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大学入学共通テストのためのバールーフ・デ・スピノザ

大学入学共通テストの倫理科目のために哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。バールーフ・デ・スピノザ(1632~1677年)。キーワード:「神即自然」「汎神論」「大陸合理論」「心身並行論」。著書『エチカ』

これがスピノザ

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オランダの哲学者で、デカルト、ライプニッツと並ぶ「大陸合理論」(※雑にいうと究極的な命題を打ち出して、そこから演繹的に哲学を展開する流派)の哲学者。その名も『エチカ(倫理学)』という著書で、神と人の思考を論じており共通テスト倫理では重要人物です。 ちなみに望遠鏡のレンズ磨きで生計を立てていた(だが実際はそう窮乏していなかった)逸話があります!

📝スピノザは「神即自然」の汎神論の哲学者です!

Pantheïsme werd populair in de moderne tijd vanwege het theologische en filosofisch werk van de 17de-eeuwse filosoof Baruch Spinoza(略). Spinoza had de opvatting dat geest en stof één zijn, en beide attributen zijn van een oorspronkelijke substantie, God.
(フリー百科事典Wikipedia、Pantheïsmeの項目から引用)

「汎神論は17世紀の哲学者バルーフ・スピノザの神学的哲学的著作によって近代に広まった(略)。スピノザは、精神と物質は一つのものであり、両者の属性がともに本質的実体であるところの神からなると考えた。」が拙訳。オランダ語ウィキの引用です。物質も精神も「全ては神」と言いきっています。すさまじい断定ですが、ここにスピノザ特有の理論の切れがあります!

📝それではスピノザの論理を簡単にたどりましょう!

 ①まず、世界の原因に対する深い考察があります!

我々が実体の原因を求めようとすれば我々は又その原因の原因を求めねばならず、更に又その原因の原因を求め、このようにして無限に進む。このようにしてもし我々が必然的にどこかで立ち止まらねばならぬとすれば(我々は実際にそうせざるえを得ないのだが)我々は必然的にこの唯一の実体のもとで止まらねばならないのである。
(『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』(スピノザ著、畠中尚志訳、p65ページ、ただし旧漢字旧かなづかいを改変、パーレンの箇所を省いた)

 「この世界が何から生まれたか」を問うこと。そんな始原への探求はその「始原」の原因をさらに求めてしまう意味で無限遡行を起こしてしまう(ビッグバン説さえ物理学で原因の宇宙観が語られる昨今余計納得できます)。
 スピノザは世界を原因を特定するには唯一にして絶対的なもの(無限&永遠)が要請されるほかないという立場です。彼は「神に酔える哲学者」(©ノヴァーリス)と言われますが、宗教的より高度に形而上学的な発想です!

②そして、この全ての原因そのものを「能産的自然」と呼びます!

 能産的自然とは、我々がこれまでに定義したすべての属性のように、自分自身以外の他の物を要せずにそれ自身で明瞭判然と概念される実有と解する。これは即ち神である。トマス学徒もこれを神と解したけれども、彼らの能産的自然は(彼らによれば)すべての実体の外に在る実有であった。
(『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』(スピノザ著、畠中尚志訳、p104ページ、ただし旧漢字旧かなづかいを改変、パーレンの所を省いた)

 これがスピノザの「能産的自然」。ここにスピノザの思考が凝縮しているでしょう。普通のイメージは(彼の言うトマス学派がそうですが)神が世界(や我々)を作ったと考えます。しかし、ここにスピノザは異を唱えます。
 乱暴にまとめると、①完全な実体はそれ自体完成している、②完全な実体と等しい実体は存在しない、③なので実体は実体を生まない、④その本質と並列的な本質はない、という4つの主張によって反論していきます。
 これらの理由は全て1つのことを指しているといえるでしょう。すなわち無と正反対であるところの「実体」はそれ自体で充実しており、他の「実体」を生む理由も契機も持たないということです。

③かくて、スピノザは次のような結論を繰り出していきます!

神のほかにはいかなる実体も存しえずまた考えられない/個物は神の属性の変状、あるいは神の属性を一定の仕方で表現する様態、にほかならぬ。
(『エチカ-倫理学-』(上)(スピノザ、畠中尚志訳、岩波文庫)p59/81から引用、「変状」「様態」の「アフェクティオ」「モードス」のルビを略した)

 これがスピノザの「汎神論」および「神即自然」。万物の父たる神が同時に万物であるという主張。物質も精神もすべて神の「所産(的自然)」であり、神のあまりある可能性の1つとみるという発想に彼は立っています。
 ちなみに、スピノザの「心身並行論」はどちらも神の2側面とみなすことでデカルトの心身の連絡に関わる難題をサクッと乗り越えています。また、一般的な意味での自由意思に対して否定的な立場です!

📝スピノザが掴む「エチカ(倫理)」を見ましょう!

 理性は自然に反する何ごとをも要求せぬゆえ、したがって理性は、各人が自己自身を愛すること、自己の利益・自己の真の利益を求めること、また人間をより大なる完全性へと導くすべてのものを欲求すること、―一般的に言えば各人が自己の有をできる限り維持するように努めること、を要求する。
(『エチカ-倫理学-』(下)(スピノザ、畠中尚志訳、岩波文庫)p33から引用、ただし、「より」の傍点を略した)

 これがスピノザの「倫理」。個々のものは保持を求め、また「全体」の一部である私たち「永遠の相のもとに」神の立場で認識し、理性により万物の共存を求めている。究極的に利己的=利他的は合致します!

📝スピノザは「愛」にも神即自然な形容を与えます!

 愛とはあるものを享受しかつこれと合一することにほかならない
(『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』(スピノザ著、畠中尚志訳、p129ページ、ただし「或る物」「且つ」の漢字を開いた) 

 これがスピノザの「愛」。スピノザは『エチカ』の後半で無数の感情を論じ、それらを自己保存や他者(とそれらのイメージ)に関わるもの規定します。短論文での「愛」は思惟とともに神的で偉大な性質を含むでしょう!

📝最後に、スピノザへの後世の哲学者のコメントを!

スピノザが神は無限の属性を持つとしたことを、つねに銘記しておくべきです。彼の言う無限の属性に類比的な何かがこの世にあることは、十分ありそうです。そんな属性を私たちは面識していませんが、しかし心的なものと物的なもので宇宙のすべてが尽くされたと想定する理由もないのですから、(略)すべて心的なものだと示唆することは控えます。私の知るかぎりでは、どれも心的だとしか言えません。
(『論理的原子論の哲学』(バートランド・ラッセル、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫)p101)

  これは「分析哲学」の始祖の哲学者の1人にして反核の平和運動家バートランド・ラッセルの著書の引用です。私たちの実感とは異なるものの、論理や思考がつかむ心理をこえた「何か」が存在すること。それを強力に主張したスピノザはたしかに偉大な哲学者でしょう!

あとは小ネタを!

 スピノザの最初の師匠といえる進歩的なユダヤ教ラビのメナセ・ベン・イスラエル。レンブラントが描いたと伝えられている彼の肖像画がこれ。

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↪レンブラントの弟子フェルディナント・ボル作の可能性もあります。ちなみに、スピノザは彼の思想が弾圧されユダヤ教を破門されています。


『数学的経験の哲学』の日本の哲学者近藤和敬氏は論文で、スピノザの『エチカ』の形而上学で政治を基礎づけようとする思考様式が「アルチュセールの後にドゥルーズへと引き継がれ、さらにネグリの『構成的権力』およびハートとの共著である『帝国』の議論にまで至る」としている。彼らに対して批判的な記述でも、スピノザが現代思想に与えた影響の大きさが分かる文章です。

↪「鹿児島大学法文学紀要人文学科論集」巻88, p46から引用しました。この論文(「エピステモロジーの伏流としてのスピノザ、あるいはプラトン」)はネットで読めますが、近藤氏のスピノザも関わる思考を『“内在の哲学”へ―カヴァイエス・ドゥルーズ・スピノザ』(青土社)でがっつり読むことができます!


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