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語学書の著者のコラム

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ベレ出版語学書の著者による、本を書くこと以外のお仕事の話、教えること、ことばにまつわること、言語について。
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#留学

第1回:東大生が海外留学し挫折するまで

こいけかずとし 東大入試と英会話は別物です私は福島県の田舎にある高校から東大に入学しました。受験勉強のおかげで英文法と英語の読み書きはある程度できました。しかしリスニングとスピーキングが苦手で、英会話はまったくできませんでした。 東大入試でもリスニング問題が出題されます。私の場合、リスニングはほぼ0点で、それ以外の部分でリスニングの失点を補っていました。振り返ると、リスニングが苦手だった原因は経験不足にあります。高校で英会話の授業はなく、授業で学んだのは英文法・読解・英

「社会人」に一休み、中国留学してみれば 第1集 

林屋啓子 外国語の勉強が大の苦手だった私ですが、職場で中国人の女の子と仲良くなったのがきっかけで、中国語をかじってみることにしました。市民講座に申し込むと、中国語は漢字のおかげで手がかりが多く、スタートダッシュをかけられることが分かりました。すっかり気を良くした私は、2年ほど勉強したあたりで、大胆にも中国に留学しようと思い立ちました。当時、正社員でなかったこともあり、ちょっと生活を変えてみるのもいいかなという気になったのです。その頃のレベルは中検3~4級ぐらいでしょうか。

僕が見たアメリカ[7]~これだから異国の生活は面白い ~

藤井拓哉(英語講師) 英語がわからないことによる「差別」 アメリカという国を語る上で、切っても切れないのが「差別」だ。 「人種差別」は、言わずもがなだが、アメリカに行く多くの日本人がまず経験するのは「言葉がわからないことによる差別」だろう。アメリカ人は、ストレートに物事を言ったり、露骨に態度に表したりすることが多いためこちらが受けるショックも大きい。 私の友人は、アメリカの空港に着くなり、いきなり洗礼を受けたと言う。 「お腹が空いていたから、ハンバーガー屋に行ったんだ

僕が見たアメリカ[6]~これだから異国の生活は面白い ~

藤井拓哉(英語講師) マイノリティーであれ!日頃から留学を勧めている私。そのため、学生から「先生は、アメリカに留学して良かったと思えることは何ですか? 英語が話せるようになったことですか?」といった質問もちょこちょこ受けます。 確かに英語が話せるようになったのは大きかったです。おかげで、英語の教員として、家族にメシを食べさせることができているのですから(ちなみに英語でも put food on the table で「生活していく / 養っていく」という意味を表すことがで

【ドイツを想う】第4回 「翻訳」語にみる先人たちの知恵 ~「酸素」と「盲腸」~

宍戸里佳  ドイツ語に接していると、ときどき興味深い現象に行き当たります。ドイツ語と日本語の単語が、そっくりの構造をしているのです。  たとえば、鉛筆。ドイツ語ではBleistiftといいますが、これは分解すると、Bleiが「鉛」、Stiftが「ペン」で、まさに「鉛」+「筆」なのです。  ほかには、たとえば鉄道。ドイツ語ではEisenbahnで、分解するとEisenが「鉄」、Bahnが「道」。こちらも「鉄」+「道」となっています。  日常語では、そのほか次のような単語が、

【ドイツを想う】第3回 ドイツになくて切なかったもの ~正月の飾り、桜、紅葉~

宍戸里佳  ドイツに長く住んでいると、日本のものが恋しくなったりもします。よく言われるのは、食べ物、テレビ、本、といった感じでしょうか。(今はインターネットが発達しているので、テレビや本は、恋しくならないのかもしれませんね。)  幸いに私は、子どもの頃からドイツ生活が長かったので、留学していた時期にも、日本の食べ物が恋しくなることは、ほとんどありませんでした。お米は1か月に1回くらい炊いただけ。ドイツの空気の中にいると、不思議と、日本食を食べなくても生きていけるものです。

【ドイツを想う】第2回ドイツ語ができてよかったと思うこと ~ドイツ語で文学を味わう~

宍戸里佳  前回書いたとおり、私のドイツ生活は合計すると16年になるわけですが、その間ずっと、ドイツ語が堪能だったわけではありません。幼少期には現地の幼稚園と小学校で困らないほどのレベルではあったものの、その後帰国してからの4年間できれいさっぱり忘れ、小5から中3までは日本人学校に通ったので高度のドイツ語力は必要なく、きちんと勉強を始めたのは日本で大学に入ってから。そして、真に留学可能レベルにまで到達したのは、留学直前ぎりぎりの時期です。 このときにはまだ、自分がドイツ語

【ドイツを想う】第1回 どこでドイツを感じるか ~ドイツの空気~

宍戸里佳  私がドイツに住んでいたのは、1歳から小1までの5年半と、小5から中3までの4年間、それに大学卒業後の6年半です。合計すると、16年。つまり32歳の誕生日までは、「人生の半分以上がドイツ生活」という状態だったわけです。(それ以前、中3の途中で帰国してから19歳の誕生日を迎えるまでも、同様です。)  そんな私が「ドイツ」と聞いて思い起こすことは、まず第一に「ドイツの空気」です。ドイツの写真を見たり、テレビでドイツの景色を見たりすると、肌が反応し、かつて自分が包まれ