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専業主婦の母の話

私の母は専業主婦だ。サラリーマン経営者にまでなった忙しい父を支え、家事も育児もほとんど全て一人でやってきた。

私が幼稚園の時は、お遊戯会のために本格的なドレスや着ぐるみなどの衣装を手作りし、小学生の時は15人以上の友達を呼んで誕生日会を開いてくれたり、クラス規模でクリスマス会の企画をしたりと、とにかく子どものために手を尽くしてくれた。おかげさまで私も姉もなに不自由なく元気に育った。

そんな主婦として完璧なように見えた母だが、私が10歳のとき精神疾患になった。一人で頑張りすぎた結果だ。半年入院し、そこから現在まで月に一回は通院している。

最近はいまだに忙しい、サラリーマン経営者の父と二人暮らし。田舎が合わなかった母の希望で都内に引っ越した。母にとって少し苦しい思い出にもなった子育ての地から離れ、前より少し気が楽そうだ。

しかしたまに悲しそうな、「助けて」と言わんばかりの表情でテレビ電話がかかってくる。そして自分の気持ちを抑えこんでしまいがちな母は、溜まった感情を私に話してくれる。

「こんなに頑張っているのに」「こんなに尽くしているのに」そういう言葉がポロポロと出てくるのを聞いていると、「母は感謝の言葉を浴びていないのかもしれない」と思った。

ありがたいことに周りの人のおかげで私は、「ありがとう」という言葉を毎日浴びている。食器を洗っただけで、優しく仏のような夫から「ありがとう」感謝され、仕事でもありがたいことにクライアントさんから「ありがとうございます!」と言っていただけている。

この日々のありがとうは、元気がない時こそ効力を発揮する。仕事がうまくいかなくて凹んでいる時、幸先不安でどうしようもない時、自分のできない部分に目がつき落ち込んでいる時の私を励まし、支えてくれている。この言葉があるから、仕事も結婚生活も続けていられるのかもしれない。

しかし母には、その言葉を浴びる機会が少ない。仕事中心の亭主関白な父、仕事ばかりの姉、そして結婚してすっかり連絡をご無沙汰してしまっていた私。

病気もあって、人間関係が家族しかない母には私たちの言葉が大きな影響を与えるのだ。(不健康だと思う人もいるかもしれないが、今の母にはそれが精一杯の交友関係だ。)

それを忘れ、健康な私たち3人は、当たり前にいる母の存在に感謝もせず、まるで自分の力で生きているかのように自分たちの生活を送っている。

「いなくなってからでは遅い」その言葉を聞くのは、大切な誰かを失った誰かが後悔している時だ。このままでは、私たち3人もその「誰か」になってしまうだろう。

そう思い、さっき母に電話をし、感謝の気持ちを伝えてみた。母は涙ぐんで「そんな風に言ってもらえる時がくるなんて」と言った。つられて私も涙ぐんだ。そしてなぜか母は「いつもありがとう」と私に言った。






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