見出し画像

カスハラは「お客様」という呼び方が一因に⁉お客は「神様」でも「お殿様」でもないので「お客さん」で十分!

カスハラ(カスタマー・ハラスメント)問題が深刻化しているようだ。
カスハラによって現場の従業員が病んで仕事を辞めてしまうケースなど、労働力不足の日本社会全体の損失にも繋がりかねない。コンプラ偏重社会の弊害とか原因は色々あるのだろうが、「お客様」という呼び方が一因になっているのではないかと思えてならない。

お客なんて、お客「さん」で充分! 少し前まではそれが普通だった。「お客様は神様です」というアキンド精神は昔からあったが、今の「お客様」は、そういう本来の奉仕の精神からきているというよりも、形式的な「顧客本意主義」が蔓延るようになってからのものではないか?かつては社内では平気で「客」「お客」と呼んでいたものを、いつしか社内でも「お客様」と呼ばせるようになり、当然、接客の現場では「様」が徹底させられる。そして巷に「様」があふれかえっている。

しかし、言われる方にとっても「様」は少々こそばゆい。私はそこまでエラくないし。名前で呼ばれる時には「○○さん」で充分で、同じ一般市民の人から「○○様」はヤリ過ぎ。私はお殿様ではないので。

そもそも「金を払っているから何をしてもいい!」「金を払っているんだから自分の方がエライんだ!」などという考えは、貨幣経済の根本を履き違えているのだろう。

自分が今、目の前で労働している人に支払っている金は、自分がこれまで労働することによって得たものだ。自分の労働の価値を、貨幣を媒介として、他者の労働に対して支払っているだけのことである。労働の対価に過ぎない貨幣を介して、時間と場所を変えて、自分の労働で他人の労働の共益を受けているだけのことである。

もし貨幣というものがない世界なら、直接、労働で取り引きすることになるので、時間ごとに客と労働者の主客が入れ替わるだけ。午前中は自分が店員で午後は自分が客、という具合に。それなのに「金を払ってるんだから自分の方が偉い!」というのは、別の時間と場面で働いている自分自身に対して偉そうにしているのと同じことだ。そんなことすら分からない者たちを「様」呼ばわりするから、勘違い客を増殖させているのではないか?

呼び方を変える、などという表面的な対応ではなく、「いいものを安く提供する」という本来の顧客本位主義を実践してくれていれば、誰も呼び方なんて気にしない。努力と工夫で安くて新鮮な魚をいつも提供してくれる魚屋の大将から「○○さん」と呼ばれて怒る客はいない。逆にそこで「○○様」なんて呼ばれたら気持悪くて、「今日の魚は何かヤバイのか??」と訝ってしまう。そういう当たり前のことができない会社が逆に表面的な形式だけ整えようとしているのでは?

これからはみんなお互いに「さん」で行きましょう!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?