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ドラマ「silent」が見せる分断とは


主人公 青羽紬(川口春奈)と佐倉想(目黒蓮)の会話シーン

 2022年10月6日からフジテレビ系「木曜劇場」枠にて放送されたドラマ「silent」は、主人公 青羽紬(川口春奈)と佐倉想(目黒蓮)のラブストーリーだ。佐倉想は中途失聴のため、音声がきこえないことに対する抵抗があって、なかなか障害受容ができないことがこのドラマを通して描かれていた。その中で、青羽紬・親友役の戸川湊斗(鈴鹿央士)・ろう者役の桃野奈々(夏帆)らと分断や軋轢を起こしているシーンもいくつかみられた。

 佐倉想は、きこえない人=当事者、青羽紬・戸川湊斗は、きこえる人=非当事者であり、当事者・非当事者の分断が描かれている。それだけでなく、桃野奈々は、きこえない人=同じ当事者であり、当事者の中の分断についても描かれている。

 当事者をどこからどこまでの範囲とするかは、人によってそれぞれである。聴覚障害者というきこえない・きこえない人を一括りにする人もいれば、ろう者・難聴者という分け方をする人もいる。本記事では、当事者=聴覚障害者として、話を進めることとする。

 分断を引き起こす要因としては、主に次の2点があると考えている。

  1. アイデンティティの未確立(障害受容ができていないなどが理由)

  2. 拒否・拒絶反応

 上で挙げた例は、(1)アイデンティティの未確立が原因であり、「silent」のメインテーマであるように思うが、(2)拒否・拒絶反応についても、本ドラマでは描かれていたので、本記事ではこちらを中心に紹介したい。

当事者と非当事者の間の分断

「手話ができるってだけでわかった気になりたくないんです。どうしたって僕は聞こえるので、ろう者同士みたいにわかり合えないんです」

連続ドラマ「silent」(フジテレビ系、10/6-12/22放映)第4話よりセリフを筆者書き起こし

 このように手話講師できこえる人の役を演じた春尾正輝(風間俊介)はバッサリと言い切った。当事者のことは当事者しか分からないということだ。ここに、当事者・非当事者の分断が描かれている。しかし、このドラマでは、それだけでなく、同じ当事者の中の分断についても描いていた。

当事者と非当事者の分断

当事者の中の分断

 さらに、ろう者の江上美央(那須映里)が中途失聴者の佐倉想(目黒蓮)のことを「私たちとは違う」と線を引き、「理解し合えないことあって当たり前だよ」と言ったように、当事者の中でもいくつもの分断がある。

当事者の中の分断

 ドラマ「silent」はこういった無数の分断が描かれていて大変印象的だった。この分断について、どうすべきなのかを個人的に考えたことをまとめてみた。

分断するマイノリティコミュニティ

 日本人の約7%が障害者というマイノリティ(少数派)に属しているが、その中でも特に聴覚障害者は多様性があると言われている。
その多様性は、障害者なら普通にある「障害の程度」や「使用している補装具の違い」だけでなく、コミュニケーション方法・使用言語の違いがあることにより、複雑化している。

 コミュニケーション方法・使用言語としては、日本手話・日本語対応手話(手指日本語)・日本語(書記日本語も含む)などがある。また、補装具としては、補聴器・人工内耳などがある。補装具を使わない方もいる。

 そのため、他の障害者とは違った独自性のある聴覚障害者のマイノリティコミュニティでは、「違い」を「調和」に変えていく力や仕組みが不十分である現状では、分断が起こりやすい状況にある。例えば、同じ聴覚障害者同士で、以下のようなやりとりがある。

言語・コミュニケーションに関するやりとり…相手を否定する
例1:「あなたの使っている手話は日本語対応手話だから、ダメ」
例2:「その手話は日本手話じゃないよ(手話の表現を否定するなど)」
例3:「日本語の使い方がおかしいよ(日本語が得意な人の指摘など)」

例1・例2は、手話に関する評価・批評だ。手話には、前出の通り、日本手話という日本語とは違う文法体系を持つ言語と、日本語対応手話(手指日本語)があり、人によって、このいずれか、または、混じったものを表出している。また、同じ言葉でも表出方法が人それぞれで異なることがあることが特徴だ。そのために、使用する手話を否定することで、相手を傷付ける場合がある。
例3は、日本語に関する評価・批評だ。日本語の得意・苦手な人がいた場合、日本語の間違いを指摘することで、同じマイノリティの中で、上下関係ができ、その結果、抑圧が生まれる。

障害(聴力)に関するやりとり…心理的距離を遠ざける
例1:「聞こえないとダメだね」
例2:「(少しは)聞こえるんだ」
例3:「発音が上手だね」

例1・2は、きこえ方に関する、例3は、発音に対する評価・批評だ。
いずれも、マイノリティ自身が、マジョリティ側のイデオロギー(音声中心の考え方)に影響を受けたり、同調していたりすることにより、別のマイノリティを抑圧してしまい、心理的距離を遠ざける結果となる。音声中心の考え方は、オーディズム(Audism)と呼ばれるもので、興味がある方は、こちらを参照のこと。

 こういったマイノリティコミュニティの中の多様性によって、分断されると力を合わせることが難しくなり、何か大きな社会問題(例えば、情報格差など)を解決することが難しくなってしまう。こういった「分断」を防ぐためにはどのようなことが必要か。今回は、聴覚障害者やマイノリティコミュニティに限らず、社会全体にとってヒントとなる考え方を1つ紹介したい。

「複雑さ」に対応する能力

 生涯発達理論を提唱したドイツの心理学者ポール・バルテス博士は、複雑な状況や困難に対応する時に私たちを助けてくれる能力を「適応的知性」と名付けた。具体的には次のようなものがある。

  • 価値観の違いを認識し、分断でなく調和に導く能力

  • 不確実さや曖昧さを楽しみ、可能性やチャンスにつなげる能力

  • 自分の行動がもたらす長期的な結果を予想する能力 など

 これらの能力はその人個人の生きやすさだけでなく、その人が所属するコミュニティの生きやすさにもつながる。

「複雑さ」に対応する能力の発達

 この「適応的知性」は、どのような段階を経て発達するか。
ある研究では、成人の適応的知性の発達段階を4つに分類している。
人は、人生の中で困難に向き合い失敗を重ねながら、この知性の段階を徐々に高めていく。

第1段階:利己的知性   自分の快・不快で判断
第2段階:環境順応型知性 所属コミュニティの優劣で判断
第3段階:自己主導型知性 所属コミュニティの価値観を理解した上で自律的に判断
第4段階:自己変容型知性 自分の価値観の限界を認識し、多様な視点から判断

『なぜ人と組織は変われないのか ハーバード流 自己変革の理論と実践』(英治出版)をベースに筆者が改変

第1段階:利己的知性
「自分にとっての快・不快」に基づいて善悪を決める傾向がある。人や物事を「敵か味方か」「白か黒か」に分ける。そのため、他者との調和が難しく、ストレスがかかると分断に向かう。

第2段階:環境順応型知性
所属コミュニティのルールに忠実に行動する。集団内の序列を通して自己(自我)を形成しており、順応の対象は権威だ。所属コミュニティでの「優劣」「勝ち負け」に基づき善悪を決める傾向がある。

第3段階:自己主導型知性
所属コミュニティにある価値観を理解した上で、それへの無条件で順応することを脱却し、よりよい物事の捉え方や行動を模索する。自律的に考え、行動する知性だ。

第4段階:自己変容型知性
自分の価値観の限界を認識し、あらゆるシステムや秩序は完璧でないという前提に立って物事を見ている。自分の視点を柔軟に転換し、他者の立場や環境の状態など、様々な方向から物事を理解しようとする。

 第4段階の知性を持つ人々は、相反する考えを調和に導くことができる。他者を幸せにし、結果として自分も大きな幸せを得ていく知性だ。この知性は言うまでもなく、所属コミュニティだけでなく、社会全体の発展にも寄与する。

「複雑さ」に対応する能力の発達を阻害する要因

 適応的知性は人生を通じて発達するが、ほとんどの人は第4段階まで到達できない(成人の第4段階の割合は1%未満)と言われている。このように「複雑さ」に対応する能力の発達を阻害する要因は何なのか。

 ある研究によると一般的な親は子供に、「何時に寝る」「何時に宿題をする」など、平均で6つのルールを課しているそうだ。ところが、創造性の高い子供の家庭のルールは平均で1つ以下。しかも、特定のルールではなく道徳的価値観に重点を置き、それに基づいて行動するように指導している。
(心理学者のテレサ・アマビールの研究結果による)

 ただ社会のルールに無条件で従って行動するのではなく、「自分の頭で考え」、価値観と行動を「選び取り」、自分の行動の結果を「客観的に評価し」、自己変容を「繰り返す」。これが、適応的知性の発達の素地を作っている。ルール(規則)ベースではなく、プリンシプル(原則・理念)ベースで考える訓練が重要だということだ。

 しかし、子供時代の画一的な教育や規則などが影響し、「思考停止」や「指示待ち」に陥ってしまっている人も多くいる。大人になってから、自ら考え行動し、他者の思考を理解した上で調和に導く能力を高めるには、どうしたらよいのだろうか。

 多様な思考や価値観に触れながら、自分の考えを客観的に振り返り(メタ認知)、それを変容させる必要があると気づかせる。そして、その課題に意識を集中することを繰り返しながら、人は適応的知性を発達させることが重要だ。

 適応的知性の発達に関しては、障害の有無やマジョリティ・マイノリティによらず、親の価値観や教育力、その子本来の感性、教師との出会い…など様々な影響を受けてくると思われる。

マイノリティならではの難しさ

 ただ、その一方で、マイノリティならではの難しさもある。いわゆるマジョリティの価値観を押し付けられ、サバルタン(従属的社会集団)的な状況にある場合、マジョリティ(多数派)による抑圧(バイアス)を認識できないことが多くある。そのため、適応的知性を発達させることが困難な場合がある。

 例えば、ろう教育というきこえない子どもを教育する現場では、サバルタン的な状況にあるため、マジョリティによる抑圧の結果として、「発音が上手にできる」「聴覚活用ができる」ことが評価される傾向があるが、発音比べなどのネガティブな評価を公然と示されることはない。ただ、「手話が上手である」といった評価はあまりされないため、潜在意識としては「発音」「聴覚活用」の優位性が埋め込まれていくため、当事者の中で分断を生み出しやすくなっている可能性がある。

 教育環境として、日本手話を選択する場合は、そういった方が伸び伸びと育っていって、マジョリティ(多数派)による抑圧(バイアス)を正しく認識し、適応的知性を発達させることが重要だ。

参考記事

以下の記事を参考に一部引用して執筆いたしました。


あらゆる人が楽しくコミュニケーションできる世の中となりますように!