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真っ当な外見?

最近、職場での所属部署の体制が変わった。

理由、というか原因は、前向きなことではない。

人間関係のゴタゴタや、管理職と経営者のいざこざによるものだ。

体制が変わったことで、業務の見える化が行われるなど、テコ入れが進んでいる。

ハッキリ言って面倒くさい。

僕は環境の変化に強いタイプではない。

ポジティブな性格でもないので、テコ入れを前向きに捉えることが出来ない。

集客や売上の向上に向けた取り組みであると説明されても、「分かりました、頑張ります」とはならない。

ならない、というよりか、なれない。


会社で働いていれば、ある人は言うものだ。

「この時代、会社の業績のためなら頑張るのは当たり前だ。努力や改善を試みないで、業績が悪くなるのを、指を咥えて見ている場合ではない。多少の無理をしてでも。社会人なのだから。それに、この会社で給料を貰っているんだから、潰れたら困るのは自分だ」

と、こんな主旨のことを。


でも僕は会社の仕事のことなんか正直どうでもいいと思っている。

売上も業績も知ったこっちゃない。

30半ばの大人とは思えない、責任感の無い思考回路だ。

もちろん、社内でこんな発言は出来ない。

心を抑え込んで、自我を消して、真面目に考えてる顔をする。

だから、働いていると気が狂いそうになる。

社歴という意味でなく、社会人歴として、もうそろそろ限界が来そうだ。

会社員は性に合わない。

捨て去りたい。


ただ、ここでひとつの問題が頭をもたげる。

僕は、なんと会社員としてコツコツ働いてそうな外見をしているのだ。

これは結構重大な問題と捉えている。

僕は、安定を捨て、アウトローとして生きていくのが似合う風貌なんかしていない。

アートの世界で生きているふうな容貌でもない。

自由人が似合うルックスでもない。

なんの特徴もない、ただの社会人ぽい見た目をしている。


だから、会社員を辞めて安定しないライフスタイルをこなすのがサマにならない。

サマになるかどうかというのは割りと重要だ。

「あなた、何してる人?」

「自由人です」

「ぽいですねぇ~」

こうなると、その人の姿と生き方が、他人から見てもマッチしていて、なんか良い。

結果どんな印象を相手が抱くかというと、

「固定観念にとらわれずに、自分が納得する生き方を選んでいるんだな。かっこいいな」

となる。


ところが、僕の場合だとこうなる。

「あなた、何の仕事しているの?」

「自由人ですね」

「お? いまおいくつでしたっけ?」

「35です」

「げっ・・・・・・、いい歳して・・・・・・」

以上。


なぜこんな結果になるのか。答えは、そういう生き方が似合わない容姿をしているからだ。

つまり見た目とギャップがあり、それがマイナスに作用するギャップであるがために、信頼感を獲得出来ないのだ。

人は、言葉には出さずとも、目には感想を表してしまうものである。

僕は他人のそんな目を、目から滲み出る内心を、比較的感じとれる方だ。自称だけど。

だからそんな目を向けられるのは、くる。

ジワジワと、心理的にダメージが、くる。

他人の目なんか気にするな、と分かってはいるけれど、心の芯は誤魔化せない。

相手が好きな子だったりしたら尚更だ。

人に非ず。そう言われている感覚になる。

だから、結局会社員を選んでしまう。

仮初めの仮面としても。

それを繰り返し、ずっと生きていくのだろうか。

あーいやだ。


しかし結局のところ、本物と呼ばれるべき人は、他人からの目なんかやっぱり気にしないだろう。

僕のように、こんなふうにアレコレと面倒くさいことを考えて思い煩ったりせず、ただ真っ直ぐ進むのだろう。

自分の見た目が~なんて考えることすらないのだろう。

こんな小さなことを気にしている時点で、見た目云々とかもう関係なく、僕は固定観念にとらわれない生き方なんて出来ないのだ。

そう、出来ないのだ。そういう人間として生まれてきてないのだ。


会社員として生きる。

それが僕にマッチした生き方ということなのだ。


見た目は内面を写し出す。

ならば、僕の外見だけでなく、内面だって、会社員が適しているということなのだ。

これが進むべき道ならば、疑問に思う必要はない。

そう、会社員こそが、僕が僕らしく生きる最善の道だったのだ。


だがしかし、今も感じているこの違和感は。

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