自分で決めたことをいくつやるか?人生の差とはそれだけのこと。でもそれが一番難しい・・・
自分で決めた目標を何とか達成しようとするか、それとも単に流してしまうか。一つ一つは小さな目標であっても、その積み重ねがやがて大きな差となって顕れる。それは、達成した目標そのものの持つ意味よりも、その目標を達成するためのプロセスの積み重ねの方がより大きな意味を持つからだ。
何も考えずただ単に「あ~、やっぱり今回も駄目だった」を繰り返すか、結果的には達成できなくても、何とか達成しようと色々な努力や工夫をするか、この違いの累積になるからだ。
一生懸命勉強していい学校に入る、テニスの試合で県大会に出る、資格試験に合格する、体重を5kg落とす、明日の朝は早起きしてランニングする、等々・・・ いろいろなレベルの目標があって、みんなそれに挑んできたはずだ。
達成できないと「あの人は優秀だから達成できるけど、自分にはそんな能力がないから無理なんだ」と能力のせいにしたりする。しかし、例えば「1日1万歩あるく」というような、能力差など関係なく、やろうと思えば誰にでもできるが、ある程度の努力や意識がなければ難しい、というようなケースではどうか。私もメタボ対策も兼ねて実際にやってみた。
~毎日1万歩を目標にしたら世界が変わった~
私の場合、1日1万歩という目標はそれなりに高い目標である。普通に生活していると6,000~7,000歩ぐらいは何とかいくが、そこからの3,000~4,000歩をどう上乗せするか。しかも毎日となると、それなりに考えないと簡単には達成できない。
その3,000歩をひねり出すために小さな工夫を毎日考えるようになった。まず、常にスマホをポケットに入れるようにして歩数カウントを少しでも増やす(あまり本質的な取組みではないが・・・)。エスカレーターやエレベーターではなく、なるべく階段を歩いて上る。
そして移動の際は、時間が許せば車ではなく自転車で、さらには歩いてもいける距離は徒歩で行く。通勤時も一駅分、もしくは早めに出たときは二駅分、徒歩に代える。この習慣によって、これまでは単なる移動のための通り道でしかなかった場所が、一つ一つ意味と個性を持った人々の暮らしの場であるということが見えるようになった。雨の日には、通勤時や昼休みに歩けないので、その分をどこで補おうか、一日のスケジュールを考える。
こうやって色々と工夫しながら続けていると、当初の「健康のため」という目的などどうでもよくなり、日々、いろいろな障害が発生する中でいかに1万歩を達成するか、というゲームのような感覚になってくる。
~小さな積み重ねが複利効果でやがて大きな差に~
目標を立てて、それを達成するためにいろいろな方法を考える。そしてそれを実行していく。この繰り返しの中で自然と分析力や意志力、目標完遂力などが身についていく。
子供のころ、決めた九九のドリルをどれだけやったか、バットの素振りを何回やったか、が大人になってからの差になる。たとえ数学者やプロ野球選手になれなくても、眠りたいとき、遊びたいときに我慢してどれだけ目標に向かって頑張ったか、が大事なのだ。
一つ一つは小さな目標だが、その積み重ねによる複利効果は絶大である。複利効果では、原資の大きさが加速度的に利くので、最初はごくごく小さなものが雪だるま式に膨張する。例えば、最初の1円を、毎日、倍にし続けることができれば、2日目には2円、3日目には4円、4日目には8円と最初は小さな額だが、これが1か月後には何と5億円を超える計算になる。
人間の能力も、習得したものを元にさらにレベルアップしていくのだから複利効果と同じで、最初の僅な差が永年累積し、やがてとても大きな差となる 。
ただ、普通の人間にとっては、一つでも目標を達成するのは相当難しい。分かっていてもなかなかできない。だからそれをいくつもやり続けることができた人は、大きな力を手にして世の中で君臨するのだろう。
決めたことをやるかやらないか。人生の差はたったそれだけのこと。でも実はそれが一番難しく、できた人は偉人になる。
実にシンプルなルールだ。
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