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ウオッカ◎はドストエフスキーが乗り移った?〜「孤独の◎は永遠にー成駿伝」を読んだ。

2016年8月に亡くなった競馬評論家・清水成駿さんを偲び作られた本、「孤独の◎は永遠にー成駿伝」を読み終わった。

2017年発行


亡くなった当時の東スポ、とってあった。

競馬予想のカリスマ、死す。もっと文章を読みたかった。。


東スポに連載されていた「馬単三國志」は毎回楽しみにしていた。

この連載は2003年から始まったそう。しかし、それ以前、競馬専門誌「一馬」に所属していた頃から、独自の予想理論で人気薄の馬に敢然と本命印「◎」を打ち、競馬ファンに人気があった。

競馬ファンのみならず、業界の周囲の人にも慕われていたのだろう。じゃなければ、こういう本は刊行されないと思う。

この本では、成駿氏の印の根拠が語られる競馬コラムが多く収録され、また、生前に交流のあった競馬評論家が氏との思い出を語っている。


氏の予想では、この本にも再三出てくるが、1998年のダービー、14番人気・ボールドエンペラーを本命にした予想(結果2着)が有名。
実力馬であり、結果勝ち馬にもなったスペシャルウィークを本命にし、相手の一頭(印で言うなら△)としてボールドエンペラーを拾う予想ではない、ボールドエンペラーに◎を打ったところが、なかなか他の人にはできない、氏ならではの攻めの予想だと思う。

あとは、2007年のダービー、牝馬のウオッカ(3番人気、単勝10.5倍)本命

ドストエフスキーの肖像画が目を引く。


この本に、ウオッカ本命の根拠を解説するコラムが収録されていた。

 ギャンブル、女、金。それは男にとって花札なら猪鹿蝶のセットにも似ている。セットは突然訪れる。その女のために戦い、その女のために稼ぎたいという強い思いに駆られる瞬間。(中略)
 ロシアの文豪ドストエフスキーも2人の女に翻弄され、救われた。1人は妻が病床にあるとき『賭博者』にもボリーナの名で登場する驕慢なうら若き美人。氏の情熱が燃え盛れば盛るほど、その炎を手玉に取った。パリを起点の長いバカンスでも、突き放し続け、氏の心を自在にもてあそぶ。
 やがて胸を焼き尽くした情熱は、氏をカジノへと走らせる。賭博で失ったものは金と女。得たものは莫大な借金。氏はこの借金を埋めるべく悪らつな出版人に全集の版権を売り渡す。


ここからどのようにダービーの予想につなげていくのだろう、と読者の方が心配になる書き出し。(氏の文章は、こう言うのが多くて、好きだった。)

このコラムで、氏はこのあと、ドストエフスキーを救う女性(『賭博者』の速記者であり、のちに妻となるアンナ)の名を出し、こう続ける。

 やはり、男の人生の狭間にはいつも女性がいる。それが良い女か、悪い女であるかはわからない。人それぞれ。他人から見て裕福で安穏な人生が、その男にとって幸せであったかどうかなど知る由もない。
 そしてダービー。その女を走らせ、その女に競馬史のヒロインたれと心から願うのがウオッカ。むろん、こちらもそれで賭ける。決してジゴロではない。男馬のダービーで牝馬に賭けるという歴史的な投資である。

この後に、ようやくウオッカ本命の根拠が語られる。
この年の牡馬・牝馬の混合戦の結果から、ダービーでライバルとなるフサイチオウオーやアドマイヤオーラを相手にしても十分勝負になる、といくつかの傍証を書き連ねていく。


正直、印がどう、というよりも、成駿氏の文章に惹きつけられ読んでいたと思う。

個人的には競馬新聞の印だけを見てもしょうがないので、印とセットで文章を読み、なんとなく響くところがあってようやくその予想を参考にする。
なので、文章を重視している。


最近、東スポに田原元騎手が登場するようになった。
このコラムもけっこう好き。
去年のチャンピオンズカップのソダシ無印は、「え?なんで沢尻エリカ?」「反抗期の不良娘?」と見出しに引きつけられてしまった。



あと、中村均元調教師のコラムも好き。(ボールドエンペラーを管理していた調教師であり、この成駿氏の本にも登場する。)

競馬を始めていた頃はエイトを買っていたけど、成駿氏の時代から、東スポに乗り換えてしまった。そういうファンは、結構いるのでは?



ところで、最後にこれは余談だけど、成駿氏が亡くなったのは2016年の8月4日。

この業界の人は、ダービーが終わると力尽きて亡くなってしまうことが多いような気がする。(成駿氏は、この年のダービーでマカヒキを本命にし的中させ、その後力尽きてしまった。)

なんとなく気になったので、少し調べてみると、

作家の山口瞳さんは、1995年8月30日に亡くなっている。
同じく作家の岩川隆さんは、2001年の7月15日に亡くなっている。
演出家の武市好古さんは、1992年の8月6日に亡くなっていた。
英文学者でレーシングプログラムに「馬名プロファイル」を連載していた柳瀬尚紀さんは、2016年の7月30日に亡くなっている。
作家の藤島泰輔さん(ランニングフリーの馬主さん)も、1997年の6月28日に亡くなっている。
同じく作家の虫明亜呂無さんも、1991年の6月15日が命日だった。

そして、社台グループの創業者、吉田善哉さんも、1993年の8月13日に亡くなっている。

どうしてだろう。

「今年のダービーまではなんとか・・」と生きる気力を振り絞るのかもしれない。


もちろん、競馬好きの人、みんながみんな、ではなくて、

寺山修司さんは、1983年の5月4日、ダービーの直前に亡くなっている。Wikipediaにも書いてあるが、ミスターシービーと吉永正人の勝利を、報知新聞の競馬コラムで「確信している。」とまで書いていたというのだから、見ることが叶わなかったのはさぞ無念だっただろう。。

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