凱旋門賞4勝の名手〜オリビエ・ペリエ「野望あり〼」を読んだ。
古めの本(2008年発行)、そして思い切り積読していたこちらの本を読みました。帯には「ニッポン競馬の不思議な魅力ーすべて語りマス」と書かれていました。
フランスを代表するトップジョッキー
オリビエ・ペリエは凱旋門賞4勝(1996年エリシオ、1997年パントレセレブル、1998年サガミックス、2012年ソレミア)の世界的な名ジョッキーであり、以前は毎年日本に短期免許で乗りにきていた、オールドファンにはお馴染みのジョッキーです。
2012年にフランスに遠征し凱旋門賞に挑戦したオルフェーヴルが、ゴール寸前で交わされたのがペリエのソレミア。日本の競馬ファンにとっては痛恨の思い出であり、かなり多くの人が「よりによってペリエかよ〜!」と悔しがったことと思います。
1973年生まれなので、23歳〜25歳にかけて凱旋門を三連覇。
日本でも有馬記念を2002年・2003年のシンボリクリスエス、2004年のゼンノロブロイと三連覇。これが29歳〜31歳にかけて。
20代からのこの活躍ぶりはすごい。
ペリエが野望(?)を語る本
最近の記事(こちら)で、好きだったロイヤルタッチのことを書いたのですが、そのロイヤルタッチの2つの重賞勝ちをエスコートしたのがペリエでした。
ロイヤルタッチとペリエのコンビは2戦2勝の無敗。もしそのままコンビが継続されていたら、ひょっとしてG1に手が届いたかもしれない、などと妄想を膨らませたりしていたら積読にしていたこの本を思い出し、読んでみました。
内容ですが、真面目に野望を語っている部分と、お茶目な部分が入り混じっていて、スラスラと読めてしまいました。
騎手本ではよくある、自身が語っているスタイルで書かれています。
なぜ日本を愛してしまったのかーー
ペリエは3つの理由を挙げており、一つ目が「安全な国」なので、競馬以外の普段のフリータイムをリラックスして過ごせること、二つ目は「一年中競馬が施行されていること」、三つ目が「賞金が高いこと」と語っています。
また、日本の競馬ファンの素晴らしさについても褒め称えていました。
ただ、この手の本には必ず日本競馬への提言も含まれているものなのですが、日本競馬の良くない点として、草の剥げた部分に砂を撒いてごまかすのは良くない、馬の脚にとっても良いはずがない、と主張しています。あとは、当時の調教師の馬具に対する知識が不足しているという不満も漏らしています。
なぜ日本に来なくなったのか?
この本は2008年に出版されたもので、おそらくペリエが日本で最も活躍していたのが有馬記念三連覇の2002年〜2004年頃なので、やや騎乗機会が減っていた(のか、意図的に減らしていたのか?)頃に作られた本です。
その後、2010年代に入ってからは、ペリエが日本にやってくることはめっきり減ってしまいました。
なぜ日本に来なくなってしまったのか、理由はわからないのですが、脂が乗っていた時期に現在のルメールやミルコ・デムーロのようにJRAジョッキーとなっていたら、相当活躍したであろうことは想像に難くありません。
日本の食べ物も大好きだったそう。。(これは、栗東トレセンの食堂だそうです。)
あまり、一般向けの本ではないですが・・
この本、「ボクはカレーうどんが大好き」と語った章のあとに、「石工だった父が墓石を彫っている姿を見て、”死はすぐそこにある”ことを学んだ」と語ったり、なかなかの緩急があります。
あまり一般向けの本ではなく、競馬ファン向け、それもある程度のオールドファン向けとは思いつつ、紹介してみました。
ペリエが競馬学校を出て所属したビアンコーヌ厩舎でデビューした馬は”サクラフトシ”といって、あの”サクラ”の冠で有名な全演植オーナーの馬で、もちろん”フトシ”の由来はあの小島太だった、というこぼれ話なんかも、面白かった。
最後に、個人的にも思い入れのある(儲けた)、2002年のペリエがシンボリクリスエスに乗って勝った有馬記念の動画を貼ります。
レースの後の勝利ジョッキーインタビュー。
ルパンではなく、ペリエです。。
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