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『坊っちゃん』(夏目漱石、新潮文庫)の感想

 卒業直後、四国に数学教師として赴任した江戸っ子「坊っちゃん」が、学校のいざこざに巻き込まれるというお話。そんな話を「坊っちゃん」が空気を読まない感じで語っていく。例えば、校長が教師の心構えを述べている場面。
「おれは無論いい加減に聴いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云う様にはとても出来ない。(略)おれは嘘をつくのが嫌(きらい)だから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断って帰っちまおうと思った。(略)宿屋へ五円やったから財布(さいふ)の仲には九円なにがししかない。九円じゃ東京まで帰れない。(略)旅費は足りなくたっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたの仰ゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は貍の様な眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のは只(ただ)の希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。」(p23―24)
 「坊ちゃん」の子どもっぽい空気読まずが、大人の社交辞令の欺瞞を浮かび上がらせる。落語の与太郎話を彷彿するような痛快さもあると思う。しかし、『坊っちゃん』には落語にないイノセンス(無垢)が感じられる。
「母が病気で死ぬ二三日前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母がたいそう怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊(とま)りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。」(p8)。
 宙返りしたり、「大に痛かった」という感想しか持たないおさなさ、愛すべき愚かさが、母の死と出会うとき泣ける無垢さに変じる。このイノセンスが『坊っちゃん』の読みどころではないかと思う。「坊っちゃん」をかわいがる老女中「清」への愛情も無垢と感じられるが、この小説の第一行は「親譲(おやゆず)りの無鉄砲で」(p5)と開始されるのである。決してそうとは書かれないが、家庭的な愛情を持って「坊ちゃん」が行動していると考えられる。心根のやさしい無鉄砲なのである。

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