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僕がペーパーバックを読み始めたわけ

 さいきんペーパーバックで英語の小説を読みはじめた。これに自分じしんがおどろいている。私は古今東西世界の小説が読める翻訳小説というものが大好きだし、自分の万倍の語学力をもつ翻訳者の仕事をいつもリスペクトしているし、唐突に告白すると翻訳された文の感触のフェチであるからだ。

 だいいち、日本語で小説を読むのさえはやいほうではない。だから、優に5倍は時間のかかるペーパーバック購読は今年45歳になる私の残りの読書人生にとってほんとうに血迷った選択だとも思えてくる。世の中のまだ読んでないすごい小説と出会うためにせめて少しはテンポアップしたらいいのに。

 それはそれとして、現在私はペーパーバック小説を読むことを楽しんでいる。ちょっとしたきっかけがあって、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.がそれだ。アメリカのSF作家で『愛はさだめ、さだめは死』『たったひとつの冴えたやりかた』の情熱的なタイトルの名作が日本でもよく知られている。

 ある日ツイッター(勤務校)の、英語の小ネタにティプトリーを使おうとし、作品数がそれほど多くないので全作読破しようと思い立った。すると未邦訳の長編があるのをウィキで知る。ティプトリーを短編作家と思っていたこれまでの私なら「いつか邦訳したら読もう」とながしていた情報だ。

 しかし、今回ティプトリーのもう一つの長編『輝くもの天より堕ち』を読みその面白さに瞠目していた私は「ぜひ読もう」と決意する。そして『輝くもの~』と抱き合わせのペーパーバックを本屋でみつけた。そのことに一瞬ためらったが購入することにする(多分ハードカバーなら買っていない)。

 私は喜び勇んで夜の地元の図書館に行き、辞書をとなりに本をひらいた。しかし、結果として私はこのティプトリーの長編を読むことができなかったのである。その理由がそのまま「僕がペーパーバックを読み始めたわけ」になるのだが、ここまでの話が少し長くなったので次回にまわしたい<(_ _)>

(つづく)

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