科の授業だったかで近くの幼稚園に行く授業がありました。そのときにとても園児が可愛くて、目をキラキラさせて全力でぶつかってくるのを見て、教育をするなら、早い段階で教育に携わることが出来れば、その分その後に影響があるのではないか?と思って高校に入った頃には、保父さんになりたいと思っていました。それもあって、そんなに勉強しなくても大学には行けるだろうとタカをくくっていたのはあるかもしれません・・・

 ただ、あることをきっかけに、やっぱり医者になろうと高校2年生の秋に決めたのです。

自己紹介④に続く

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