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衣食住でいちばん大切なのは何か

丁寧な生活を送っている人がすきだ。
そういう人は、余裕があるのだなと思う。
衣食住が満たされていると、心に余裕ができる。


長い間、「住」に問題を抱えているから、こんなにも余裕がないのかな、と思ったりする。
衣食住の中で一番大切だと思うのは、「住」だ。


わたしにとっての家(ひとり暮らしの家)は、シェルターであり、お城でもある。安心してひとりになれる場所だ。
今住んでいる街は静かで、どんなに調べても「閑静な住宅街」以外の情報が出てこない、とても住みやすい街である。
長い間求めていたのは、穏やかで静かな家だった。


実家にいた頃、家は安心して過ごせる場所ではなかった。
もちろん、それなりに恵まれていたし、経済的に苦しかったわけではない。


けれど、毎日怒声が飛び、物が飛び、壁に穴が開けられ、悲鳴が聞こえる日々は、ノイローゼになりそうなくらい落ち着かないものだった。
もちろん、わたしに矛先が向けられる日もあって、部屋にはヘルメットを常駐させていたし、常に音楽で耳を塞いでいた。異常な現実を異常と認識していなかったわたしは、誰にも相談することなく、世の中こんなもんでしょ、と思いながら日々をやり過ごしていた。


高校生の頃から、口癖は「扶養されたくない」だったし、家を出てからやっと自分の人生が始まったなとすら思う。


GWになって、友人の結婚式のため、実家に帰ってきた。
大学四年間を過ごした京都や、幼少期から乗り続けた東海道線(琵琶湖線~京都線~神戸線)がだいすきなので、京都に降り立つと、なんとも言えない気持ちになる。
京都に帰ってきた、という事実だけで楽になれる。


実家は、体力的には回復するけれど、精神的に疲弊してしまう。親との対話はやっぱり少ししんどい。

わたしの親は、褒めて育てるタイプではなかった。
何をやっても「あなたはもっとやれる」「ことこれとこれができてないのが原因」と指摘していた。きっと、そこから這い上がることを期待していたのだと思う。
わたしはそれに耐えられず、まともな自己肯定感を持てないまま大人になった。


たまに実家に帰っても、そのような調子なので、せっかく家から出て仕事で成功体験を積んで少しずつ回復してきた自己肯定感が、ガンガン下げられていく。
自分のできることのフィールドで戦っているつもりなのだけれど、「あなたが先生なんて、本当に大丈夫?教え子が可哀想」と言われるのは、やっぱりショックだ。わたしなりの頑張りとか、目標とか、矜恃みたいなものが、ガラガラと音を立てて崩れていく。


きっといつまでも認めてもらえない状況を抱えて、もしくは「認めてもらえていない」という受け取り方をし続けているのだろうな。
だからこそ、わたしは少しでも子どもたちの良さを褒めて伸ばしていきたいと思うのだ。


今日はゼミの友人の結婚式で、たまたまゼミの先生にお会いした。
先生に会うのは1年ぶりくらいで、やっぱり変わってないなあと言われ、複雑な気持ちに。
けれども、とある場面で「キミ成長したね」と言ってもらえて、とても嬉しかった。

曰く、「期待通り成長していて、予想通りの懸念がある」らしい。
小野くん(声優の小野大輔さん)の座右の銘が「期待は超える、予想は裏切る」だったことを思い出して、わたしもそうなりたいなあと思うのだった。


卒業して数年経つけれど、今もこうして目をかけてもらえているのはとてもしあわせなことだ。わたしも、今見ている子たちの将来も、遠くから見守れたらいいな。


様々書いてきたけれど、家庭環境というか家の中の人間関係を含め住環境は、多大な影響を与えると思う。だからわたしは、どういう環境で何に影響を受けて生活したらどういう風な人格ができあがるのか、ということに興味があるのかもしれないな。

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