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【ドイツを想う】第2回ドイツ語ができてよかったと思うこと ~ドイツ語で文学を味わう~

宍戸里佳

 前回書いたとおり、私のドイツ生活は合計すると16年になるわけですが、その間ずっと、ドイツ語が堪能だったわけではありません。幼少期には現地の幼稚園と小学校で困らないほどのレベルではあったものの、その後帰国してからの4年間できれいさっぱり忘れ、小5から中3までは日本人学校に通ったので高度のドイツ語力は必要なく、きちんと勉強を始めたのは日本で大学に入ってから。そして、真に留学可能レベルにまで到達したのは、留学直前ぎりぎりの時期です。

このときにはまだ、自分がドイツ語の本を1冊通して読むだなんて、思ってもいませんでした。(卒論に必要な論文を、何か月もかけて読んだことはありましたが。)

 ドイツ語の小説を読むようになったきっかけは、同時期にドイツに留学していた、日本人の友だちからの電話でした。「ヘッセの『春の嵐』がとってもいいお話だったから、ぜひあなたも読んで!」と言われ、そうか、読んでみるかという気に。そして、「せっかくドイツ語ができるのだから、できればドイツ語で!」とも言われ、素直に街中の書店へ行き、ヘルマン・ヘッセの『春の嵐』(原題:Gertrud)を手に取ったのでした。

 読み始めてみて、びっくり。ドイツ語が分かりやすいのです。当時はまだ留学して半年で、読んでいたものといえば、授業に必要な文献や論文ばかり。ドイツ語にはだいぶなじんでいましたが、それでもまだ「外国語」の域を出ていませんでした。

 ところがヘッセの文体は、「模範解答」のように読みやすいのです。破格の文がほとんどなく、「行儀のよい」文が続くので、話の展開にもじゅうぶんついていけます。そして何より、文が美しい! 1つ1つの単語の選びかたに始まり、それぞれの事柄を段階を追って丁寧に表現した構文や、激情を抑えた表現、淡々とした筆の運びなど、ドイツ語でこんなに美しい文章が書けるのかと、心の底から感心してしまいました。まさにフランス語のようなのです。本当に惚れ惚れするほど美しく、すっかりヘッセのファンになりました。

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 ▲ヘルマン・ヘッセ『春の嵐』
 ゲルトルートは女性の名前。主人公の青年は彼女を想い、
彼女が歌うためにオペラを作曲する。 

 それ以来、ヘッセの本はたくさん読みました。留学期間中に、10冊以上は読んでいます。特に心に残ったのは、心理学的な内容をもつ『デミアン』と、仏教を題材にした『シッダルタ』です。「童話集」や「恋愛小説集」も読みました。どの作品も文の美しさは変わらず、構文もきちんとしています。そのため、日本に帰ってから、講読の授業で何度か取り上げたことがあります。文法的に、非常に説明がしやすい文体なのです。

 ヘッセで味を覚えてからは、ほかの作家も読んでみるようになりました。たとえば、音楽史にも出てくるE.T.A.ホフマン。『黄金の壺』や『マドモワゼル・ド・スキュデリ』を読みましたが、ヘッセよりも100年古いドイツ語なので、ヘッセとの比較でいえば少々読みにくく、軽妙で「遊んでいる」文体、という印象を受けました。

 それから、ドイツといえば、何といってもゲーテです。ホフマンよりもさらに前の世代ですが、ヘッセより荘重で硬い文章であるものの、決して読みにくくはなく、意外にも(失礼!)感情表現が豊かで、楽しんで読めました。読んだのは『若きウェルテルの悩み』、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』などです。

 そして、これまた有名な、トーマス・マン。難解なドイツ語で知られる作家ですが、『ブッデンブローク家の人々』に挑戦してみました。なるほど難解で、1文が5行以上になることも多く、4~5回繰り返して読まないと文意が取れない文もありましたが、いったん分かってしまえば決して「破格」ではなく、文法に沿った文体であることが分かります。これで自信をつけ、『ヨセフとその兄弟』(全4巻)も読み切りました。壮大な物語でした。(ちなみにトーマス・マンは、ヘッセと同世代です。)

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▲トーマス・マン『ブッデンブローク家の人々』
 750ページもの長編。「〇〇は1本の歯が原因で命を落とした」という
1文から始まる章が、今でも印象に残っている。

 このほか、フランスやロシアの文学や、アメリカ映画の原作などをドイツ語の翻訳で読んだりもしましたが、ドイツ文学をドイツ語で味わえたことは、大きな財産となりました。ドイツの精神世界にどっぷり浸かることができて、贅沢な時間が過ごせたと思っています。
(※ 文学論については専門外なので、どうぞご容赦ください。)

記事を書いた人:宍戸里佳
桐朋学園芸術短期大学非常勤講師(音楽理論)、昴教育研究所講師(ドイツ語)。専門は音楽学。
著書は『英語と一緒に学ぶドイツ語』『しっかり学ぶ中級ドイツ語文法』『他言語とくらべてわかる英語のしくみ』(以上、ベレ出版)、『大学1・2年生のためのすぐわかるドイツ語』(東京図書)、『基礎からレッスン はじめてのドイツ語』(ナツメ社)など。


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