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『潮騒(しおさい)』(三島由紀夫、新潮社)の感想

 解説に「素直すぎるほど素直な青春の恋物語」とある。確かに、「歌島」に住み、なんとか高校を卒業し、父を亡くした家計を助けるために見習い漁師として働いている新治は、はげしく素直な性格である。はげしく素直であるために、一目ぼれさえも、「その晩、寝つきのよい新治が、床に入ってからいつまでも目がさえているという妙な事態が起った。一度も病気をしたことのない若者は、これが病気というものではないかと怖れた。」(p14-15)という次第である。
 この激しく素直な新治と、純情な初江が恋を確信する場面はあまりにも有名だが、この小説の面白さはその後にあると思う。
 二人の恋があまりにも素直であるために、現実には絶対にうまくいくわけがないと読者が思うほどだ。その思いに忠実なように、二人の恋に障害がしのび寄る。青年会のリーダー格安夫は二人の噂を聞きつけ、初江への恋情と新治への嫉妬から、初江をおそおうとする。
「おどかそ思うて隠れとったんや」
「何だって今ごろこんなとこに」
 少女は、自分の魅力をまだあまりよく知らなかった。深く考えればわかることだが、当座は本当に安夫がおどかしのためだけにそこに身を隠していたのだと考えた。(p93)

 ピンチはすぐそこに迫っている。安夫は「事の前に逃がしたら、初江は父にいいつけるであろう。しかし事の後だったら」(p94)などと考える。不純な現実の論理が、まさに初江を危機に陥れ、新治との関係をも壊そうとしているのだ!
 と思ったら、「また蜂が彼の項(うなじ)を刺した」(p94)「今度は彼の尻にとまってズボンの上から尻の肉を深く刺した」(p95)という展開。何とも都合の良すぎる「救いの神」の出現だが、『潮騒』はこれでいいのだと思う。ファンタジーのように素直な性情をもった二人の恋が祝福されるべきだと思わせる。この二人の素直さと、恋の障害となったり応援する島民の性情のストレートさが、自身の内面にかかずらいがちな現代人にとってたまらない魅力となる。『潮騒』はそんな小品である。
(初江の手紙には)最後に安夫には決して隙を見せないから安心してもらいたい、と附け加えてあった。
 龍二は新治のためにいきり立ち、新治の顔にもめったにあらわさない怒りが走った。
「俺が貧乏だからいかんのや」
 と新治が言った。彼はこんな愚痴に類する言葉をついぞ口に出したことがなかった。自分が貧しいというそのことよりも、こんな愚痴を口にした自分の弱さを恥じて涙が出かかった。しかし若者は顔を強く引締めて、この思いがけない涙に抗(はむか)い、ぶざまな泣顔を見せずにすんだ。(p117)


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