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「はしっこに、」「くらやみに、」誰かといる

動物好きではありますが、特別な興味を持ったことはない馬に関連する本を3冊も借りてしまいました。
著者・河田桟(かわたさん)さんの書かれた本が読みたかったのです。

河田さんを知ったのは、梨木香歩さんのエッセイ本『やがて満ちてくる光の』の中に掲載されていた梨木さんのインタビューでした。
河田さんはインタビュアーの立場でしたが、対談相手ほどの強い印象を与える言葉で話す人だったのです。
もちろん、押しの強い言葉で話していたということではありません。
梨木さんは、その後の河田さんが編集者を辞め与那国島へ移住して馬と暮らしていること、本を出版されていることをわざわざ記述されていました。
これはもう、絶対に読まなきゃ、と。

図書館には河田さんの本が3冊あり、全部借りてきたというわけです。
ちなみに、図書分類「645」家畜・畜産動物各論。
専門書、学術書が並んでいるイメージの棚です…。
いくら馬に特化しているとはいえ、そこ?
思わず手に取って見たくなる可愛い装丁なのにもったいない。
図書館によってはエッセイの類に置いてあるかもしれません?
いや、エッセイだし。
※新潮社のサイトに、『やがて満ちてくる光の』の河田さんの書評があります。 
     ↓
  存在の軌跡を伝える航行灯

読んだ本のことを記事にするときは、必ず印象的な部分を引用するのですが、さて困りました。
印象的な、響く文章が多すぎます。

『馬語手帖~ウマと話そう』は表題の通り、「ウマとヒトとの対話」のきっかけになるようにと書かれた本です。
たぶん、これからも馬と出会うこともないであろう私なので、イラストが可愛いと思いながら読み流しました。
できれば、手元に欲しいと思ったのが『はしっこに、馬といる』『くらやみに、馬といる』。
特に、横長、10㎝×14,5㎝の小さめの本『くらやみに、馬といる』は、読みながらずっと、河田さんの語りと私の心の奥の何かが呼応しているかのように感じたほどでした。
無理矢理、一つだけ選んで引用します。

たぶん、分かたれていると感じることが私の苦しみを作りだすのだろう。
光は世界を分ける。
くらやみにいるとその感覚の外に出る。
異種のともだちと過ごす時間を積み重ねるうちに、昼と夜、まったくちがう基準で成り立つふたつの世界を同時に生きるようになった気がしている。
 (『くらやみに、馬といる』)

河田さんと同じく、私も物心付いたときからずっと、自分の立ち位置が「はしっこ」だと感じながら生きてた人間です。
子どもの頃は、常に集団のはしっこにでも何とか居続けられるように必死だったし、大人になってからも同じ状況は多々ありました。
なんだ、はしっこで良かったんだ~。
そういえば、別に真ん中の安全地帯(?)に行きたいと思ったこともなかったし。

明るい光は、「違い」を露わにし、はしっこにいることを認識させ、ときには不安に駆られることもあるけれど、大丈夫。
境界のない、あらゆる異種と共にいる「くらやみ」のことを、私も知っている者の一人であることを気づかせてもらいました。

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