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《大学入学共通テスト倫理》のための森鷗外

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。森鷗外(1862~1922)。キーワード:「「かのように」の哲学」「諦念(レジグナチオン)」主著『舞姫』『高瀬舟』『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『山椒大夫』『渋江抽斎』

これが鷗外

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立派なカイゼル髭と、やさしそうな瞳が素敵な森鷗外。彼は医学博士で軍医総監という軍内部で高い地位にもつきながら、小説、詩、戯曲、翻訳とさまざまな分野を開拓した偉大な文豪です。倫理では日本の近代的自我をつくった文学者の1人としてフィーチャーされています!

📝鷗外が、近代を思考した書として語られるのは例えばこれです!

これまでの洋行帰りは、希望に耀(かがや)く顔をして、行李の中から道具を出して、何か新しい手品を取り立てて御覧に入れることになっていた。自分は丁度その反対の事をしたのである。(『森鷗外全集3 灰燼 かのように』(ちくま文庫)p58から引用、ルビをパーレーンに入れる改変を行った)

森鷗外の「妄想」から引用。科学技術文明の進んだ西欧に少しでも追いつくことが正義な時代の中にあって、かなりななめ上な姿勢の鷗外です。「丁度その反対の事」にあたるのは、日本の伝統をそのまま続ければいいという意見。小手先の「新しい手品」のような技術より、古くなじんだ伝統の中に合理性があると感じているようです。ドイツ留学をしてそのすごさを目の当たりにしながら、西欧コンプレックスを感じさせない認識がグレートです。

📝この引用の小説「妄想」ではこんなグレートな達観が読めます!

生涯の残余を、見果てぬ夢の心持で、死を怖れず、死にあこがれず
(『森鷗外全集3 灰燼 かのように』(ちくま文庫)p69から引用)

これも森鷗外の「妄想」から。これが鷗外の人生の達観です。わずかな余命のなかで「見果てぬ」ものに顔をむけながら、従容として生きるグレートな姿勢が語られています!

📝鷗外の思索としては「かのようにの哲学」の洞察が高名です!

かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている。(略)人間は飽くまでも義務があるかのように行わなくてはならない。(『森鷗外全集3 灰燼 かのように』(ちくま文庫)p288から引用)

鷗外の小説「かのように」から引用。これが鷗外の「「かのように」の哲学」です。絶対的真理はこの世にないかもしれないが、それがある「かのように」人間は生きなければならないというもの。新カント主義からの影響もありますが、鷗外の生きた時代に流行したニヒリズムに対する態度決定として読むこともできます。

📝それをを1語でまとめると「諦念」になります!

日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。(略)父のrésignationの態度が、有道者の面目に近いということが、朧気ながら見えて来た。(『森鷗外全集3 灰燼 かのように』(ちくま文庫)p32から引用、ただし「résignation」「朧気」の、「レジニアシヨン」「おぼろげ」のルビを略した)

これが鷗外の「諦念」①。「カズイスチカ」から引用。絶対的な真理のために日常をおろそかにせず、それへの到達を断念したかのような「諦念(resignation)」をもって現実の仕事に向かう父の姿を描いています。ところで、この「カズイスチカ」という作品は東京北千住で町医者をしていた父を尊敬的に描いたものです。「有道者(ゆうどうしゃ⇒立派な徳を備えた人物)」

私の心持を何という詞で言いあらわしたら好いかと云うと、resignationだと云って宜しいようです。私は文芸ばかりでは無い。世の中のどの方面においてもこの心持でいる。(『森鷗外全集14 歴史其儘と歴史離れ』(ちくま文庫)p210から引用)

これが鷗外の「諦念」②。「Resignationの説」から引用。「かのようにの哲学」と合わせて考えると、絶対的な真理をつかめない虚無を認めながら、にもかかわらず生きることを肯定する思考だと言うことができると思います。そんなあきらめの哲学です。

ここで休憩を!(アップルソーダの画像です!)

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森鷗外の小説を読んでいると、登場人物がラムネなどのソーダ水を飲む場面がいくつかあります(「そめちがへ」など)。甘党で知られる鷗外なので、このハイカラな飲み物も好きだったかもしれません。以下では森鷗外の小説について読んでいきましょう!

📝鷗外は、倫理観念を問いつめた短編小説で有名です!

どうぞ堪忍してくれ。どうせなおりそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄きに楽がさせたいと思ったのだ。(『森鷗外全集5 山椒大夫 高瀬舟』(ちくま文庫)p253から引用)

これが森鷗外の『高瀬舟』。病気を苦にして自裁しようとした弟の思いを遂げさせることは許されるか。そういった「安楽死」(あるいは自殺ほう助)の問題に切り込んだ作品です。

高が四畳半の炉にくべらるゝ木の切れならずや、それに大金を棄てんこと存じも不寄、(略)仮令主君が強ひて本木を手に入れたく思召されんとも、それを遂げさせ申す事、阿諛便佞の所為なるべしと申候。当時三十一歳の某、此詞を聞きて立腹致候へ共、尚忍んで(『森鷗外全集4 雁/阿部一族』(ちくま文庫)p222から引用、ルビは全て略した)

これが森鷗外の『興津弥五右衛門の遺書』。主君の道楽からの命令を全うしようとして人の命を殺めたものが切腹する遺書。つまり、忠のため人命と自分の命を奪う状況を描いています。「たかが茶室の炉にくべる木の切れではないのか。それに大金を棄てるということも思いもよらないが、(略)たとえ主君が強引に手にいれたく思いなさっても、それを遂げさせ申し上げることは、こびへつらう行為であるだろうと言います。当時三十一歳のそれがしは、この言葉を聞いて立腹致しましたが、なお我慢して」が拙訳。明治天皇に殉死した乃木希典の影響があるそうです。

二三日立つと、弥一右衛門が耳に怪しからん噂が聞え出して来た。誰が言い出した事か知らぬが、「阿部はお許の無いを幸に生きていると見える、お許は無うても追腹は切られぬはずは無い、阿部の腹の皮は人とは違うと見える(略)」(『森鷗外全集4 雁/阿部一族』(ちくま文庫)p262から引用、ルビは全て略した)

これが森鷗外の『阿部一族』。優秀な家臣でありながら、主君に何となくうとまれたために、主君の死の後に切腹することを許されなかった、そんな阿部弥一右衛門の物語。引用は、彼が死なずに生きていることを馬鹿にしているとんでもない噂を耳にする場面。そして、彼が切腹を遂げても一族自体が藩から冷遇され、阿部一族に不遇がうち続きます。この作品は命をなげうつ「プライド」の物語と言えるでしょう。そのなまなましいむごたらしさを描いた傑作です。これも乃木希典の影響があるそうです。

📝あの『舞姫』も、センター倫理的には社会との摩擦が強調されます!

独逸に来し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。(『森鷗外全集1 舞姫 ヰタ・セクスアリス』(ちくま文庫)p30から引用、ルビは全て略した)

「ドイツに来た初めに、我が本領を悟ったと思ったし、また機械装置のような人間にはなるまいと誓ったが、これは足をしばられてはなたれた鳥がしばらく羽を動かして自由を得たと誇ったのではないのか。」が拙訳。恋愛を社会のしがらみで実現できない人間の不自由を描いた物語と要約できるでしょう。

📝そして何より、鷗外の小説で破格なのは史伝『渋江抽斎』です!

 わたくしはまたこう云う事を思った。抽斎は医者であった。そして官吏であった。そして経書や諸子のような哲学方面の書をも読み、歴史をも読み、詩文集のような文芸方面の書をも読んだ。その迹が頗るわたくしと相似ている。(略)
 抽斎はかつてわたくしと同じ道を歩いた人である。
(『森鷗外全集6 栗山大膳 渋江抽斉』(ちくま文庫)p109から引用、ルビは全て略した)

これが鷗外の『渋江抽斎』。作家のキャリアの集大成として鷗外は、資料をこつこつと発掘し、血族の証言や、墓地を訪ねるなどして江戸時代の医師の評伝の執筆を行います。この『渋江抽斉』が抜群に面白いです。ざっくりいうと、「生の相及ばざる」(同)者同士、つまり互いに生を交差しない者同士の不思議なつながりを感じさせる魅力があります。それは主人公だけではありません。抽斎の友人たちやその妻たちも生きた存在として描かれている。時代がどんなに変わっても、本作の「相及ばざる」人間の生が読めるこの小説の魅力はけっして減じないでしょう!

📝鷗外自身もこの時代に破格の個の存在感を放っています!

死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得ズト信ズ余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス(『森鷗外全集14 歴史其儘と歴史離れ』(ちくま文庫)p477から引用、ルビは全て略した)

これが森鷗外の遺書の一部。わずか200字あまりの短文で葬儀と墓の事務的な指示を行ったものですが、ここで読める個としての存在感は強烈な印象を残します。「死は一切を打ち切る重大事件でありいかなる官憲権力といえどもこれに逆らうことはできないと信じる。私は石見人森林太郎として死のうと思う」が拙訳。

日の要求に安んぜない権利を持っているものは、恐らくはただ天才ばかりであろう。(『森鷗外全集3 灰燼 かのように』(ちくま文庫)p68から引用)

ふたたび森鷗外の「妄想」から。「日々の要求に甘んじない権利を持っているものは、恐らくはただ天才だけであろう。」が拙訳です。上に引用した遺書と合わせて読むとき、厳粛なる死を前にしただれでも一個の「天才」として生きるべきという発想が読めると思います。個は他者からの要求に「安んぜない権利」をもつ。鷗外の存在は時代に破格をかもしていますが、彼は生きる全ての個の破格を認めようとしていたのかもしれません!

あとは小ネタを!

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これは森鷗外の短歌。壮大なスケールで我と汝(なんじ)のコミュニケーション不成立を描いた、切なくもおもしろい一首です。

文豪森鷗外の小品「大発見」。この作品のテーマはなんと鼻をほじること。このテーマだけをひたすらに書くテンションが、とても楽しい作品です。このまとめのために鷗外の小説を通読したんですが、この小品の面白さが発見でした。

森鷗外は本名林太郎が外国で通じなかった苦い経験から、子どもたちには、於菟(おと→オットー)、茉莉(まり→マリー)などと、「外国名としても通用する名前」を次々と命名した。自分と同じように、子どもが広い世界に立つ想像をしていて愛情を感じます。

↪長男の於菟(オットー)、長女の茉莉(マリー)、次男の不律(フリッツ)、次女杏奴(アンヌ)、三男の類(ルイ)と続きます。次男の不律は生後まもなくして亡くなっています。この悲しい出来事を鷗外は小説「金毘羅」に描きました。また、於菟、茉莉、杏奴もそれぞれエッセイでこの不律を回想しています(ところで、『講座 森鷗外1 鷗外の人と周辺』(新曜社)所収の田中美代子の「森茉莉の見た鷗外」は彼らの回想の事実認定の違いに触れています)。森茉莉「父の帽子」、小堀杏奴「朽葉色のショール」も評判通り名作エッセイでした! また鷗外の人を知る文章として『父の帽子』所収「父の底のもの」もおすすめです!

エレファントカシマシの傑作「歴史」。歴史上の人物の評伝(史伝)を得意とした森鷗外を評伝的に語りながら、同時にロックであるという楽曲。この口語文も最高です。エレファントカシマシの宮本浩次さんは森鷗外の愛読者だそうです。


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