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語るにはまだ早かった。

「自分が大事に思うことを書いていきたい」と、書き始めたが、語るにはまだ早かったなと思った話。

今、家をもっと広く使いたいと思い、また、食器や服や靴や引っ越しのたびにそのまま移動させてるだけで使っていないものも多いので、断捨離をせっせとやっているとこ。

私のような心理構造の持ち主は、自分を見失いがちなので、だいたい、補填するものを求めて、何か学ぼうとしたりする。で、講座を受けたりする。グリーフケアの講座だったりカウンセリング講座だったり。まあつまり自分を癒すための講座なのですがね。で、そうしたテキストやノート、本なども多い。これをきれいさっぱり捨てるかなー、どうしようかなーという、迷いが生じる。

そこで、過去の自分が当時の心境をつづったメモなどが出てくると、「うっ」とな・・・ったんです。

「あら、きゃわいーわねー、こんなことで悩んじゃって。一生懸命だったものねーうんうん。いとしいわあ、この頃の自分も。わきゃ♪」ってなんない。全然なんない。むしろ、胸やけっぽい感じにすらなる。

・・・・・。

なるほどなるほど。つまり、こういうことが明らかになるのです。

”こういう感情を持っている自分はよろしくない”のだ。とっとと消し去りたいのよ、こんな自分は。だって今は違うもん、そこから脱した自分になってるんだもん。

だからそういうノートを捨てたくなる。否定したい自分がそこにある気がして。

過去の自分を愛せない自分がいました。

なのに、「自分を愛することがいかに大事か」を語れないわ。

メサイアコンプレックスの表れか。

こないだ読んだ聖書の一説で、ハッとなった箇所がありまして。イエスが、弟子を派遣するときに「二人組で」行くように指示しているんですよね。

ミッションを果たすときは、一人では行わないんだ。わたしは”一人”で、”自分の意志だけで”やろうとしていたな、と。

そんなわけで、”うながし”を感じたときだけ、書くことにしよう。それがいい。それでいいね。