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未知のものに対する姿勢。

共通テストも終わり,一般入試に向けての最終調整が始まっています。

私も指導の前に,扱う問題に一応目を通すのですが(すでに扱ったことのある過去問も),「あ,ここが合否の分かれ目の問題だな」とか,「ここが中位層と上位層の分かれ目だな」とある程度わかる時があります。

いくつかあるのですが,意外と信頼できるのは,「その学年の範囲を超えた表現が含まれるとき」です。


未知の表現に出会ったとき,受験生の反応は大きく2つのパターンに分かれます。

1つは,未知語に意識を持っていかれて,「これさえわかればなあ」と考えるパターン。

もう1つは,未知語は未知語のまま置いといてわかるところから考える,またはわかるところから未知語を類推して考えるパターンです。


1つ目のパターンが圧倒的に多いのですが,気持ちはよくわかります。

未知のものをストレスに感じるのは,何も試験問題に限った話ではありません。

人はいつもまだ起こっていない未来のことを考えて心配したり,不安になったりします。

大きな力に対する恐怖も,どのように力が使われるかわかっていれば恐怖心は起こりません。
巨大な国家権力も,コントロールされていれば日常的に恐怖を感じることはないでしょう。


2つ目のパターンの受験生は,未知のものを「とりあえず置いておく」ことができます。

そちらに意識を向けず,できることを淡々とやっていく冷静さがある。

つまり,「感情に左右されにくい」という特徴があるんですね。


現在,いわゆる「仕事ができる」とされる人も,感情に左右されずに物事を進めていくことができる人でしょう。

そうでなければ,AIに仕事を任せようとは思わないのではないでしょうか。

そうやって仕事ができすぎて「サイコパス」と呼ばれる人もいます。
サイコパスは経営者や弁護士などに多いと言われていますが,ロジックが大切な仕事であることに納得できます。


余談ですが,構造上,サイコパスと呼ばれる方は,感情を排して仕事ができるので,それに伴って社会的地位が上がり,下に人が大勢ついてきます。

その中でロジック側の人からは賞賛され,感情側の人からは「血も涙もない人」と,賛否両論になる構造のように考えています。
犯罪の絡む話はよくわかっていませんが。


話を戻して,受験も客観的評価が可能なものとして作られていますので,やはりロジカルに考えられる人が強いです。

受験の上位層は,そのように試験を割り切って考えられる人が多いと感じています。

それが「良いか悪いか」はまた別問題。
それでもやはり,彼らから学ぶべきところは多いと感じています。

彼らの未知のものに対する姿勢は,社会を新しい方向に引っ張っていく可能性を感じさせてくれます。

本日もお読みいただきありがとうございました。

(サムネイル:AI生成画像"something unknown / brightness / positive"。unknownが悪かったのか,おどろおどろしい画像ばかり生成されたので,positiveで強引に修正。brightness「聡明さ」を持っていそうな女性が誕生した。性格はややきつそう。)

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