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谷崎潤一郎『台所太平記』(中央文庫)の感想

 『台所太平記』はリアル「メイドさん」ストーリーである。「明治時代には「女中」どころか「下女」だの「下婢」などと云ったことさえありました。それが今では「女中さん」と呼んでも厭がると云うので、「メイドさん」だとか「お手伝いさん」だとか、いろいろ呼び方に苦心するようになったのですから、随分時勢も変ったものでございますな。」(p6)とあるように、「メイドさん」たちの物語である。
 谷崎のモデルとおぼしき千倉磊吉と、妻讃子の家に来た多くの「メイドさん」の生まれ、家にきたきっかけ、振る舞い、恋愛その他の顛末について語りおろしている。それだけの小説であるのだがこれがめっぽう面白い。
 たとえば「駒」についてはこう書いている。
「一番得意なのはゴリラの真似でした。磊吉や讃子の前では極まりを悪がって、いくら頼んでもその藝当を見せたことはありませんでしたが、睦子や朋輩の女中たちや近所の子供たちの前ではしばしば図に乗って御披露に及びました。あまり真に迫った物凄い形相をしますので、子供たちの中には恐がって泣き出す者もいました。彼女の口腔は特別に出来ていまして、林檎を一箇スッポリ頬張れるくらいの大きさがありました。それで相好を自由自在に変化させることが出来るのでしたが、ゴリラの真似をしますには、先ず上唇と上顎の歯齦(はぐき)との間に舌を全部押しこんでしまい…」(p96)
 こんな些細でリアルなエピソードが続くのである。そして、すぐ後の文章で彼女は「どうかして一度テレビに出演させて貰って、自分の姿が映るところを見てみたいと云うのが、彼女のかねてからの念願で」(同上)あることが語られ、「銀座の松坂屋で、エスカレーターを昇って行くと、その昇って行く人の姿がその場でテレビに映し出されるような装置がしてありました。(略)駒は自分の姿が眼の前のテレビに映るのを嬉しがって、何度も何度もエスカレーターに昇って行っては繰り返して見ていました。」(p97)という駒の夢もそこに書きこまれているのである。これはいとしい。
 平凡とされる人物に非凡な特徴を見出し、その夢や行動を叙述していくこと。それが随筆でなく小説としての面白さとなる。小説というのは、出来事や人物をただ読んでいくことが魅力なのであると感じるほどなのだ。
 また、語り口にも工夫がある。「話の順序があとさきになりますけれども、銀と恋人を争った事件は後段に譲るとしまして、このついでに百合の後日談を述べておきましょう」(p152)という。まるで長話を聞かされているように、エピソードや人物が自由に往還し、さっきまでの話題の中心人物が後ろに退いたり、近づいたりする語りの遠近が利いている。
 この語り口の遠近こそ谷崎の本領の1つであり、谷崎のエロティシズムを『台所太平記』から探るよりも、この語りの遠近に任せて物語を楽しむ一作だと思う。

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