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他人と関係を持つということは、面倒くささも全部引き受けること 『今、出来る、精一杯。』


根本宗子さんという劇作家がいる。
尊敬する、三つ上のひと。


今年は、根本さんがご自身の劇団、月刊「根本宗子」を旗揚げされて10周年の記念イヤーで、たくさんの演目を観た。

GANG PALADEとコラボした、風俗嬢とホストの関係性を描いた『プレイハウス』
女子高生の放課後と、生と死を描いた『墓場、女子高生』
そして、今作の『今、出来る、精一杯。』

本当は、『クラッシャー女中』も観たかったのだけれど、人気が高すぎてチケットが取れずじまいで…(趣里ちゃんが観たかった…中村倫也さんの人気が凄まじかった印象。)


先週末、『今、出来る、精一杯。』を観た。
大好きなダンサーのrikoちゃんも、気になっていた春名風花さん(はるかぜちゃん)も出演するし、なんといっても音楽は清竜人さん。観に行かない理由がなかった。


『今、出来る、精一杯。』は、根本さんが23歳の頃に書かれた作品で、今回は3度目ぐらいの上演だという。
こんな壮絶な脚本を、23歳という若さで書いてしまえる根本さんは、凄まじい。
相当演劇を観る経験を積んできた人なんだなあ、という途方もない経験値を想像させた。
根本さんの演劇の凄いところは、「人間関係の描き方」が絶妙だというところだ。


登場人物全員に、少しずつ共感を覚えるところ、嫌悪感を抱くところ、こんな風にはなりたくないけれどこうなってしまう気持ちもわかるところ、などがあり、心の揺れ動きが凄まじくて、せわしなかった。
とりわけ、男女関係について、交際相手との向き合い方について、どうしようもないところも、どうしてこうなってしまうんだろう…というところも、どちらもあり、苦しかった。
人間関係は複雑だ、と言ってしまえば簡単なのだけれど、複数いるから複雑になるのではなく、1対1のコミュニケーションがそもそもうまくいっておらず、それが幾重にも重なって、息苦しく見えるのだ。


舞台はスーパーマーケット。
店長の小笠原と、アルバイトの篠崎ななみは恋人関係にある。しかし、パートの利根川早紀は、小笠原と関係を過去に持っていて現在も関係性を続けていて、事あるごとに篠崎をいびる。
あることがトラウマになって吃音になってしまった金子は、スーパーで唯一話せる相手として相手をしてくれる遠山陽奈のことを気に入っている。しかし、遠山には矢神という彼氏がおり、遠山も矢神にヤキモチを妬かせるためにあえて金子と親しくしている。
金子のところに、毎日「弁当をタダでくれ」と言ってくる車椅子の女性(長谷川)や、数日前に職場の同僚が自殺してしまい、事なかれ主義になった坂本
そして、そのスーパーにアルバイトの面接を受けに来たヒモの安藤と、その安藤に甲斐甲斐しく尽くす神谷はな

彼らはスーパーマーケットに集い、ストーリーは進んでいく。


それぞれの関係性に息苦しさを覚えながらも、それでも全員が自分の出来うる限りの精一杯で生きていることが伝わってきて、本当に苦しかった。
言ってしまえば、全員が他責的で、自分の当たり前が相手にとって当たり前でないことを、想像しきれていないだけなのかもしれない。


数々ある恋人関係の中でも、一番歪んでいて衝撃的だったのが、ヒモの安藤とはなの関係性。
(確かに、清竜人演じるヒモの安藤は最高にかっこよかったけれど、そういうことではなく)
「そうやってみんな俺の側から去っていくんだ」「俺のことなんか誰も好きじゃないんだ」とこぼす安藤の、そばに居続けられるはなの強さ。
毎日少しずつ、例えば500円とか、8000円とか、少しずつ生活費をもらって、それが積み重なってヒモになっていく様が妙にリアルで。


側から見れば共依存なのだろう、しかし二人だけの世界は美しくて、お互いがお互いだけを必要としていて、世界がそれだけで完結している。
はなが安藤との生活に没頭している間に周りは進んでいて、ある日はなの友人が亡くなって気持ちの整理がつかない日があった。
そんな日にも安藤は相変わらずで。「こんな日くらい、わたしの辛い気持ち理解してよ、何か楽しい話してよ」って訴えるはなの切実さと、「ごめん。」と言って、はなの気持ちを受け止められない安藤に、生々しさを感じた。


その時、「ごめん」というセリフは、相手への謝罪のように見せておきながら自己陶酔でしかなくて、「謝っている自分に酔っているのだ」と気づいた。「ごめん」と言えば、心の底から謝罪すれば、いいわけではない。それは謝りたい側のエゴで、言いたいだけじゃん、言ってスッキリしたいだけじゃん、自分を守りたいだけじゃん、と感じてしまった。
そしてこのような、謝罪をした気持ちになって自分だけスッキリするような自己陶酔に対して、身に覚えがありすぎて吐き気がした。息がしにくかった。

わたしは自活能力のない異性について全く魅力的に感じないので、はなの気持ちは一ミリも理解できなかったけれど、この関係性のどうしようもなさというかどうにもならなさがステージからビシビシと伝わってきた。
こういう他責的で共依存な人たちは、一生二人の世界で完結した歪んだ幸せを手に入れながら、どこまでも堕ちていけばいいのに、とさえ思えた。

きっとこういう、惚れた相手のためになら何でもできる女性と、それに甘えて生きていく自己愛を拗らせたヒモの男性の関係は、ありふれているのかもしれない。けれど、その空気感や歪さをこんなにも鮮明に違和感なく映し出しているのは、この舞台だけだなあと思った。

自活能力のない人は好きになれないと言いながらも、数々のねじれた関係性の男女の対がたくさん出てくる演劇の中で、この二人の関係性が一番印象的だったということは、きっと、自活能力がなくても人が寄ってくる人のことが羨ましいだけなのかもしれなかった。


「他人と関係を持つということは、面倒くささも全部引き受けること」
作品の終わりに、数々の番がそれぞれこのようなセリフを吐く。これが真実で、自分以外の他者と関わるということは面倒くさいことで、けれど関係性を持ちたいから、相手に興味があるから、踏み込みたいから、きっと面倒くささを超えて関係性を作ろうとするのだろう。

昨年度末に観た『愛犬ポリーの死、そして家族の話』もなかなかに凄まじかったけれど、今回の『今、出来る、精一杯。』はそれを上回るエグみの濃さで、「今日を大晦日にしたい…」と言っていたゆっきゅんに全面的に賛成したい。


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