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Diary in America(前編)


To every Gods and realities.


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1.Dec,2005(Thu)

Lexington Ave..のマクドナルドにて

昨日NYに着く。NY迄のユナイテッド航空の機内では、となりに座った女性が偶然同い年だったこともあり到着迄の13時間の内5.6時間程を同年代のあるある話で盛り上がる。彼女は足立生まれの下町っ子で、少し男の子っぽいところのある女性だった。男親の方によく可愛がられたせいで大工仕事やなんかが大得意だそうだ。そのせいで今も結婚できないと、(そんな理由は数ある理由の1つであることはわかりつつも)両親にブーたれているみたいだ。花や舞踊を習っていたが金がかかるからやめてしまった。高卒で親の援助を受けながら働いていたがけんかしてその援助も打ち切られてしまって、おけいこごとも続けられなくなってしまった。彼女は幼い時に頭に何かの偶然で釘をさしてしまい、その時以来心霊現象を頻繁に見るように。ポルターガイストはもちろん、実家の自室が霊の通り道の真ん中に通っていたためおばけのいる生活は、もう普通のものになってしまった。でも彼女の見るおばけは人間の形をしているわけではなくて、白く光るモヤモヤの形で認識される。見えるのはモヤモヤなのだが、それはやはり人間以外の何ものでもない気配がしていて男と女の区別は何故だかわかる。おばけは決まって地面から何cmか浮き上がる為に、いつもみおろされれる格好になる。そのほかすぐ先の未来予知のようなものもひらめきのような形でときどきおりてくるという。そのせいなのか、彼女にとって時間の感覚は、いつも未来と現在を行ったり来たりするようなスタンスで存在していて、だから彼女には時間というものは、人によってそれぞれ流れ方も異なり本質的に一方方向でのものではないという考え方がある。僕は最近時間と空間の(四次元的?)関係に興味があり、霊体験があるという人にかなりつっこんでその時の現象的側面を聞くようにしている。霊体験をする人は、結構変な人に見られるので、こういう話をする時は大抵の場合フィクションとしてごまかされるように、いくつかの演出を加えて話を面白可笑しくしてしまうくせのようなものがある。しかし、こうやって無理をお願いしてできるだけ現象面を検証するようなスタンスで喋ってもらうと色々な発見ができるような気がする。こういうリサーチが集まればその共通項からあたらしい言葉、領野、認識が生み出されないだろうか。

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市立図書館にて(※翌日記す)

JFK(ジョン・F・ケネディ国際空港)に着くと案内カウンターの人にホステルまでの電車の行き方を教わる。カウンターには2人の黒人女性がいる。
一人は太ったおばちゃん。もう一人はやせたおばあちゃん。初め太ったおばちゃんに聞いてみたが答えが聞きとれずまごまごしていると業を煮やしておばあちゃんがバトンタッチ。おばあちゃんは胸に幾つもの勲章のようなバッヂをつけていることからも、かなり気の効く熟練の案内係なようだった。しかし、僕の(ひどい)英語理解力にどうしようもないと思ったのか「地図、地図」とカウンターのあちこちを探しまわり、地図を広げて紙に乗り換えの駅を書いてくれた。僕はそこで自分には主語と動詞以外の形容詞や副詞などを理解できないことに気づいて大いに冷や汗をかく(※主語動詞すら難しいが)。何度も間違えそうになりながら地下鉄に乗り換え、ホステルに着いたのは 7.8時頃。急いでシャワーを浴び(水だけ(※後々までシャワーの操作がわからずにお湯が出せなかった))床に着くと飛行機であまり寝なかったせいですぐに眠ってしまう。しかし夜中に寝られなくなって、朝までベッドに仰向けに寝た状態で色々と考えてしまう。ホステルはドミトリー(相部屋)で男女別の6人用。無理ないが若い子たちばかりで少したじろぐ。フランス、南アフリカ、オーストラリアから来た人がいる。設備は近代的なもので、渡されたカードでドアの施錠などをしている。話が元に戻るが、シャワーを浴びたあと少し、夜道を散歩していたら、黒人のお兄ちゃんがクォーター(25セント)をおねだり。なんかノリが良さそうだったので、1枚(クォーター)をあげると、案の定ノリに乗ってもう1枚おねだり。(カモにされてる?)面倒くさくなったのでこちらから仕掛けることに。スケッチのモデルになってくれたら1ドルやるというと「2ドルだ」と言い出す始末。しょうがないので、わかったわかったと言って描こうとすると「何分だ?」という。結局2ドル15分のモデルというとても高いものにつく。スケッチも最悪で途中で投げ出してしまった。
だから、眠れない夜はそのことで、頭の中で一人反省をしていたのだった。

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1.Dec,2005(Thu)

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困っている。持参した電子辞書がこわれてしまった。(※後に画面明るさスイッチが最高レベルになっているだけだったと判明)本の辞書は重いから家に置いてきた。今日から何曜なのかさえたずねることが出来ない自分がちょっと情けない。他にもシャワーの温水の出し方を訊ねることさえもできない。簡単な単語も全然思い浮かばなくなっている。とにかく辞書は手に入れなければ何もできない。そんなこんなで。

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そんなこんなで、今日はNYをあてずっぽうに歩き回った。市立図書館にも行ったし、エンパイアステートビルにも行った。上(展望台)には行かなかったけれども。前に知人の話ではNYは意外と小さいと聞いていたので、その先入観で歩いたら結構広くて困ってしまった。地図は持っていたが色んな道の名前があって、記入されている道もあれば、されていない道もあるので、頭の中にわけのわからない複数の縦横の線で構成された複雑なチェック模様がプリントされてしまった。
街を歩いていて思ったのが東京とどことなく似かよった感じの街並。都市では世界の色々な最新の技術や流行が日々最新版に更新されていく。そういうところで重なる部分が、一見無個性を感じさせる都市へのデ・ジャ・ヴュを感じさせるのだろう。意外にも国固有の文化というものは、郊外や地方などの部分に色濃く反映されている。(※後にそれは都市、郊外、地方の見せる位相が関係していると思い直すのだが)今朝少しup townを適当に上の方まで歩いていくと、だんだん知らずにBronxに近づくにつれ「おー、アメリカの殺伐とした風景!」と、かなり感動したのだが、なんだかちらほらとヤバいような目つきや服装をした人がちらほらと目に入り、ポリスに職質されて頭に来て怒鳴り返しているひとなんかも目にするとさすがに少し身の危険を感じてすぐさま引き返すことにした。そんなこんなで意外にも人の多いビル街に惹かれるものがなかったりするという報告。ま、それなりの観光スポットに行けば至れり尽くせりのプレゼンテーションで楽しませてくれるのだろうが、そのシステム自体にも何か都市のエントロピー的なデ・ジャ・ヴュを見てしまうというのは余りにも素直じゃなさすぎるだろうか。

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挿話1:街歩きの途中で立ち寄ったドラッグストア(※食料品も売っている。コンビニに近い)でレジ待ちをしているとお金を払った人が1ペニーを落とした。その音に気づかぬはずはないのだが、誰も拾おうとしない。?と思ってレジの周りを見てみると他にも幾枚ものペニー硬貨が落ちている。頭に?マークがうずまきそのまま支払いをすませて帰るが、あとでチップみたいなもの?それとも風習?という謎が残る。

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2.Dec.2005(Fri)

1.チェルシーにて画廊めぐり。コンセプトのしっかりした作品。驚く。
2.ソーホーの日本人経営の画廊で行われていた日本人作家の作品を見る。表層的。感動薄し。訴えてくるものがない。
 プロフィールには今迄に900枚以上の絵をアメリカでの個展で売ったと日本語で書かれていた。
 少しうらやましくもある。あとで考え直してやや鼻白む。
3.多少の好き嫌い、技術力の差、経験の差はあれ、それ以外のどの作品も何らかのコンセプトを感じることができ、それが作品の個性となって、見る側に何かを訴えかけてくる。それが作品に確かな存在感を与えているように感じる。
4.コンセプトを構築してゆく力と、そのコンセプトを具体化する為の確実な技術力がある。
5.ただやたらに色んな技術を見せることが作品の質の向上につながるわけでもないとわかる。
 作品の本質と何ら関わりのない技術力を見せつけられることは却って作品の質を低下させ、 コンセプトそのものを崩壊せしめる元凶ともなりうる。
6.(※途中で中断)

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3.Dec.2005(Sat)

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今日は、チェルシーに明日のチェックインを予約しに行った。でも予約をするにはクレジットカードがいるのでバツ。
仕方ないので6th Av,をup townの方向に上がってMOMA(ニューヨーク近代美術館)まで歩く。MOMAの展示はたくさんあるものの、鬼のようにセンスのいいセレクトで、ここのスタッフの質の高さがうかがえる。ところでその鬼の展示を1F~4Fしか見れなかった。あとちょっとで全部見れたのに…。
4Fで少し心にひっかかるアクシデントがあった。ドナルド・ジャッドの作品。自分はドナルド・ジャッドの作品がかなり好きだ。好きというのを越してリスペクトも入っている。そんなジャッドの4Fの展示作品。約4.5mくらいある直方体のそれは、この新生MOMAの象徴的存在ようにウインドウディスプレイの最上階に陣取るにふさわしいアメリカを代表する哲学的作品のように自分は思ったのだが、地元アメリカ市民にはそれほど愛されていないのだろうか。広い部屋にシンボリックに置かれた色トリドリの大箱はほとんどの人に素通りされるか、「何コレ?」と首をかしげられるかするだけで何だか寂しい感じの同情をそそる。館内にはトコロドコロに映画『Men in Black』みたいなピシッとした黒スーツを決めた警備員がいる。
このドナルド・ジャッドの作品には小柄でちょっとポッチャリ目で、ロングのウェーブの髪型をした白人の女の子が当たっていた。僕がこのジャッドの作品にたどり着き、感心して見入っているとその作品の1部に何やらアルファベットの落書きが見える。作品に近づき良く見てみるとウッスラとホコリが降りつもっていて、そこに指で何やら落書きしていたのだった。
このピシッと美しいシェイプのそれに、ウッスラと浮かぶホコリと指でなぞった落書き。作品の良さを半減させているように思えてくる。その女の子の警備員も気づいているとは思うのだが、多分、誰も見やしないこんなもの。ま、いっか。ぐらいに思って放っといてるようだった。のほほんとした感じだった。そこで、この分別臭いオヤジたるJapaneseのこのオレがつたない英語で落書きを指差して「This is no good…I think…」と言うとその娘は「Oh!」と言ってすぐさま服の袖でその落書きをふきとった。その時「チーッ」という音がして、その娘はびっくりして一瞬固マル…。黒スーツのカフスボタンが作品をこすってしまったのだ。女の子はあわてながら僕に笑って「誰にも内緒ね?。」みたいなことを(あとで思い返すと)早口で言っていたらしいのだが、それが一瞬何を言っているのかわからなかった僕は少々ひきつった顔で「ガハハハ…。(汗)」と日本的な笑いを返してそのまま退散してしまった。英語がわかっていたら、「内緒、内緒?。」とジェスチャーをして冗談まじりで返せたのに…。
その他4Fの展示を見ながらそのことを反省していたら閉館時間が来て途中で追い返されてしまった。ジャッドの部屋を通る時、彼女の姿を目で探してみたが見当たらず、フイに渡り廊下に目をやると、そこで彼女はひじをかけて吹き抜けの下の方を見ながらドヨーンと落ち込んでいるように見えた。僕はなんとか勇気をふりしぼって彼女に声をかけようとしたのだが適当な言葉が見当たらず(今考えたら「No problem!」の一言ですんだのに)、追い返される人の波に押し流されてそのまま帰ってしまった…。そうして僕は少しブルーな気持ちでメトロ(※地下鉄)に乗ってホステルに帰って行った。

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4.Dec.2005(Sun)

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アムステルダムAv.にあるH.I.NYユースホステルをチェックアウトしてチェルシーのユースホステルへと映る。
チェルシーのユースホステルはH.Iユースより$2安くて$28となっている。たった$2の差だがH.Iの近代的設備とは異なり、山小屋風の前近代的な感じの少しする少しボロッちいホステルだ。でも何となく自分の性には会っているような気がする。部屋に備え付けのロッカーは結構いい加減に歪んでいて、その扉の開け閉めには足を使わないとできないし、共同のトイレ、シャワーも何やら男女兼用のようだ。ラウンジは7×5mぐらいの広さで、その壁をはさんで奥まったところに共同のキッチン(というよりお勝手と言ったほうがしっくりくる気もするが…)がある。何やらかなりアットホームな感じでみんな家族のようによく話し合っているのだが、何を言っているかほとんどわからないし、何やら話している内容も、いかにも若者らしい話をしているようなので、日本にいてさえそういう雰囲気に溶け込めない感じなのに、どうして話に入れるだろうか。
あ、今、全くのフランス語に変わった。う~ん、この狭い部屋になかなか居場所を見つけられぬままこの日記を書いている。
そういえばH.Iのユースホステルで少しブルーになりそうなことがあった。チェックアウトを1日だけ延長してもらうよう頼んだのだが払ったと思ったお金($30)を払ってないと言われてしまった。最終的なチェックアウトの3日前の夜中に遅番らしい太った女のスタッフに払ったような気がするのだ。その人は…ま、いいや。なんだかまた(?)お金を請求された時「払っている」と抗議した時から何やらスタッフの態度がヨソヨソしくなって…。最終的に、何だか自分の記憶もあやふやなので(※中断以降話の続きを書いてないので以下簡単にまとめる)チェックアウトする時に、抗議したときに興奮して持ち帰ってしまったボールペンのキャップを返す時にどさくさまぎれな感じで「I,m sorry」と一言誤ってチェックアウトをした。なんかわけわからないけど少し後味悪く悲しい気分になった。

(中断時に)ラウンジのイギリス青年Paulが話しかけてくれる。その友達のイスラエル青年Riorとベネズエラ少女Tatianaらと盛り上がる。

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5.Dec.2005(Mon)

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今日はチェルシーから歩いてセントラルパークへ行き、中を通って(写真を数枚か撮って)メトロポリタン美術館まで行くが定休日なので、更にup town方面に向かってグッゲンハイム美術館に行った。(ハーッ!疲れた)グッゲンハイムでは「Russia!」というロシア美術の変遷をたどる企画展が行われていた。その中で印象に残ったのが初期のロシア美術のイコン画で2人の聖者を描いたものと現代美術のイリヤ・カバコフのマスターピースである「空へ飛んで行った男の話(というような題名だったと記憶する(※絶対間違ってると思う))」イリヤ・カバコフの展示用テキストは英訳があったのでかなり読むのに時間が費やされたが、やはりテキストを読み終えて作品を見ると全然印象が違って見えた。カバコフは空想的なテキストと、それを証明する幾多ものオブジェを構成し、展示することで、見る人の想像を拡大するような作品を作っている。


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6.Dec.2005(Tue)

一昨日、日記を中断している間にまた不思議の国に迷い込んでしまった。結局は自分が全て悪いのだが…。
4日の日記で記したとおり僕は山小屋風のラウンジで、ちょっとグランジっぽい雰囲気のイギリス青年やイスラエル青年と僕のたどたどしい英語で話していた。イギリス青年は僕が食っていた日新のカップラーメンに感化されたのか、テイクアウトの中華料理を買ってきてそれを食べていた。なんかピラフのような炒飯。となりのテーブルに座っていた背の高い北欧系風の女の子がそれを見て食べたくなってしまったようで英青年に「それどこで買ったの?」みたいなことを聞いてそのカップメンぐらいの大きさの箱に入った炒飯を買ってきた。彼女は今朝、雪の降った後なのでコートを着て(※寒そうに)肩をスクめながらラウンジに戻ってきた。そしてそそくさと台所に入り、大皿に移してその炒飯を食べていた。それから数十分、後ろのテーブルにいたベネズエラの少女タチアナも話に加わってきてビートルズの話でワイワイやっていた頃、その炒飯の娘が大皿を持ち上げて周りの人に「いらない?いらない?」と言っている。皿の上に乗っていた炒飯はほとんど減っておらず、誰も「いいよ、いいよ」と言っていたので、よほど口に合わなかったかまずかったかしたのだろうと思った僕は『これはアジア人として俺が食べてあげるべきなんじゃないないだろうか』と思い、「ありがとう」と言ってその皿をを受け取ってもくもくと食べ始めたしかし、4.5口目位から彼女の顔の雲行きが怪しくなり、僕は何だかわけのわからないので彼女に向かって「Good taste…(汗)」と笑って言うと、彼女は黙ったまま僕にマンガに描いたようなひきつった笑みを浮かべて返した。その時、自分もさすがにおかしいと思い「サンキュー、サンキュー」と言ってまだ残っている皿を返そうとすると「いいの、全部あげたんだから」と言ってその小さな顔を半泣き状態に移行させ皿を受け取ってくれない。僕はその時ようやっと何か重大な誤解をおこしてしまったことに気付き、彼女の友達の顔を見るとそれはそれは能面のような無表情になり切っていた。イギリス青年もとても対処に困った顔で、逃げ道をなくしてしまった僕は『これはとりあえず目の前のものを食べるしかない!』と、動物的本能で更に食べ始めるが、そうすると彼女の顔は硬直しだしてきて、懐から取り出した巻き煙草を巻こうとする手も心なしか震えだしていた。僕は(実はあまりうまくないその炒飯を)いそいで掻っ込むと、彼女は銅像のように身動きしなくなってしまった。完食したのを見届けると彼女の友達がその傷ついた乙女の心を優しく労りながら彼女を外へ連れだして行こうとしていた。彼女はカクカクとした動きで、席を垂直に立ち、テーブルと平行に移動してテーブルを外そうとしたので、ぼくは『このままではいけない』と思い「Wait、wait、アアア、アイ、ドロウ、ピクチャー。アイ、ドロウ、ユウ!プリーズッ!」とわけのわからない英語とジェスチャーで彼女にポートレイトのスケッチをさせてくれと頼んだ。すると彼女はとたんに喜んだ表情を浮かべて「すごいっ!じゃ、この煙草吸った後でね!」と言って外の中庭へ友達と煙草を吸いにいった。窓から彼女を眺めるとなにやら友達と話し込んでいる様子。まだ怒っているのかもしれない(女は謎だ)…。ラウンジに戻ってくると彼女は少し落ち着いた様子で、僕がスケッチブックを指さすジェスチャーをすると彼女は喜んでポートレートを描かしてくれた(※そしてあげた)。結構うまく描けた方じゃないかと思う。彼女も喜んで、どうにか機嫌を直してくれたみたいだった。でも、やっぱり部屋に帰ったら、あの失礼な日本人の悪口を言ってるのかな…やっぱり。
世界中、どこへ行っても女心というものはわからないものなのかもしれない。
ああ、何もかも僕が悪いんだけどね、…結局。
合掌。チ~ン。

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7.Dec.2005(Wed)

昨日は歩いてメト(メトロポリタン美術館)に行くつもりでセントラルパークを通る。セントラルパークを歩いている途中でスケートリンクを見かけて、少しいい景色だったので写真を撮ろうとしたが、露出を合わす間に曇ってしまったのでやめてスケッチする。雪は降っていないもののあたりに残雪がある状態でとても寒く、1時間以上立って描いていたのだが途中から手が震えだして手もとが狂いに狂ってしまって何だかよくわからない絵に…。と、せいいっぱいのいいわけを自分にしてみる。スケートリンクには子供達が大ハシャギで遊んでおり、僕の立っている上から見下ろせる位置にお父さんお母さんが立って、時々我が子に大きな声をかけては手を振って温かく見守っていた。スケートリンクの後ろにそびえるビルの谷間からは時々厚い雲間からのぞく陽の温かい光が、寒さに耐えながら手を振る親たちにひとときの安らぎを与えていた。しかし、何度見てもこの絵、かなり出来損ないのヒロ・ヤマガタにしか見えないよな。ハァー!
絵を描いた後はメトロポリタン美術館に行く。しかし、その時すでに2時を回っていたので閉館時間までに全部見れそうにもないので、ようよう悩んだ揚げ句、見ないことにする。最近の展示には、フラ・アンジェリコがあるらしく、こればかりは絶対に見逃したくなかった。仕様がないので歩いて帰ろうと決める。帰りにはセントラルパークの西側に沿って歩く。前にパークの中を通ってメインエントランスまで行こうとしたら複雑に曲がりくねった道にかなり苦戦させられた記憶があったから。パークの外周は、全くのシンプルな長方形をしているので単純にここをたどってゆけば道に迷う心配は全くない。
そして、そのまっすぐに伸びた長い道を(とは言ってもマンハッタンの道のほとんどは、まっすぐ伸びた長い道なのだが)フラ・アンジェリコを目にする時の空想にふけりつつ歩いていると、街灯にかかっていた広告旗(っていうの?)がメトの今の特別企画展のゴッホの自画像の素描の絵の広告から、ネーデルランド風の写実的な個展肖像画の絵に変わっていることに気付く。絵の下の文字を目をこらして読んでみるとFric Collection(※美術館)とある。どこにあるんだ?と思いつつ歩いていくと車道をはさんだ左側に2.3階建ての大きな石造りの洋館が見えた。広告旗をたどって左に折れた道を曲がると導かれるようにフリックコレクションの入口にたどり着く。
このフリックコレクションは、自分の様な一般観光客から見ると、いかにも目玉のなさそうなとても地味な存在の美術館のように思える。何の予備知識もないままなんとなく入った僕はそのコレクションの質の高さに正直ビックリさせられてしまった。やはり本当の金持ちというのはこういうものなんだろうか。まず最初の通路の右側に何気なく置かれた2点のフェルメールに、なななな…な。と気持ちの中の声がどもり気味に上ずる。聞いたこののない画家(それでもいい絵なのだが)の風景画の左右にフェルメールの小柄な絵が何気なく配されている。あまりにも何気ないのでほとんどの人が素通りしてしまうほどだ。これが日本ならば、いつまでも黒山の人だかりでまともに見ることは中々できないどろうなと余計な想像をしてしまう。全体的にはロココ時代の絵や彫刻が大半なのだがどれもある一定水準を保っており、それらロココ時代の作品に混じって、フェルメール(まだ他にも1点ある)、レンブラント、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ヤン・ファン・エイク、などの質の高い作品があり、他にも、フランス・ハルスやダヴィッド、ヴァン・アイクといった職人肌系、コンスタブル、コロー、ミレー、ターナーなどの風景画もあり、それらをこれまた質の高い調度品の数々と供にバランス良く配し、観客を疲れさせない見事な構成で心底楽しませてくれる。最後の通路で通り過ぎそうになった、階段を下りた地下の特設ギャラリーではハンス・メムリンクの肖像画の数々を展示していて、これまでこの作家の作品を見たことがなかった自分としては、こんな画家がいたんだっていう発見する喜びと、作品そのものに対する感動でホクホク顔で帰途に着くことができたのだった。
しかし、これらの世界最高水準の美術品を収蔵するアメリカの、特にそれらが密集しているNYという街の内包するアートの礎という部分は、こんなところにあるように思う。

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7.Dec.2005(Wed)

20st.ー24st. 10th Av.(チェルシー)の画廊巡り。何日か前に、やっぱりこっちの作品はすごいというよいうな事を書いた気がするが、再び同じ画廊で同じ作品を目の前にすると、気のせいだったのかと思う作品もある。このNYというコンテクストが、そのような錯覚を起こさせるのか…。そういえば始めに見た時のNYの建物群を見た時に感じた新鮮な驚きも、時間が経つにつれ大分慣れてしまったようだ。何もマジソンスクエアーガーデン通るからっていつも上を見上げてj「わあー?。」と言わなくったっていいんだということだ。ビルの高さは変わらないが、何だか低くなったような気がする。
20st.に行ったあと、フリーペーパーの住所を見つつ24st.に足を移す。メアリーブーン画廊ではデイヴィッド・サーレの展示。具象表現(※技術)の高さをうかがわせるマニエリスティックな表現とポップな画面構成。この人の作品を見てていつも思うのは、巧みな技法だし表現もポップで確かに表現に乗り遅れた感はないのだけど、何故か、感動できない。ジャスパー・ジョーンズの無骨で幾分不器用に感じる表現がタブローとしての魅力ある存在感を引き出しているのとは逆に、すごいうまいのかもしれないけどすごく存在感に薄い。と、僕は思う。ま、好みの問題かもしれないけれども。他にも色々と見て回る。で、結構日本でもよく見かけるような渋い色調で画面全体に淡い色調のグラデーションがひろがる感じのワビサビっぽいものがあったり、黄金比を使った画面構成の美しいアメリカの風景の具象画(これは色調も派手すぎず、かといって地味でもない、いいさじ加減のバランスのとれた絵で好きな感じ)だったり、結構そういうような幾分保守的な感じのするものも日本と同じようにあるのが発見だった。まだ名のない若手の作品を扱っている幾分もうけの薄そうな画廊もあったりして、なんかホッとした。アメリカの美術界も日本と重なるような位相を持っているというのは本当に面白い。何かもっとみんなうまいことやっているのかと思っていた。
そういえば、書き忘れたけど、20st.で$5払って見たMOMA別館の展示は、ほとんど見るべきものがないような気がした。一昔前の抽象画みたいな絵と、ホックニーがピーク過ぎる頃から作り始めたスカルプチャみたいな彫刻を作る、結構地元では有名らしいスペインの作家と、ナイキのスポーツ用品を使って再構成した民族系のマスクに似たマスクのオブジェや、分解したプラスチックの椅子をいくつも使って作った巨大なクジラの骨格のような作品。それは、いまいちお互いをつなげるコンセプトの必要性のようなものを感じなくてちょっと?マークが漂った。
なんか結構眠くて根も葉もないことをいっぱい書いたような……。字数を埋める為だけに書いてしまった気がする。明日読み返すのはかなり恐い。

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9.Dec.2005(Fri)

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昨日はJohn Lennonの命日。昨日、同室しているイギリス青年3人グループが「John LennonがCentral Parkでどうとかこうとか…」と、話していたのはこのことだったのか。と、ラウンジにいるフランス人青年に教えてもらった時にわかった。朝、朝食をラウンジで食べていると、一人の韓国人女性が話しかけてくれる。僕の拙い英語力に合わせて単語を区切りながら少し気遣って話してくれる。彼女は今日メト(※メトロポリタン美術館)に行くそうだ。金曜は無料になると言っていたが本当だろうか。僕のガイドブックには載っていなかった。僕も行こうと思う。しかし、今日の雪はものスゴイ感じでどんどん降り積もっている。昨日Central Parkで会ったゲイのおじさんが、明日、大雪が降るということを教えてくれていた。何か「友達になろう、新しい友達に」としつこく手を握りつつ僕にすり寄ってくる結構困ったおじさんだったので、少しも信じてはいなかったのだが、本当に降ってしまった。(中断…ラウンジの北海道出身の女の子と少し話す。日記の内容がよくわからなくなって続きを書けなくなった)

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10.Dec.2005(Sat)

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昨日の朝、ラウンジで話した大学4年生の女の子に明日マイアミに出るラガーディア空港の行き方をたずねられる。自分はよく知らないので他の詳しそうな日本人の男子2人組にたずねた。この2人組は、このホステルで初めて会ったルームメイトで、その1人ユウはアメリカ各地を回っていたそうだ。もう一人ミサキは服飾の武者修行に来ていて既に帰りのチケットは破りすててこちらで最低でも帰りの旅費を稼ぐまで日本には帰らないという、そんな夢を持ってやってきた若者だ。大学生の女の子は成田さんという名前だ。みんななんだかフラフラした感じで意気投合(してるのかな?)しているようだ。ユウは103st.のとあるホステルに泊まって何やら欠陥のあるセーフティーボックスを使った際、そのホステルに住みついている主(ヌシ)っぽい人物に結構な現金を盗まれてしまったという。近日帰国する予定の彼は、帰る前に是非1度そいつをボコボコにしてから帰ると言っていた。
その後、昨日話した韓国人の女の子とメトに行く。昨日話したところ予定が重なっていたので僕の方から誘ってみた。快くOKしてくれて、一緒に地下鉄に乗ってセントラルパークまで行き、そこからセントラルパーク内を歩いて途中からパーク沿いの道5th.Avを歩いて行く。夜から朝にかけて降り積もった真っ白な雪が、雲の隙間からのぞく太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。2人でその中をお互いの写真を撮ったりしながら歩いているとちょっと恋人気分になる。地下鉄(※車両)の中では、ちょっと変な人が2人ぐらい別々に何か意味不明のことをわめいていた。シートに座っている黒いコートを着た恰幅のいいおじさんが少し疲れたような素振りを見せたので、僕が席を勧めると、「いや、いいんだいいんだ。と、言って「まったく、本当NYの奴らはクレイジーな奴ばかりだよ」と嘆息をつきながらぼくらに話しかける。僕はよく聞き取れなかったので、彼女が「ほんと、そうね」みたいに相槌ちを打つ。「どこから来たの?」と聞かれて彼女は「Korea」僕は「Japan」と答える。このおじさんは定年するまでとある日本企業のビルディングで警備のようなことをして働いていたそうだ。よく、外国から来た人のパスポートを開いてチェックしていたという。ちょっと変な取り合わせのカップルに見えただろうか。「何しに来たの?」と聞かれ「Saightseeing」僕らは答え、彼女が誤解されないように詳しくメトに行こうとしていることやホステルに泊まっていることなどを話す。彼は別に疑っていなかった様子で「メトロポリタン美術館?いいね。あそこはいい所だよ」とサンタクロースの様な笑みを浮かべながら応えると「Bye!」と声をかけて電車を降りて行った。彼女はその駅がセントラルパーク南西側のすぐ手前の駅だと気づき、ぼくらもそこで降りて地上へと出る。セントラルパーク南西の角の交差点では、何故かNYPDと書かれた沢山の警察車両が停車して、何やら慌ただしい様子。交差点で待っていると毛皮のコートを着たおばあちゃんに「何があったの?」とたずねられ、ぼくが「I don't know]」とだけ答えると、彼女が失礼にならないように何やら当たりの良い適当な受け答えをしてくれる。見事なフォロー。韓国では男性がグイグイと女性をエスコートしていく文化があるとテレビで聞いていたので「うーん、彼女にしてみれば非常に妙な気分なんだろうなー」と頭に浮かべ、でも、ま、いっか。と諦める。少しずつ解けて行くぬかるんだ雪を避けながら交差点を渡ると、(※南西側)セントラルパーク入り口にはいる。(※昨日まで見えていた)平らな芝地に降り積もる雪にはまだ足跡もない。あちこちに立ち並ぶ木々からは風が吹く度にホコリのような粉雪を細い枝から散らした。その粉雪や、雪のの重みから解放されてブルリと震えるえだえだに陽の光が乱反射する。彼女は自分の記念写真をぼくに頼んで1枚写すと、僕の1眼レフでも僕の記念写真を1枚撮ってくれた。その後も彼女は歩道を歩きながら幾枚かの風景をcanonのデジカメで写していた。

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しばらく歩くとセントラルパーク内の動物園に通りかかる。横目で見ながらそこを抜けると公園のwestside沿いの5th.Avへと出られる門が見える。その歩道をアップタウンに向かって歩いてゆくと美術館に着く。歩道の途中に信号機のついた横断歩道があった。彼女は信号の手前の歩道のヘリに溜まった大きな雪解けの水たまりの前に立ち止まる。彼女の靴は、白地に赤いラインの入った、プーマの底の薄い運動靴で、もしかするともう、靴底に水が染み込んでいるかもしれなかった。彼女は「通れない、通れない…」と、その水たまりを見て笑いながら言った。僕はその時、抱きかかえるか、せめて手を差し延べるくらいのことをするべきだったと反省している。僕の勝手な思い込みかもしれないが、彼女は何か、お互いの触れ合いを求めていたように、後になってから強く感じるのだ。しかし僕は、その時寒い手をポケットに突っ込んだまま「大変だね」という顔をして水たまりの向こう側にいる彼女をただ突っ立って見ているだけだった。
メトロポリタンは、すぐそこだった。僕らは幅の広い階段を登り、多くの人で混雑した美術館へと入る。10m以上はありそうな天井の下の、大理石に囲まれたロビー。バッグやコートを預ける所に長い列が並んでいる。、金曜は夜の9時まで開館しているので混雑しているのかもしれない。2人で並んでそこに並ぶが彼女は無口になってしまう。彼女は金曜は無料になると思っていて僕にもそう話していたのだが、どうやら違ったらしい。僕はガイドブックを見て何だか違うような気がしたのでなんとなく予感していたのだが、(※いずれにせよ観ることは決めていたので)あまりどうでもいいような気がして何も言っていなかった。(こういう部分が人の不信を招くのだろうか?)2人がバッグを預け終えると彼女はふいに切り出して「ここで別れて観ましょう」」と、言う。僕は混乱して「な、なんで?」と日本語で応えてあわてて頭の中で英語を頭の中に探しながら口の中でモゴモゴと口ごもる。彼女は「実は無料じゃなかったから、ここで別れて好きなようにしましょう」と、言う。僕は全くおあずけをくった犬の様な表情になって「どういうことだろう?実はかなり迷惑がられていたのかな…」と立ちつくして考え込んでいると「じゃ、一緒に見に行ける?」(って言ってたのかな?動転してよくわからなかった)と言うので「僕はYeah、yeah!」と馬鹿みたいに答えて一緒にチケット売場へと向かった。チケット売場では彼女が無料じゃなかったことを気にしていたみたいなので、彼女が「いい、いい」と遠慮するのを押し通してチケット代を払わしてもらう。そして2人で正面の階段を上って2Fの印象派のドローイングを始めに油絵を見て回る。僕は自分のやり方で観ると結構仔細に色々な方向から絵を見てその作家の仕事を見ようとするので、1枚の絵でも気になるものや好きな作品を見つけると、かなりの時間をかけてしまう。だから人と一緒に作品を見る時はなるべく自分の我を抑えるようにしようと思っている。しかし、やっぱりどうしても我が出てしまう。始めに見た素描の部屋で物知り顔にヘタな英語で「この作家は…」とか言い出すと、彼女は(※辟易したのかまた)無口になってしまった。僕は(※仕方ないので)彼女の行くままにまかせて後からトコトコとついて行った。初めに僕が、彼女とこれから絵を見る時の指針みたいなものを彼女に説明しておけば良かったのだが、英語を頭の中で組み立てようとして断念してしまった。それを彼女はウザがったのだろうか。何だかパッパッと絵を見て、なんだか僕から逃げるようにして色んな部屋を見て回っている。(※あとになって、それはとても基本的な美術館での絵の見方だったと思い出す。初め大雑把に見てから後で気に入った作品をゆっくりと見るという…)僕は彼女になんとか追いつきながらもだんだんと、時々自分の気に入った絵を見たい我に負けて、しばらく絵を見つめては違う部屋へと移ってしまった彼女に、かけ足で追いつくようにした。しかしとうとう、中世ヨーロッパの教会の当時の図面の展示に見入っている時に彼女の姿を見失ってしまい、慌ててその姿を探したのだがこのとてつもなく大きな立体迷路の様な建物の中で彼女を見つけ出すことは至難の技で、そして、「彼女の方でも僕を避けている?」という気後れから、彼女を捜すことを断念して「しょうがない、しょうがない」と自分に言い訊かせて、改めてこの大きな美術館の作品を見直すことにした。
5点のフェルメール。クリスマス企画の、素晴らしい「フラ・アンジェリコ」展 。ゴッホの素描展。etc…。
翌日(今日)の朝、昨日知り合った日本人3人と話をしていて何かのきっかけで3人が席を立って姿が見えなくなった時、フイに彼女が現れて隣に座った。(僕はいつも彼女が朝の早いうちから朝食を食べにこのラウンジに顔を出すことを知っていたので、内心今朝は彼女がなかなか現れないことで暗澹たる気持ちになっていた)そして彼女は「昨日はゴメンなさい。あなたを置き去りにしちゃって」みたいなことを言って返す。「昨日は何時までいたの?私は6時頃まで見てたんだけど」「7時頃まで見てたんだ」「ゴッホの部屋は見た?それにレンブラント。すごく良かったけど本当に疲れちゃった」「僕も疲れたよ」と言って足を指さす。
「あなたは本当に絵に興味があるから7時まで見れたのよ。私なんか6時までで足がクタクタよ」「そう?ありがと。でも僕も本当に疲れたよ」「そう…」彼女は僕を見て言った。「ごめんなさい。私、今日これからこのホステルをチェックアウトしてカナダに行くの。勉強しに、8ヶ月…」僕は内容がうまく飲み込めずに「そ、そうなの…」と言った。彼女が「Bye…」と言うと、僕はよくわからず「Bye!」と、素頓狂な声を出してラウンジを出て行く彼女を見送った。
彼女はどんな気持ちで「Bye」と言っていたのだろうか。
何故だか胸が少し痛い。

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11.Dec.2005(Sat)

昨日は夕方過ぎまで日記を書く。
途中でスーパーに行って、パンとターキーソーセージとキャベツや、デルモンテのカット野菜の袋詰めを買って、再びラウンジに戻る。そして、買ってあったクリームチーズ(※ラウンジ奥キッチンの共用冷蔵庫で保管)をディナーナイフで適当に塗ってから2枚のパンにはさんだサンドイッチを2つ作り、食べる。その後、再び日記を書き始め、夕方になると、京都出身のマサキ(※話には登場していなかったが前々日にこのホステルで会った)がラウンジに入り、少し話して中断、途中マサキが気を遣ってくれ、再び日記を書き始めとうとう最後まで書き終える。
夜になるとラウンジは賑やかになり、時々笑い声で話し声もかき消される。マサキと僕はラウンジの隅で、日本人同士、お互いの素性を少しだけ明かしつつ話している。マサキがメールをしにラウンジの(※キッチンの更に)奥のインターネットルーム(※有料。クレジットカード専用なのでクレジットを持っていない僕は使えない。ちょっと借りればすむのだが、僕はどうせなら日本との断絶した状況をそのまま楽しんでいたかったからそうしなかったのだと思う)に消え、しばらくして出てきた。僕はちょうど狭いキッチンでサンドイッチを作っていたので、ついでにマサキの分も作って2人でラウンジの空いたテーブルで、パンに無造作にはさまれたレタスをポロポロとこぼしながらそのサンドイッチを食べた。そのテーブルの向こう端にはピーターが座っていた。騒いでいるラウンジの青年を苦虫を噛みつぶした様な、うらやましそうな、そしてちょっとさみし気な表情をかわり番こに繰り返しながら眺めていたピーターに、「Hi!」と声を掛けると、少し緊張した顔をホッとゆるませ「コンニチワ」と日本語で返してくれる。僕には昔、East Villageのリトルトーキョーに日本人のガールフレンドがいたんだ。と、英語で言う。「二日酔い」「ヨッパライ」「キライ」などの幾つかの日本語と、日本人にも分かる様な英語(※の話し方)を彼女に教わったそうだ。僕らは彼に缶ビールやワインを御馳走になりながら、お互いの簡単な身の上と幾つかのバカ話をする。後々よく考えてみると、彼の話す幾つかの日本語は、彼女に振られる間際に言われた言葉のキーワードになっているように思えてくる。彼はかつてはニューヨークに住んでいた。東京の人が東京タワーに行きたいと別段思わないのと同様、グッゲンハイム美術館へ行ったことも行きたいとも思っていないようだ。ここのホステルへは、再びニューヨークに住む為のアパートを探す為に、1日だけ泊まって行くと言っていた。
3人でPM10:00にラウンジを出てリトルトーキョーの「ケンカbar」という居酒屋へ行くことになった。(※前の彼女はかつてそこで働いていたそうだ)日本のひと昔前の大衆居酒屋のような所で、大村崑のオロナミンCの小さな看板や日本語の「焼酎400円」というようなメニューの値札を油煙でうす茶けた壁の至る所に貼り付けて日本の大衆居酒屋風のエキゾチック感を盛り上げていた。3人で50cm四方位の小さなテーブルを取り囲み、焼き鳥、酎ハイ、焼売、焼酎を頼み、興が乗ってくると「牛のちんこ(cow's penis)」という変わったメニューを、給仕の日本人の女の子に声を出して読んでもらう為に頼んだりした。(結局その娘は困った顔をしてメニューを指さすだけで言ってはくれなかった)僕らのテーブルの周りのアメリカ人たちも「ペニス!OH!」とはやし立てて、僕らが1切れずつその白く長細いモノを苦悶の表情をで飲み込むたびに歓声を上げて喜んでいた。それからピーターが斜めに座っているアジア系の若い女の子2人組に目をつけてナンパのようなことをしようとけしかける。マサキがまずテーブルに行き話してみると、アメリカ系アジア人だと言う。次に、僕らの頼んだ「牛のペニス」を分けてあげた後ろのテーブルのアメリカ人青年2人組の1人が聞きに行って、アメリカ系コリアンだと分かった。その次に僕が彼女らのテーブルに行って「I think you are buetiful」と訳の分からないことを言って、顔をしかめてそっぽを向かれてしまう。でも、時々目をやると、怒った顔を時々ゆるめてなんだかまんざらでもないような顔でチラチラとこちらを見ている様子。ピーターはケンカバーに来る時にタクシーの中で「日本人はシャイな奴だけど今日はシャイはなしだぜ。シャイになるのは簡単だけど、それじゃ何も得られないかrな」と言い、僕が「No risk is no succsess?」(※数時間前にラウンジでピーターに教わったアメリカの格言)と返すと「そう!それが重要!」とかエラそうに言っていたのに、結局(※そんなことを言っていた本人だけが)声を掛けられずじまいだった。ひと騒ぎしたあと、一緒にペニスを食べたアメリカ青年らと、50m位先の小さなクラブに入る。しかし、マサキが狭い店内にぎゅうぎゅうに押し込まれつつ踊る人波と、さっき飲んだあまり上等とは言えない酒の味に悪酔いしたらしく、2人で人をかきわけながら店の外に出ると「ヤバイ、吐きそうな感じがする」と言う。僕たちはそろそろ帰ろうか、という気になり、ピーターに事情を説明してタクシーをつかまえて、2人でホステルまで帰ることにした。

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12.Dec.2005(Mon)

昨日は失くしてしまった製図用のシャープペンシルの代わりを探しにチェルシー界隈をうろつくが見つからず、仕様がなく(※予定変更して)クィーンズのPS1という現代美術のアートセンターに行った。しかし、PS1に着いたのが3.4時頃だったので3階ある中の1階部分しか見れなかった。僕が見た展示は労働者をテーマにした18名の作家のインスタレーション作品で、いいと思える作品がいくつもあった。一番好きだったのは、ある女性作家の作品で、アメリカの昔のポスターのような少しカントリーな雰囲気の(※あとで思い返すにマザーグースを意識したものらしい)貼り紙に、版画風のかわいい絵と自作の歌の歌詞を刷った作品で、3人の実在の女性をモチーフにその3点が3つ並んで展示されている。各々に作家自演の歌が聴けるよう、脇にヘッドフォンがかけられており、かわいい声を童謡調の(※マザーグース?)歌に乗せてかなり皮肉な歌を歌っている。その中の1つにディッキー・ロンドン(だったかな?)の歌というのがあって、歌詞の上には女性米軍兵士のディッキー・ロンドン(※もちろんこれはリンディー・イングランド上等兵をモデルにしている)が、犬の散歩のようにして、うずくまるイラク人捕虜をひもでつないで見下ろしている版画風のかわいらしい絵が刷られている。そして、♬かわいいディッキーは今日もイラク人をひもでつないで収容所のお散歩♬記念に写真を撮りましょう♬みたいな感じの内容をキュートに歌った歌がヘッドフォンから流れる。…CDがあったら本当に買おうかと思う位可愛いらしい歌だった。(※しかし、今、ネットでイングランド上等兵を検索して、彼女のバックグラウンドを知る。やはり世の中は単純に割り切れない複雑なものであることを自宅にて実感。参考:http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040529)

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ホステルのラウンジに戻るとミサキに会う。そして、今は帰途に着いているはずのユウが前にラウンジで少し話していたサカイさんという眼鏡をかけたとても真面目な女の子にも会う。彼女は大学でファイナンスのことを学んだらしく、とても頭の回転も速く、しっかりした部分もあるのだが、どこかマイペースで憎めない、色白のとてもかわいい女の子だった。それは誰が見てもそう思われるだろうという可愛さで、本当に日本人的な柔らかい顔立ちに、長い黒髪を持った、何だか清楚な感じのする女の子だった。ユウがここを発つ前に彼女のことをとても心配していたのは、そんなこともあったのかと思う。普通に…清楚な感じのカワイイ女の子が(※初めて日本を出て)アメリカ各地を1人で旅する(※しかもこんなバックパッカーが泊まる様な安宿に泊まる)姿というのは、やはりオチオチと見てられないという気持ちにさせられるのは事実だ。しかし彼女とよく話してみると、話の端々に、彼女には彼女なりのこだわりを持っていることがわかり、多分、マイペースな人らしく、頑固な一面も時にはのぞかせる人の様な気がした。そいいう少し自分にも似た面を持ち合わせる彼女に自分自身を少し投影して同情する反面、こういう自分の法則で動いて人生を模索してゆくタイプは、何があっても、どこに行っても、自分なりの方法で道を見つけ出して行けるような気がして心配する必要もないのだと思い直すことにした。彼女は今朝(※このチェルシーのホステルをチェックアウトして)ラガーディア空港を発った。今頃、飛行機でシカゴへ向かいつつ空を見ているのかもしれない。ファイナンスを学んだ人らしく旅行の日程や、金額などを綿密に下調べしていた。自分にとって最適と思われるプランを着実にこないていくのだろう。彼女が信頼している教授に勧められたという今回の1人旅は、彼女の期待するように、内気だという彼女の中に何らかの変化をもたらしてくれるだろうか。そして彼女の中で変わらない部分はどんな部分なのだろう。その果てに彼女は何かを見つけられるかもしれないし、何も見つけられないかもしれない。日本を越えた、世界というコンテクストのカオス的振る舞いに、彼女がどういう答えを導きだすのか、とても興味深い。

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12.Dec.2005(Mon)

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今日は、午後にラウンジを出て、0.9mmの製図用シャープペンシルを再び探しに行く。8th Av.を少し歩いた所にアートスクールの建物を見かけたのを思い出して、そこに向かって歩く。アートスクール前のストリートに折れると少し行った所に案の定、画材屋が見えてくる。始め店内を見て回るが製図用のインクペンしか見つからなくて、そこに座って商品整理をしていたお兄さんに聞いてみる。するとすぐに場所を教えてくれて、やっと0.9mmのシャープペンが見つかるのだが、このペン軸が異様に太い。仕方がないので0.7mmのものが3本組で(何故こんなものが3本組みなのか意味がわからないのだが…。シャープペンなんだからノックを押せばいくらでも芯は出てくると思うのだが…。)$1.78ととても安いのでそれも一応買っておく。帰りにホステル近くの小さな図書館に寄ってシャープペンの調子を見てみる。0.9mmのほうは、何故かノック部のケシゴムが上へ上へと伸びて、いくらがんばってみても芯を出す方法が見つからない。0.7mmの安いほうのシャープペンのほうがまったく使い易くて、0.9mmを買ったのは失敗だったと思う。というわけでその0.7mmのシャープペンシルで試し描きをする。あまり良くない絵だが、シャープペンの調子は上々だった。

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13.Dec.2005(Thu)

今日はグレイハウンドバスの値段と日程を調べに8th Av.の42st(※だったっけ?)まで行く。バスの発着場になっている所だ。入口を入ると2m四方位の大きなオブジェが置いてある。番号のペイントされたカラーボールが上から下へと色々なコースを辿ってその途中にある鉄琴を鳴らしたりベルを鳴らしながらくねくねと曲がった鉄のレールを降りてゆく。そして1番下に降りた所でモーターの付いたベルトで再び元の1番上の位置まで運ばれて、再び同じコースを降りてゆく。赤い鉄の枠組みと大きな5枚のガラスで組まれたボックスで仕切られたそのオブジェの一連の流れを、5分位突っ立って眺めていると、ふいに大きなクシャミをしてしまう。横に立っていた白人男性が「Bless you」と言ってくれたので、「Thank you」と返してから、その男性に何か話し掛けるべきかどうか迷うが、何も浮かばなかったのでそのまま立ち去りインフォメーションまで行く。インフォメーションは「グレイハウンドバスのことはそこの階段を降りた所で聞いて」と言われインフォメーションの後ろの階段を下りるとグレイハウンドバスのチケット売場の前に着く。チケット売場の一番左にあるグレイハウンドの案内所で日程を聞くと、パソコンで出力したNY→ロサンゼルス行きのバスの詳細を渡してくれる。とは言っても略字だらけの出力紙はバカな日本人には少しわかりづらかったので一度脇に退いてから、質問する要点を頭の中でまとめて案内のおばちゃんから要点を聞き出す。(※L.A行きの)便は毎日出る。片道2日間。料金は往復$309(※時価らしい)それだけのこと。
その後ニューヨーク自然史博物館に行く。入口には恐竜の形をした植木がクリスマスリースを持って2体向かい合って出迎えてくれる。トラベラーズチェックでチケットを買いにカウンターまで行くがかなり手間どる。トラベラーズチェックは安全だが、カウンターの人にはとても面倒臭がられてしまう。この建物の外観を見た時何だかいやな予感がしたが、その予感は的中した。あまりにもバカデカくて自分の居場所がわからなくなってしまうし、建物の展示内容が北と南に分断されていて、1まとまりの展示を見終わると、またもとのエントランス当たりまで来た道を戻ってこなければ 反対側の別の展示を見に行けなかった。そんなこんなで、僕が一方の動物の生態系のジオラマとか民族文化資料とか巨大恐竜の化石展示群を見ている間に時間は過ぎてしまい、一番楽しみにしていた(※反対側で行われていた)企画展「ダーウィン展」の展示室前まで来た時には既に閉展間際で入場できないようになってしまっていた。美術館ならば自分の見るべきものも、それに費やす時間も大体予測はできるのだが、博物館はどうも勝手がわからなくてとんだ失態をしてしまった。おまけに、何故だかお土産やでは見てもいないダーウィン展用のお土産であるダーウィン著「種の起源」のペーパーバックを、読めやしないだろうに買ってしまうし、失態の動揺が続いた為か帰りの地下鉄では何度も駅を降り損ねて行ったり来たりをくり返してしまうし、トンデモなく疲れる1日になってしまった。

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帰るとマサキとミサキがラウンジで、今日来た韓国人青年Choonと楽しそうに話していた。Choonはこの1ヶ月アメリカ各地をAmtrack(有名な長距離鉄道会社)の30日フリーパスで転々と旅していたという。顔は少し日焼けして、色々な所で沢山のいい友達をつくってきたという言葉を裏付けるように険のない、落ち着いた、とてもいい顔をしていた。その後、ラウンジの色々な国の人たちと少し話してから僕は静かなインターネットルームに消えて、一人でこの日記を書いていた。
夜中にみんな寝静まった真っ暗な4人部屋に戻り床に着いた。朝起きると、僕の並びのベッドにはChoonがいてお互いの眠い目をこすりながら「Good morning…」と、キョトンとした顔をして声を掛けた。

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14,Dec.2005(Wed)

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今朝、明日の朝に帰るマサキの絵を描かせてもらう。その後、何をするあてもなく外へ出ると、近くのホットドッグ屋でホットドッグ2個とホットチョコレートのスモールサイズを頼む。ここのホットドッグは$1とチープな値段だがとてもおいしくて良心的な店だと思う。このチェルシーのホステルに来る前、ギャラリー巡りをしにチェルシーに来て、ギャラリーが見つけられなくてとても困っていたことがある。その時丁度、この交差点で地図を広げてウロウロしているところをここの人に助けてもらったことがあった。僕はこの交差点で地図をにらめっこをしながら通りかかる人にギャラリーの沢山ある通りがどこにあるかを聞いていた。何人かの人に聞いても皆場所がわからないらしかった。ところが、最後にたずねた中年のイタリア系男性が場所を知らないにも関わらず「No problem!」と言って、おしゃれな雰囲気の美容室にずかずかと(※僕を引き連れて)入り込んで「この店に日本人いたよな、日本人!」と言ってカウンターにいた日系米人女性に聞くが、彼女が日本語を話せないとわかると再びコーナーに出て手当たり次第にそこを通りかかるアジア系の人に聞きたおした。「Are you Japanese?」「No」「Are you…」2.3人に聞いたところで僕が「Ok ok. I look for by myself...」と言うと「大丈夫、ちゃんと俺が日本人探してやるから心配すんな」と言って、ついには日本人を探し当ててくれて、僕はその人に道を教えてもらうことができたのだった。後日、チェルシーのホステルに移ってきた時、このホットドッグ屋でホットドッグを頼んだ。ちょうど朝の通勤時間で来る人は大抵テイクアウトで茶色い紙袋にホットドッグを入れてもらっていた。そこで店の人に持ち帰りにするかどうかたずねられると、よく聞き取れなくて思わず「Yes」と言って、持ち帰りで頼んでしまった。すると奥の方から店主らしき人が出てきて、「紙代もバカにならないんだけどなあ」という感じで重ねた紙袋の束を指でつまんでひらひらと動かしてみせる。よくその人の顔を見てみると、前にここの角で助けてくれた人。彼は前の事を憶えているだろうか。彼は紙袋を見て少し考えている様子。僕はまったくの人違いかもしれないので声をかける勇気が出なかった。僕は何となく少しぎこちない気持ちと紙袋を抱えつつ、その時23st 8thAv.コーナーのホットドッグ屋の外に出た。

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15.Dec.2005(Thu)

今朝マサキが帰る。何だか一抹の寂しさは感じながら、再びこのホステルに来た時のように自分のリズムに戻りつつ…。

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ところで昨日はStaten isiandに行った。というのも自由の女神(※Liberty islandにある)を見に行こうとマンハッタンの南端のフェリーポートへ行ったところ、サブウェイの地下から直接つながるフェリーポートが目の前に出現したので「おっ!これか」という感じでそのままフェリーに乗ってしまったのだ。ここのフェリーポート開港100周年だからなのかどうか、無料で乗れたので別に「これも運命さ」という気になってそのまま島に降りて散歩をした。この島は閑静な住宅地という雰囲気のする場所で、文化的な様式の差異を除けば町の持つベッドタウン的な役割としての位相が僕の住む所沢などの郊外地と似通っていてとても落ちついた雰囲気の町だった。この町を歩いていると、マンハッタンという島も観光客の為のテーマパークの1つのアトラクションだったような気がする。そんなわけはないのだが。下校途中の大勢の小学生が無邪気に遊んでいる。そんな子供達をよけながら歩道を歩く無精ヒゲの日本人は自分でもかなり浮いているように感じる。散歩の途中で立ち寄ったピザ屋のピザはマンハッタンのそれよりも僕の口には合っていた。

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チェルシーのホステルに戻るとスペイン女性とドイツ人の男性とラウンジで話す。スペイン女性は建築の勉強をしていてドイツ人男性は音楽の演奏などを趣味でしている。男性は結構いい歳をした人で、彼の母親は北欧系の人でピアニストになる予定だったのが戦争でドイツ軍に攻め入られた時からピアノを断念しなければならなくなったのだそうだ。そして今、彼はドイツで仕事をやりながら、その母親に教えてもらったピアノを使って仲間達と音楽のイベントをしたり、レコーディングをしたりして、思う存分音楽を楽しんでいるそうだ。

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16.Dec.2005(Fri)

(※昨日の話)
1.自由の女神を見に行く。Liberty islandへ。モデルとなったといわれる女性詩人の詩が刻まれた小さい自由の女神像のおみやげを買う。そしてエリス島を回って再び出発地のバッテリーパークに戻る。

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2.メトロに乗って、クィーンズのイサム・ノグチ美術館へ。
3.明日帰るベアトリス(昨日話をした建築家志望の女性)とラウンジで美術の話をする。
3.1彼女はフラ・アンジェリコなどの古典的絵画が好きではない。僕は古典絵画の画面構成と、ドナルド・ジャッドなどのミニマリズムとの関連性をつたない英語力で説明するが、それでも彼女は好きになれないらしい。
3.2彼女はドガなどの印象派が好きだったが、眼近に作品を見てみるとあまり良くなかったと言う。
3.3彼女にCanal st.のPEARLという大きな画材屋を教えてもらう。その店の名刺ももらう。
3.3.1シャープペンシルだけで絵を描いていた僕に、彼女は水彩画を勧めようとしてくれたらしい。どうやらこの寒い季節に、震えながら外でスケッチをしていた僕に気を使ってくれたらしい。
3.3.2彼女は昨日、水彩で描いた自分のスケッチブックを見せてくれた。
3.3.314歳迄ピアノを習っていた彼女らしい、一般的な建築画的ではないリリカルな印象の色使いをしたきれいな絵だった。
3.3.3.1建物の他にも、本棚や、彼女の妹、コンサート中のピアノ奏者やチェロ奏者をモチーフにしたものもあった。
(※3.3.3.214歳になったときに、あなたはこの道では食べてゆけないからと一方的に親にピアノを辞めさせられてしまったという彼女が今なお抱いている音楽へのシンパシーをその色使いと軽快なタッチからもうかがえる気がした)
3.4日本の水墨画の筆と硯を買いたいが、ここで買った方がいいものかどうかという質問。頑張って答えようとするが僕は答えに窮する。
3.5明日このホステルを発つ彼女と最後の別れ。彼女は「あなたにとっていい休暇になるように」と言う。僕は「Good Luck」と言ってラウンジから出て行く彼女を見送る。

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後編へ続く


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