見出し画像

断捨離して気づいたこと。

昨年に引き続き断捨離をしています。

「物を処分する」と言うと,不要な物をとにかく捨てているという印象になりますが,「手放す」という感覚に近いかもしれません。

「手放す」と言うと,手放し方は様々で,捨てる以外にも,フリマアプリで売る,寄付する,近い人に譲るなど,いろんな方法で手放しています。

手放し続けてふと思ったのは,「循環させる」ということです。

ある程度きれいな物ならば,捨てる以外の方法で循環させていくことができるなあと(ごみ処理の過程で循環も発生しますが)。


そもそも「不用品」なのは,自分が,その物がもつ役割をうまく引き出せていないから,「自分にとって」「不要」な物なのですね。

これは自分がその物の価値を引き出せていないということで効率が悪い。

それを放置すれば,物としては「役に立ちたいのに立てない~」というわけでストレスもたまるだろうなと思います。
これはあくまでも物にも感情があるという考えを前提にしています。物理現象はエネルギーが結晶化した「結果」という考え方もありますから,ここではそれを援用させてもらいます。

「置物」はどうなのかという問題がありますが,これを解決するのが風水なのかなと思います。


自分にとって不要というか,効率的に扱えていないので,いわば「手に余っている」わけです。
だから,できるだけ効率的に(というか普通に)使ってもらえる方に譲った方が良い。そう考えると,手放そうと思うものがどんどん出てきます。

お金は分かりやすい例ですね。
物の中でも特に「色がない」ですから,交換価値がある。
こういうものは,最も効率よく,多くの人を豊かにできる(できそうと期待できる)人の元に集まってくると思います。

逆に考えると,思い出の品などは,まさに自分個人の思い出なので,他に効率よく使ってくれる人が基本的に見つかりません。

こういったものが手放しにくいのは上のような理由が関係しているのかもしれません。
エネルギーの転換先が見つからないのですね。
だから自分で抱えなければと思ってしまう。
あくまでも一つの見方です。


「循環型社会を目指そう」というスローガンが叫ばれて久しいです。

主に資源エネルギー分野で使われることが多いこの言葉ですが,あらゆることに当てはまると個人的には思うようになりました。

社会の発展も「全体として」効率の良い方向に進んでいます。
シェアリングエコノミーやキャッシュレス,オートメーション,最近ではAI。これは知の共有化(または民主化)というようにも捉えています。

物に限らず経験や知識などもどんどん共有していくことが,社会と自分の足並みをそろえることだとなんとなく思っているので,noteを書いている部分もあります。

きっと受け取ってくれた方が,ご自身の経験や知見に照らし合わせて,それぞれの解釈をしてくださるのでしょう。
もっと効率よく知を運用してくれる方がいれば,書いている身としてはこれほど有難いことはありません。


得たら,手放して次へ。また得たら,手放して次へ。
サイクルシステム自体に色はありませんので,どうせなら豊かさを生むサイクルを作っていきたいと考えながら,今年は過ごそうと思います。

この適当にぶん投げる書き方も早く手放したいところです。

(サムネイルはAIに「断捨離」で作ってもらった画像。完了するには何年かかかりそうである。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?