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手話が苦しくなる人は、誰の為に手話をやっているのか。

100人以上の意見を見聞きした結果

「手話そのもの」より「手話をやっている人」に興味アリ。

手話そのものより
「難ろうの方とも 一緒に何かを楽しむ方法」

「手話をやっている人たちの事」
に興味を持つようになったのは

一言で言えば「なんで?どうして?」と思う事が多かったからで

それを、一人ひとりにお話を聞かせて頂いたり
客観視する事で
「決まったパターンの思考を持っている人が多いな」
と気付きました。

楽しいはずの手話を、ナゼ苦しそうにやってるのか?

・「手話をやっている聴者」にも
・「難ろうで手話を母語にしている方」

どちらにも「お決まりの思考パターン」があります。

その中で
・楽しく手話を続けている人 と
・楽しいはずの手話を、なぜか「辞めたくなるほど辛くなる」人 がいて

その「辛くなる人」がワリと多い事に、最初は驚きました。

また、その「辛い」の感情の種類が
ただ単に「勉強が辛い、学習が辛い」とは 異なる辛さ である事にも
少しずつ気付いて行きました。
また「楽しいフリをしている人」も中にはいました。

2つの大きな課題。
世の中の99%は 手話 や 難ろう に無関心

手話や、難ろうの世界には
大枠で【2つの課題】があると思っています

①【手話や難ろうを理解する人の少なさ】

これは、他の投稿でも書いたのですが
ドラマ等の影響もあり 少しずつは増えてきているのだと思いますが
(それはとても素晴らしい事)

外の世界(手話難ろうに縁のない世界)から見ると、殆ど何も変わってません
手話をやってる方々が思うよりも 理解者が少ない のが現実です

また「その現実を認識できていない人も多い」という課題も派生しています

②【手話をやっている方々のマインド】

これは 聴者も、難ろうの方も 含めてなのですが

過去の苦い「手話教育」の歴史もあって
ポイントポイントで バイアス がとても凝り固まっている

難聴ろう者さんの経緯や歴史を知ると
それも仕方の無い事だとは理解出来るのですが

客観視すると「そのポイントでエラーが起きている」
という事が なんとなく見えても
世界観の中に入っていると、その「なんとなく」が見えていない

誰が悪いワケでもないのだけれど

これは、すごく難しい事だと思う

手話や難ろうの事を考える人って
大体が「手話の世界の中に入って、難ろうの事を考えている」
もしくは「何かしらの技術があり、それを難ろうの世界で活かせる方法を考えている」という人が多く

私のように
「特に何の技術もないけれど、聴者として“手話をやっている人達”を興味を持って客観視する」
という人は少ない。というか、殆どいない。

・良く言えば「偏りのない中間地点から両端を見る事が出来る」
・悪く言えば「中途半端な位置から手話の世界を見る」
少数派だからこそ、気付ける部分があったのだと思っています

手話をやり始めたら、難ろうの方に対して盲目的になる

・手話をやり始めたら、どうしたって難ろうサイドからの視点で手話(手話の世界)を見る
➡難ろうとしての課題ばかりがフォーカスされる
➡手話の世界の“内側”から、手話・難ろうの事を考える

・手話を全く知らなければ、難ろうの事も全くわからない
➡意識に入っていないし、課題も見えない
➡手話の世界の“外側”に居て、手話・難ろうに意識がない

前者の中には
「手話をやっているけど、聴者だから外の世界からも見ている!」
という主張する人もいるのですが
いやいや、どっぷり「“手話メガネ”をかけて世の中を見てますよね?」
となる事が多いです

色んな視点から「手話の世界」を見る事が出来ない。つまり、客観視できていない。
➡「手話の世界の中だけ」の思考の弊害

どちらが良い悪い、や
何が正解か間違っているか、ではなく

色んな視点の人がいて、色んな立場から考える事が大事だと思いますが
「視点が偏っている(内側の視点が多い)」事こそが、課題なのかな
と感じる事がしばしば。

難ろうの世界の、公的な立場からの発信を見ていても
難ろうの方々の意見が圧倒的に多く出ている
(当然です)

聴者は、難ろうの方々の事を、よく知らなくてはならない
(当然です)

難ろうの方は、聴者に色々発信していかなくてはならない
(当然です)

この「当然です」に、少し外側からのエッセンスを加えたら
きっと、色々と新しい発見が出来るのにな~
…と考えています

本当に「難ろうの事を考えている人」は
手話以外の事をやっている(ことが多い)。

世の中には そうした「中立の立場」で、素晴らしい活動をしている方々も少数派ですがいらっしゃって、頭の下がる思いです

しかし、そういう「少数派」は

「手話よりも、もっと優先したい事」が見えているからこそ
「手話を教えています…少数派の立場から」という人が殆どいません

どちらかというと「手話以外」の「理解活動」や「バリアフリー対策(手話以外)」に努めてらっしゃいます

「手話」以外の「出来る事」をする人が少ない
手話をやったからといって、難ろうの役に立っているのか?

手話の世界で、何か出来る事が無いかな、と思った時に
この「少数派」を増やしたいな、と思いました

しかし「少数派」だけに、よほど何かの技術がないと、受け入れられにくい
さてどうしよう?と捏ね繰り回して
「ハニポ発足」から3年かかってしまいましたが

みんなが大好きな手話(手話歌)を活用しながら
客観的な視点で「難ろう理解ができないかな?」と試行錯誤して
他とはチョット違う「手話歌のメソッド」を作って行きました

手話歌を活用して、楽しみながら。
「手話を覚える」ことを目的にするのではなく
「難ろう理解を進めていく」ことを目的にする

『どんなやり方なの?』➡それをハニポでお伝えして行きます。

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現在、7月のOPENに向けて、色々準備中です。

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