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26年前の皐月賞を覚えてる。

トップ画像は1996年の皐月賞1番人気・ロイヤルタッチ

Number393号より引用

<2022/8/20記・伊藤雄二元調教師が逝去されました。数々の名馬を手がけた伊藤師。伊藤厩舎の代表馬といえば、ダービー馬ウイニングチケットや、競走馬としても繁殖牝馬としても名を残すエアグルーヴなどと思いますが、個人的に思い入れが強いのがエアグルーヴと同期のロイヤルタッチでした。>

あやうい1番人気。

思い出の皐月賞、あやうい1番人気。

週末に、牡馬三冠の緒戦、皐月賞が中山競馬場で施行される。
自分にとって思い出深いのが、今から26年前、1996年の皐月賞。
だいぶ前のレースになるが、近年のレースよりもよく覚えている。年をとってくると、最近の記憶よりも昔のことの方が記憶が鮮明だったりする。
中山競馬場に行ったのも、この時の皐月賞観戦が初めてだった。

目当ては1番人気のロイヤルタッチ
単勝オッズは3.6倍。
1番人気とは言え、”圧倒的な人気”、というわけではなかった。
そういえば、先週の桜花賞で1番人気だったナミュールは単勝オッズ3.2倍で10着に敗れてしまった。
1番人気で単勝3倍台というのは、けっこうぽろぽろ負けてしまうのだ。

前哨戦でまさかの敗戦。

皐月賞に臨む前、ロイヤルタッチは、前哨戦で”まさか”の敗戦を喫していた。
当時は中山競馬場で施行されていた若葉ステークス。
”圧倒的な人気”を集め、単勝オッズは1.1倍。
このレースを勝てばデビューから4連勝。皐月賞では、SS(サンデーサイレンス)四天王を形成していたバブルガムフェローダンスインザダークイシノサンデーと激突する。(サンデーサイレンスは米国の名馬で、日本に種牡馬として輸入され、次々と活躍馬を輩出していた。)

ロイヤルタッチは若葉ステークスをこともなく通過し、皐月賞には4戦無敗で向かうことになるだろう、と大多数のファンが信じての、1.1倍というオッズ。

しかしレースでは、2番人気(単勝オッズ9.6倍)のミナモトマリノスに完敗。

このレースは自分にとってかなりショックで、”まず負けないだろう”という思い込みが覆された最初の経験だった。その後、何度もこんな思いをすることになるが・・。

以前、こんな記事を書いた。


この記事でも引用したのだが、古井由吉氏が「こんな日もある」の中で、ロイヤルタッチの”負け方”をこのように書いている。

若葉ステークスでロイヤルタッチが敗れた。跳びの綺麗な馬だけに道悪が心配されたが、まずまず軽快なフットワークに見えて、向正面では早目に好位についた。それにしても馬体がやさしすぎて、走り方がふわふわと軽すぎるように思われた。あとから考えれば、道悪の地面にやはり脚がよくついていなかったのだ。重心も高かった。三コーナー過ぎて一度あがりかけて、上がりきれなかった。あれも足を取られかけたのだろう。それでもあらためてあがって、直線で先頭に立った時には、ちぎるかと思われた。そこへ重戦車のような勢いでミナモトマリノスが駆け抜けた。同じような体重なのにこちらのほうがはるかに頑丈な体格に見えた。重心の高い低い、脚が地についているかいないかの差なのだろう。

「こんな日もある 競馬徒然草」107pより引用


そうそう。
たしかに、こんな風にして敗れて、ロイヤルタッチの連勝は止まったのだった。
ロイヤルタッチの走りは、道悪の馬場の上ではたしかに軽すぎるようだった。


デビュー3連勝を飾ったロイヤルタッチ。

超一流のバックグラウンドをもつエリート。

ロイヤルタッチの兄は、1993年の日本ダービー馬、ウイニングチケット。所属する厩舎は、兄と同じく超一流の伊藤雄二厩舎。
1996年の伊藤雄二厩舎のクラシック戦線の手駒は特に素晴らしく、ロイヤルタッチの他に、牝馬戦線に”四人娘”、エアグルーヴ、マックスロゼ、センターライジング、メイショウヤエガキを擁していた。今で言うなら、矢作芳人厩舎のような存在だったろうか。
血統、厩舎ともに超一流のエリート、そんなロイヤルタッチがデビュー戦でタッグを組んだのは、これまた超一流の騎手、武豊。

デビュー戦3連勝を飾るが、、

デビュー戦は当然の1番人気で見事に勝利を収めた。(同日、のちのライバルであるダンスインザダークも同じように武豊とのコンビでデビュー戦を勝利。)
2戦目は、G3のラジオたんぱ杯3歳ステークス。このレースは当時、翌年のクラシックを占う上でかなり重みのあるレースだった。当時は今より重賞の数も少なく、現在施行されているG1のホープフルステークスよりもむしろ重みがあった印象さえある。
このレースでロイヤルタッチは、鞍上にフランス人ジョッキー、オリビエ・ペリエを迎えた。あの、2012年の凱旋門賞でオルフェーヴルをゴール手前で交わしさったソレミアに騎乗していたのがペリエ。(日本で有馬記念を三連覇したジョッキーとしても有名。)
このレース、ロイヤルタッチとペリエのコンビは4番人気。イシノサンデー、ダンスインザダーク、タイキフォーチュンに人気では負けていた。
ダンスインザダークには武豊が騎乗。先約のダンスインザダークを選んだらしい。
私は「4番人気なら妙味あり。」と思いロイヤルタッチを本命にし、いい思いをさせてもらった。ロイヤルタッチは1番人気のイシノサンデーにアタマ差で競り勝ち、3着のダンスインザダークには3と1/2馬身の差をつけて見せた。
3戦目もG3のきさらぎ賞。ここでロイヤルタッチはふたたびダンスインザダークと対決。鞍上は再度ペリエ。ダンスインザダークの鞍上は引き続き武豊。
私は再びロイヤルタッチを本命にして応援した。
レースは、辛くもロイヤルタッチがダンスインザダークに競り勝ったものの、その差はクビ差にまで縮まっていた。

9番・ロイヤルタッチ、3番・ダンスインザダーク

以前にも書いたが、このレースをテレビ中継で見ていたのだが、競馬評論の重鎮・大川慶次郎氏が、レース後に「ダンスインザダークは今後はもう、ロイヤルタッチには負けないでしょうね。」という意味のコメントをしていた。
当時は、「なんで負けた馬についてそんなことが言えるの・・?」と不思議に思ったものだった。
しかしその後、大川氏の言葉の通りになった。ダンスインザダークの血統や馬体、レースっぷりからその後の成長分を見通し、ロイヤルタッチはもう敵わないだろうという見立てだったのだと思うが、見事に的中したのだった。
ロイヤルタッチはその後、競馬場を去るまで、二度とダンスインザダークに先着することはかなわなかった。

今思うと、大川氏の言葉は、競馬の奥深さに触れた貴重な経験だったのかもしれない。

26年前の皐月賞を覚えてる。

4戦3勝で迎えた皐月賞。

ロイヤルタッチは、デビュー後3連勝を飾り、上述の通り、若葉ステークスでまさかの敗戦。
そして、4戦3勝で迎えた皐月賞、”あやうい”と言える、単勝3.6倍という微妙な1番人気に押し出された。
そう、押し出された人気だった。
というのも、きさらぎ賞でクビ差まで迫られたダンスインザダークは、次走の弥生賞を快勝し皐月賞ではロイヤルタッチよりも人気を集めると見られていたが、皐月賞前に発熱し、目標を日本ダービーに切り替えていた。
そして、前年のチャンピオンである朝日杯3歳ステークスの覇者バブルガムフェローはやはり皐月賞の前哨戦スプリングステークスを快勝したものの、骨折で戦線を離れていた。
もしもの話をしても仕方ないが、この2頭が皐月賞に出走していたら、ロイヤルタッチは3番人気での出走になっていただろう。

そしてこのレースで、ロイヤルタッチはトップジョッキーの南井騎手を背に後方を追走し、直線では先に抜け出したイシノサンデーを猛追するが、3/4馬身及ばず2着に終わった。

1996年皐月賞・ゴールの瞬間。


このレースは何度も見直した。


最後の直線、イシノサンデーは勢い余ってなのか、結構な斜行で他馬に迷惑をかけている。そして、ロイヤルタッチは確かに猛追してはくるのだが、勝負がついてしまった形勢になってから差し込んできたように見える。
斜めに走るのはよくないが、”ここで勝ち切る”という覚悟は、イシノサンデーと鞍上の四位騎手が上回っていた気がする。


いくつもの、”もし”。

このレースを見る度、何度も”もし”と思ってしまう。
もし、もう少しスタートがよくて、イシノサンデーの位置を取れたら・・。
もし、南井騎手が初騎乗ではなく、もっとロイヤルタッチを手の内に入れていたら・・。
もし、3番人気ぐらいでプレッシャーなく走れたら・・。
もし、ペリエが帰国せず、そのままロイヤルタッチに乗り続けてくれたら・・。

ロイヤルタッチはこの皐月賞後、ダービーは4着。(優勝したのはフサイチコンコルド、2着がダンスインザダーク)。
夏には函館記念に出走し6着。
秋は京都新聞杯3着、そして三冠レースの最終戦・菊花賞2着で、ともにダンスインザダークの後塵を拝した。

その後は年長馬を交えてのレースに出走するようになるが、当時の年長馬といえばサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーなど錚々たるメンツ。
結局ロイヤルタッチにとっての最後の勝利は、ダンスインザダークをクビ差退けたきさらぎ賞となってしまった。

通算成績は15戦3勝。

超一流のバックグラウンドを持ち、デビュー3連勝を飾った馬としては、寂しい競争成績に終わってしまった。

今振り返ると、G1勝利を掴む最大のチャンスはあの皐月賞だったのだろう。
しかしそれは完全に結果論。
それに、”もし”、ロイヤルタッチが皐月賞を勝っていたら、案外、四半世紀後にこんな文章を書きたくなるほどの想いは持たなかったかもしれない、とも思う。

あの、若葉ステークスでの”軽すぎた”走りと、皐月賞での、”届かないタイミングで追い込んできた”走りを、今も覚えている。

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