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幼児がペットの死に直面したとき

飼い猫が死んだ。2匹立て続けに。2匹とも病気だった。
年齢的には大往生。夫にかわいがられて、幸せな猫生だったと思う。

2匹はうちの子にとっては産まれてからずっと一緒だったみたいな存在。
動物が身近にいたからか、うちの子は小動物が大好きになった。パソコンの画面で子猫や小うさぎ、リスなどを見ると、顔を画面に押し付けてすりすりするほど。だから、急なお別れをどのように受け止めるのか、私としては不安でもあった。

1匹目は、夫が病院に連れて行き、空のかごを持って帰ってきた。だから、うちの子はちゃんとしたお別れができなかった。
2匹目は、家で夫の腕の中で死んだ。
だから、子どもに、焼き場に連れて行く前にお別れをしたいか、と聞いてみた。すると、したい、という。そして、すでに冷たくなった猫の頭をなで、ふぇ~ん、と泣いた。だから、私はわかったのだと思っていた。この子は、猫ちゃんが死んだということを理解したと思った。

それからしばらくして、ママ友に聞かれた。
うちの子が猫が死んだということを理解していないのか、と。
そのママ友に、「うちの猫はパパがどこかに連れて行った。だから、また連れて帰ってくるのを待っているんだ」と話したらしい。

うーん、と思った。私はあのお別れでわかったと思っていた。でも、そうか、死んだということは理解したけれど、死とはどんなものか、は知らないのだ。

どうやって子どもに死を説明しようかと考えていたら、ある日、散歩中にふと通りかかった墓地に、子どもが入りたいという。
子どもについていく形で墓地にはいると、
「どうしてここではうるさくしちゃいけないの?」
と聞いてきた。ずいぶん前に一度来たことがある墓地だったのだが、その時に私がいったことを覚えていたようなのだ。
「ここには死んだ人がたくさん眠っているからだよ」と言うと、
子どもはゆっくりと、たくさんある墓石を見渡して、
「たくさん死んじゃったね」と言った。
「そうだね、みんないつか死んじゃうんだよ。でも、そのかわり、Babyが新しく生まれてくるでしょ」と言うと、
「同じ人はまた生まれてくる?」

ああ、そうだったのか、、、ここでようやく、うちの子が死についてどう考えていたのかがわかった。
胸に痛みを覚えながらも、
「ううん、残念ながら、同じ人は生まれてこないんだよ」と言うと、子どもは下を向いてしまった。
そして、幼児がこんな泣き方をするのか、というくらい、切ない、声を殺したような泣き方をした。
これで本当にわかったんだな、ということが、痛いくらいわかった。

その後も、何かにつけて、死に関する質問をしてくる。
「年が大きくなると(=年をとると)、死んじゃうの?」
「うん、でも、日本のおばあちゃんは70歳すぎているけど、元気でしょ。」
「おじいちゃんは?」
「おじいちゃんは病気で死んじゃった」
「おじいちゃんに会いたかった~」と言ってふぇーんと泣いたこともある。

「日本では死んだ人をなおして、また生きられる?」
「日本でも死んだ人はなおせないよ」
なんてやりとりをしたこともある。

さるかに合戦を読んであげたら、死んだカニのことが気になってしかたがなくて、「どうして死んだカニは緑になるの?」(絵本の絵がそうだった)と聞いてきたり、突然、「どうして年をとると死んじゃうの?」と言ってきたこともある。

小さな頭で、死というとてつもなく大きなものを、少しづつ理解し、受け止め、消化しようとしている。すごいことだな、と思う。

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