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劇作家の競馬観。〜寺山修司・虫明亜呂無「対談 競馬論 この絶妙な勝負の美学」を読んだ。

こちらの本、最初はなんとなく頭に入ってこなかったのですが、だんだん面白くなり一気に読み終えました。

1993年発行(単行本は1969年初版)


最初なんとなくしんどかったのは、読み終えてから振り返って思うに、詩人・劇作家である寺山氏と、やはり作家である虫明氏の独特の競馬観にうまく馴染めなかったようです。

読み進めるうちに、だんだんお二方の競馬観に馴染んできたようで、中盤ぐらいからわりとすんなりと読み進められました。

語られる時代としては、1960年代前半
二冠馬メイズイ戦後初の三冠馬シンザンなどの名が出てきます。
この二頭ぐらいは名前や主な戦績ぐらいは知っているのですが、ほかに多くの知らない馬たちの名が出てきます。

巻末に、競馬史研究家で多くの競馬関連の著作もある山本一生氏が各馬の解説を付けてくれています。


さすがにちょっと、”懐かしい”というレベルは超えている馬たちですが・・(汗)

トップ画像はグレートヨルカという馬で、同厩のメイズイが二冠をとった1963年(昭和38年)、メイズイの三冠を阻止した菊花賞馬です。

Wikipediaより拝借。


この馬、皐月賞・ダービーともメイズイの2着、秋にリベンジして菊花賞馬となった名馬ですが、なんと9歳まで走ったそうです。(現代のマカヒキみたいですね。)
このグレートヨルカについて、寺山氏はこう語っています。

 いまや九歳のグレートヨルカは運が悪いですね。だけど実力はほんとうはいちばんあると信じられてきた。メイズイの引退したあと、あの馬を負かす馬はいないはずだ、と。だけどいまは、そう思う人はだれもいない。よだれをたらして走る九歳馬!メイズイの仔がもうレースに出てくるのに、まだ童貞のままだ・・・これは運が悪い・・・。

45pより引用。


グレートヨルカ以外にも、寺山氏は、それぞれの馬にそれぞれのドラマを見て、彼らが一堂に介して形づくられるレースにまた、その瞬間にしかない物語を見る、そんな風に競馬に没入しているように見受けられます。
他にも、イチコという馬について、「後家の頑張りみたいな感じがする。戦争未亡人が、ひとりで子どもを七人育てているみたいで、美しいとは感じない。」とか、ニホンピローエースという馬については、トニー・リチャードソンの『長距離ランナーの孤独』という映画を持ち出し、「あんなにはかない逃げ馬はいなかった。」と語っています。

寺山氏の競馬観について、少し引用すると、、

 競馬は、抒情詩なのか叙事詩なのかという問題がある。(中略)一頭の馬と、自分の思い出みたいなものの中で、競馬を見ていくというのは、いい話だが、本質的ではない。(中略)競馬というのはもっと、そういう個人の情念みたいなものを越えた、一種の叙事性というか、全体性、集団性といったものがあることを無視できない。対立の同時性的表現が、実は大いに重要なのです。

16pより引用。

これに対し、虫明氏はこのように応えます。

 対立をかたちづくっている個々の単位が、それぞれに重要な要素を持っているというのが、競馬の面白さだというわけでしょう。

16pより引用。

つづけて、虫明氏。

 競馬をひとつのドラマとみる、というのは、レースにドラマチックな起伏の要素があるということでなくて、端役のひとつひとつの役割から性格、心理や感情、動作のはしはしに至るまで大事なのだ、それがドラマの進行を進めているのだというドラマ説なんですよ。あなたの言う全体ドラマ論で言うならば、ぼくたちは絶えず演出家の役割をし、一方では探偵事務所の役割をし、そのためには大多数のデータを絶えずファイルしていかないとならない。

19pより引用。


この辺のやりとりが、最初すっと入ってこなかったのですが、要するに寺山氏は極端に言えば出走馬の出自や血統から見えるドラマ、さらにレースまでに生まれた牧場や厩舎でのドラマ、騎手との物語などをすべて知った上でレースを見ることすなわち”競馬を見る”ことであり、それに対し虫明氏は、さすがにそこまで大量のデータはインプットできないでしょう、と異を唱えているのかな、と解釈しました。

寺山氏はまた、こうも言っています。

 ぼくはだいたい、二十何頭という競馬はばかげているという意見です。まあ、フルゲートに、一頭ずつというのが理想だという意見です。そういう意味で考えた場合に、現代人の悲劇みたいなものをきちんと因果律の中に納めきれる枠は、いまの八頭ぐらいが可能なんじゃないかという気がする。

43pより引用。


寺山氏の競馬観に基づくと、多頭数でキャラクターが掴みきれない馬がたくさんいて、またレースそのものも馬が多いのでごちゃごちゃっとして、何がなんだかわからないうちにレースが終わってしまう、そういうのは好みではないのかもしれません。

ただ一方で、共感できたんですが、ミオソチスというお気に入りの馬がいて、まったく人気がない時に大穴をあけてくれ、洋服を作った思いが二度あるんです、とか、1965年の皐月賞でチトセオーとダイコーターの穴馬券を取って、ワグナーの全集が買えた、と、わりと普通の競馬ファンの馬券自慢のような話も出てきます。

そういう、自分のような今の競馬ファンにも共感できるような語りがあったり、寺山氏・虫明氏の独特の競馬観や、競馬観を通して見える60年前の競馬界や社会の雰囲気をうかがい知ることができるのも、この本の面白いところでした。


そうそう、明日イギリスのアスコット競馬場で行われる伝統のプリンスオブウェールズステークスに、日本のダービー馬・シャフリヤールが出走します。
寺山氏と虫明氏の対談にも、少しアスコットについて語り合う部分があります。
この対談が行われた半世紀前には、日本のダービー馬をもってしてもまさかアスコットの最高峰のレースに出走なんて想像にも及ばなかったかもしれませんが。
明日のレースは寺山氏が好みそうな小頭数、それぞれの物語を持った精鋭揃い。楽しみです。

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