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輝く人

 八十代や九十代の方々と接している時、ふとした瞬間にその人が輝いて見えるときがある。目の力だろうか。今までに三、四回はあった。その人が生きてきた証が何かの会話の拍子などにふと目に宿るような。実際に眩しいわけではなく、まるでその時点での命の自覚度合いが光量で示されているような。完全に負けてしまっている時に、あ、眩しいな。と思う。

 よく「今年一番輝いた人」みたいなタイトルで各分野で最も優れた成果を出した人々が挙げられているけど、そういうのでもない。みんなに「わー」っと称賛されている瞬間の「輝く」とはまた別の「輝く」。

 おそらくその人の人生が積み重なった上でできたその人にとっての「日常」の私にとっての「異常さ」という凄さを垣間見るとき、美しくじんわりと輝いて見えるのだ。

 そして、「何者かであろうが無かろうが日々を生きて行った先ならではの日常がちゃんとあるんだ」と、良いお手本をいただけたようなほっとした気持ちと、この会話の時間も程なく消え行くという寂しさが一緒になって、命の自覚の度合いがほんの少しだけ上がるような気がする。本気になれる気がするのだ。


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