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鍛えた技を捧げ、威力の武器を持って
今日、職場で同じ部署のバイトさんが一人辞めた。
結婚している女性で、僕よりも4コか5コ下の方だ。
とても穏やかで、声を荒げるようなことが全くない、とにかく良い人だった。
入社して1年弱だったけど、社員組では手が回らないところをフォローしていただき、とても助けられた。
ただ、諸々の事情があって、急遽退職が決まった。
既婚者と諸々の事情という言葉が連なると、どうしても不倫関係の連想が浮かびがちだが、そんなことは全くない。
僕とそのバイトさんは隣の席だった。
とても穏やかな人で、苛立ちとは無縁そうな雰囲気を醸し出していたけれど、その人はある部分で僕ととてもよく似た価値観を持っていた。
業務中に少し雑談する余裕が生まれると、よく、会社員の価値観の不気味さについて話していた。
会社で働いていれば、そこがひとつの閉じた世界でありながら、この社会では何故か一定の価値観がズザーっと平らに広がっていることが誰にでもわかる。
それは明文化されていない法律のようなもので、その法律から外れる者は具体的な形は成していないふわふわした罰を与えられる。
僕の会社では、数カ月に一度、若手社員向けに、1日使った外部研修が行われている。
僕も受けている。
そこでは、外の会社から来た優秀な講師が、一所懸命になって僕たちに、ビジネスパーソンとして重要な心構えや態度、考え方、行動を、具体例を提示しながら教えてくれる。
研修中、講師から指名されて発言する機会もあるし、チームに分かれて与えられた課題について回答を出していくゲーム形式のことをやったりもする。
参加している社員はほとんどの人間が、その研修の中で正解を出そうとしている。
昔、学校の教室で、先生に向かって正解となる回答を出し、優等生として認められようとしていた子供たちの姿がそのままそこにあるようだ。
研修は会議室の一室を使って長時間行われている。
閉じた空間で、長時間。ここがミソだ。
みんな、自動的に、オフィスで働いている時とは人間としてのモードが切り替わってしまう。
そこが、その室内で完結した世界になるからだ。
完結した世界内では、恥をかかないために、その世界で求められている正解を出し、自分は優秀な人間の側であることを証明しなければならない。
でないと、劣等感を与えられ、恥ずかしい思いをしてしまうから。
講師はよく褒めてくれる。ハッキリ言って、優しい。
褒められれば、誰だって嬉しい。
僕だって褒められたいと思って、研修に臨んでいる。
でも、一方で、研修の時間ずっと、「気味が悪い空間だな」と思いながら僕はそこに座っている。
別に講師の方や社員たちをネガティブな想いで見ているわけじゃない。
ただ、みんな優秀だな、と感じるだけだ。
みんな、ものすごく正解を出したりするのだ。
ビジネスパーソンとして素晴らしい。
言っちゃ悪いが僕は吐きそうになってくる。
何となく、洗脳というか、思考矯正させられているような感覚に陥る。
そりゃそうだ。
そこで教えられ、叩き込まれているのは、たったひとつの考え方であるのだから。
ビジネスパーソンとしての、あるべき考え方だ。
それが仕事上での良いコミュニケーションを生み、生産性を上げ、良い仕事を生み出す。
だから、これを身に着け、実践していくべき。
それをしっかりやる人間が成長する。
そう教えられる。
一歩、会社を出てみればわかる。
それは本当に成長なのか。
成長なわけがない。
ただ、立派な労働力としての人間が完成するだけだ。
資本主義社会だからそれはそれでそりゃそうなのだけど、それが今の社会では大人になるってことなのだろうし、そういう人間が経済を持ち上げ、豊かな社会を作ることに貢献していけるのだろうけど。
立派な社会人たる大人に、格好良くて魅力的な人間は一人も見たことがない。
これはもちろん、あくまでも僕の主観だ。
僕の感覚では、世の中の大人に格好いい人なんてほとんどいない。
でもそれが立派な会社員ということならば、そんなの目指したくはない。
という、僕の主観だ。
この、僕の主観というのが重要で、つまり自分は社会に溶け込むスキルを結構欠いているということだ。
たとえば社内で理不尽なことですぐキレる人がいて、そういう人に文字通り理不尽なことを言われた時、こっちに求められるスキルは何か。
それは、「上手く受け流すこと」である。
これは別に僕の主張でも何でもなく、実際に色々な会社の上司から言われてきたことだ。
大体言われるのは、
「どこにだってそういう困った人はいるよ」
「どの会社にだって人間関係の問題はあるよ」
といった言葉である。
だから、受け流すスキルを身につけないとやってられないよ、ということになるわけだ。
まぁたしかにそう考えるしか、しょうがないよね、と思うけど、なるほどこんなだから世の中の会社員は格好良くないんだ、というのも同時によく分かる。
グダグダ書いたけど、こんなふうな社会に対する愚痴を(笑)、そのバイトさんと僕はちょこちょこ喋っていたのだ。
社内でこういう話は意外とできない。
大体の人には、「何をガキくさいことを」と思われるのがオチだから。
みんな、「自分はちゃんと分かってる大人」と思いたい。
だから社会に対する不平不満を言ってる30代なんて、冷笑の的にしかならないだろう。
理解しない相手に話しても虚無だから、僕もそんな話はわざわざしない。
だから、こういう話を出来るバイトさんは、僕にとって重要な存在だった。
「そう思ってるのはお前だけで、バイトさんは迷惑がってたかもしれないだろ」という外野の声も聞こえてきそうだけど、そんなことねぇわ黙ってろって感じだ。
まぁそれは置いといて、そういう同じ価値観で喋ってくれる人は、僕の生活圏内に一時期居るけれど、やがてはいなくなる。
過去にも、価値観を共有してくれる友達が居たけれど、今はもう居なくなってしまった。
そういうのも、生きるってことだから、仕方が無いのだ。
やっぱり、他の人には共感してもらい辛い話をしてくれる人と、会えなくなってしまうのは寂しい。
出来ることは、人生の中の一定時間だけだったけども、共感し合ってくれたことに感謝していますという、はなむけの言葉を、心の中で送ることくらい。
そして、自分の人生を生きて、楽しむと。
とまぁ特にこの話には結論も何も無いから、ここで終わる。
それにしても一番奇妙なのは、研修中にみんな優等生になろうと頑張って答えているけれど、そのうちの9割くらいは内心で「研修めんどくせぇな」と思っているに違いないことだ。
会社は、本当に奇妙だ。
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