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『美しい星』(三島由紀夫、新潮文庫)の感想

「一家が突然、それぞれ別々の天体から飛来した宇宙人だという意識に目ざめたのは、去年の夏のことであった」(p14)。本作は、そんな電波な一家を描いたコミカルな物語である。
 一家が仲良くUFOと交信しようとしたり、雑誌を作って同人を作ったり、世界平和のための活動に乗り出すのは読んでいて痛ましく楽しい。
 痛ましく、その信仰もまた徹底して人間の業であるかに感じさせ、家族も愛らしいことによる。
 電波なコミカルから、不意に深遠な「人類の終末」に関する問答に続くとき、オチめいたラストもまた深いものと受け止めることができるだろう。
 以下は「敵役」の言葉から引用。個人の自我に即した世界観が語られている。「ワールド・イズ・マイン」。この自我こそが私たちを平和と滅亡のどちらもを望む「宇宙人」にしているのだ。
「…/『結局おれとおんなじじゃないか』と言いたいために、同時に、『よかれあしかれ、俺だけはちがう』と言いたいために、人間は血眼になって人間を探すのです。存在の条件の同一性の確認と、同時に個体の感覚的実在の確認のために。
 この前者をAと呼び、後者をBと呼びましょう。Aはいずれは世界共和国の思想を呼び起すでしょう。それははじめは痛みのない思想、痒みのない思想であり、安心して委ねられた普遍化であり、共有を拒否した統一です。『世界の人たちよ、手をつなごう』とか、『人種的偏見を撲滅しよう』とかいう妄想は、みんなAから生れたものです。いくら握手したところで黒人の胃袋が白人の胃袋に、同じ胃痛を伝播する心配がないならば、握手ぐらいのことが何の妨げになるでしょう。世界共和国の思想には、こうしてどこか不感症の、そのくせ異様に甘い、キャンディーのようなところがあります。ところで、世界共和国は早晩、その基礎理念に強いられて、おそろしい結末に立ちいたるのです。それが人間の存在の条件の同一性の確認にはじまった以上、その共同意識は、だんだん痛みや痒みや空腹の孤立状態に耐えられなくなる。歯の痛い人間にとっては、世界共和国なんか糞くらえというものだ。(略)
 さてしかし人間は、もう一度自分の感覚的実在の孤立した苦痛の中へ立戻るのは我慢がならない。(略)
 そこで考え出されるのが、同時の、即座の、歴史上もっとも大規模な、全的滅亡の政策なのです。」(p269-270)

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