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首吊り一人目:親愛なる父君の話①

私の父が死んだのは2010年4月。ちょうど大学受験を控え、勉強に本腰を入れないといけないと思いはじめたころだった。

高校3年に進学し、家庭の事情+田舎で偏差値40代の高校しか選択肢がなく、受験情報や勉強のための環境も整っていない猿山状態だったため、国公立大学を目指すのは無謀かと思われていた。

それでもなんとか勉強して大学進学を目指そうと勉強を本格的に始めた矢先、父親が突然首を吊って死んでしまった。

ちょうどその日は土曜日で、ボーイスカウト活動をしていた私は救急救命の資格を取得すべく講習会に参加していた。受講が終わって家に帰ると、いやに家の中が慌ただしい。

玄関にはいるやいなや母が出迎えてくれたのだが、その時の一言が「大変なことをしでかした」だった。

真っ青になった母の顔。何が起こったのか全くわからず、立ちすくんでしまった。きっと何かが起こったに違いないが、何がおこったかさっぱり想像がつかない。

私はおろおろとしていると母が一言「お父さんが首を吊った」、とはなった。

母の言葉を聞いても、何も実感が湧かなかった。何が起こったのか状況が飲み込めずにいた。ただ一つわかったのは、父親が首を吊ったこと。それだけ。

事態が理解できずにいた私を、母は半ば無理やり車に押し込み病院に連れて行った。そして救急治療室に入ると、そこには顔を真っ青にして横たわる父の姿があった。

朝、スカウトの講習会に行く時は元気に「いってらっしゃい」って言ってくれた父が、今はもう横たわって脳死状態だった。何がどうなっているのかさっぱりわからない。頭が混乱するばかりだった。

その後聞いてわかったことが、私が講習会のために家を出たしばらく後で、突然電気コードを首にかけて吊ってしまったそうだ。その姿を見つけた母はとにかく下ろして救急車を呼んだ後、必死に心肺蘇生法を繰り返していたらしい。

皮肉にも、私がスカウトの講習会でマネキンに心臓マッサージをしていた時、母は父に見よう見まねでぶっつけ本番のマッサージをしていたのだ。

私は悔しかった。学んだものが全く活かせなかったことを。もう1日学ぶのが早ければ自分が心臓マッサージをできたかもしれない。父の命を助けたかもしれない。

もっと父と話していれば…。思春期真っ盛りの私は父のことをなんとなく好きになれず、遠ざけていたのを覚えている。大人になれば父の気持ちや考えていることがわかるだろうと思っていた。話も合って一緒に酒が飲めるだろうと思っていた。しかしそれが叶うことはなかった。

結局、母の奮闘も虚しく父は脳死となってしまい、よくて一生植物状態になってしまった。「これ以上苦しんでほしくない」という母の願いから、延命装置を外すことになり、完全に死亡。その瞬間に立ち会った私は泣くこともできず、ただ穏やかに眠る父の亡骸をじっと見つめるだけだった。

首吊り一人目:親愛なる父君の話① 完





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