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バルサが育てた次代の帝―上橋菜穂子【守り人シリーズ】を読み終えて

もし誰かが表題のようなことを言っているのを聞いたら、私の中のバルサはきっとこんなふうに答えるのだろう。

「ちょっと待っておくれ、なんだいそりゃあ。わたしは、そんな大層な人間じゃあないよ。あれは、正真正銘あの子の選択の結果さ」

そんなバルサの声を空想しながら、それでも私は、チャグムという皇太子を育てたのはバルサだと思う。

【精霊の守り人】から始まるシリーズ奔流。
先日、【天と地の守り人 第3部】までを読み終えた。まだ短編など3冊(資料集まで含めると4冊)が残っているが、ひとまず踏破。精霊を読み始めてからぴったり1ヶ月だった。

この1ヶ月、本当に本当に楽しかった。巡り会えたことに感謝するほど良い物語だった。


泣き続けた1ヶ月

私はものすごく簡単に感動する質だ。
たとえば、通りがかりに『探偵ナイトスクープ』で感動シーンが流れていたのを見かける、それだけでウルッとくる。どういう依頼なのかとか全然見てないのに、じわっ……やば、離れよ……というくらい、割と簡単に泣く。

そのせいあってか、この1ヶ月とにかく泣いた。
特にバルサとタンダとチャグムには泣かされまくった。トロガイにもシュガにも泣かされた。ジンにも、スリナァにも、トーサ提督にも、アスラとチキサにも、衣装店のマーサにも、帝にも泣かされた。ジグロにももちろんギャン泣きさせられている。

こんなにも、その人たちを思って泣いた回数 および 人数の多い作品はこれまでなかった。ひとえに、この上橋菜穂子という怪物のような小説家の筆力、この方の描く世界の有り様に、心打たれ続けたからだと思う。

だって、全員をなんだか応援してしまいたくなるんだもん。
キャラクターの個性、考え方、生い立ちや環境が、創作とは思えないほどありありと私の中にすとんと入ってくるのだ。

いま、
彼女なら
彼なら
彼らなら
きっとこうするだろう

という、キャラクターの思考と選択の流れに全く違和感がない。史実なのかなと思うほど丁寧に(それでいて決して重たすぎず)描かれている。

たとえばチャグム。
齢11歳の初登場時は、自分の足で外を歩いたこともないような浮世離れした子供だった。
それが野山を駆け、海に飛び込み、無惨な死体の山を踏み進み、騎馬で先陣を切るようになる。
当然、それに併せて生き方や考え方が大きく変わっていく。
そうなるまでの苦難が本当に丁寧に紡がれるから、チャグムが全く出てこない巻が間に挟まっても、その後出てきたチャグムが大人びた考え方に変わっていても、全く違和感にならない。

「幼年期にああいう考え方の片鱗があったもんなぁ」

と、随所でチャグムの行動に納得し、彼ならそうだよな、と信頼しながら読んでいけた。

【天と地】の文庫版3部なんて、登場人物紹介だけで5ページもあったのに、ほとんど全ての人について「なにがあって、こうした人、こんなふうに変わっていった人」と覚えていられるほどだった。そして、そんなたくさんのキャラクターの生き様が、泣けて泣けてたまらなかった。




ここから、読み終えて呆けてしまって書けなかった【天と地】第3部について少し(ネタバレありです)。

●『帝』という偶像の説得力


初めて『帝』という存在を少し掴めた気がした。
帝という存在を一番理解しているのはこの人だったのだと思い知った。
夏というものは暑く、冬は寒い。そんな自然の摂理に近いような感覚。その存在を継いでいくことを摂理として則していたのだと。
もしかしたら一番哀れで、一番愚かで、一番純粋だったのかもしれない。

それでいて、最期まで付き従う者たちを老齢の従者に限ったというところに、この人の『人』である部分を見た。
本当は、分かっているのだ。逃げなければ死ぬことを。
国を残すための現実的思考も、間違いなくあったのだ。
それでも「それがどうしたというのだ」と、虚勢でもなく事実としてさらりと言い放つような、この人の人らしからぬ生き様。
見事!
というより他ない。
天の子と崇められ、天によって滅せられる。
なんという一貫性だろう。

その命を弑る覚悟を決めていたチャグムは実行こそ免れた形になったが、それでも「父を討つ」と決めたその覚悟の瞬間に、実行にも似たものを背負ったことだろう。

兼ねてより畏怖してきたナユグの春の兆候、チャグムを疎む帝、それら超自然的な危機の終局として、あの「都が水没するほどの雪解け」という脅威も圧巻だった。

第1巻から語られてきた、新ヨゴ皇国の扇型をした都の形。
暗殺されかけた幼いチャグムが落ちた青弓川。
チャグムが精霊の卵に導かれ目指した、北の青霧山脈の水源。

ずっと地形を追うように読んでこれたから、これから始まる大洪水で、どこがどうなるのかがわかる(物語に沿った素晴らしい地図や挿絵のおかげなのは言うまでもない)。

そういう地形や事象にまで、都合のいい後付けがない。大変なことになってから初めて出てくるヤバい地名、なんてものが一切ない。

そこにタルシュ軍との戦まで加え、終戦となるその流れは、作者だから書けるというものを超越しているように思う。ファンタジーなのは充分に理解しているのだが、それでもやはり史実のような、圧倒的なまとまり方だと感じた。


●『タンダの腕』


「え?  だって、そうしなきゃタンダが死んじまうじゃないですか。ためらい?  切り落としてからの、あとさき?  そんなの、どうだっていいんですよ。あいつが生きていることより大切なことなんて、この世にそうそうありませんから」

あの時の心境を尋ねて、もし答えてくれたら、私の中のバルサはきっとそんなふうに言う。実際は聞いてもたぶん「さて、どうだったかねぇ……」なんてはぐらかして、答えてくれなそうだけど。

帝が帝として生きることは、摂理だったんだと私は思った。
同じように、バルサの中でのタンダは、それこそ摂理のように在るのではないか。たぶん、太陽みたいな何か。夜には沈み、雲に隠れることもある。でも絶対に在る。亡くなることなど有り得ないのだ。

あたたかい光をもたらす何か。
荒んだ、険しい顔を照らす何か。
凍てついた心を溶かす何か。
仇を恨み続けた少女に笑いかけ続けた何か。
帰れるかもわからないのに、帰りを待っている何か。

どれほど大きいのだろう、バルサにとってタンダという人は。
どれほどの愛だろう、どれほど愛されたんだろう。

「いやぁ、この腕一本で落ち着いてくれたんなら、安いもんですよ。本当に、生涯摘めない花かと思っていましたから」

そんなふうに笑いながら、片手で器用に山菜鍋をかき混ぜ、最後にカンクイを入れてから、椀によそって振る舞う太陽が、私の中にある。

「花だって?  まったくこのへぼ弟子には呆れるねえ。どう見たって、そこいらでずんずん伸びていく、ぶっとい竹のほうが似合いだろうよ」

「竹かぁ、そりゃいいや」

「竹のどこがいいっていうんだい」

「竹なら、ここにずっと根があるじゃないですか」

「まったく。くだらないことを言ってないで、早くわたしにもよそっておくれよ」



……

……延々と空想できるなこれ。


とにかく、タンダの腕。
本当に、めっっっちゃくちゃ泣いた。
愛のかたちがバルサすぎる。それに尽きる。
これまでの荒事に塗れた生き方のすべて、人を斬り、自分も斬られ、死ぬ思いをしながら生き延びてきたそれら全てが、タンダを救う糧になった。タンダが生きていることが、バルサの命を肯定しているんだと思った。
翌日両目が腫れるほど泣いた。

これを書いてる今はまだ、その後の二人について書かれた短編を読んでいないので、どうなったのか気になっている。
『夫婦』というより『つれあい』というのが本当に似合う二人は、いい加減『夫婦』になっただろうか。日銭稼ぎに護衛の仕事なんかはまだ請け負っているかもしれないけど、人を助けたり傷つけたりを勘定しない生き方をきっと、雑草をひとつも摘み取らないあの草庵で営んでいると信じている。


●バルサという生き方


雑巾を絞る手つきがなかなか堂に入っている――
そんな数奇な帝が誕生したのは、間違いなくバルサという人の生き方によるものだ。
鮮烈で、甘えがなく、己が身ひとつで生き抜いてきたバルサ。

私はバルサの胸や掌に母を、背中に父を感じる。チャグムの頬に触れる手に母性を、刀を研ぎながら訥々と話すその背中に父性を。
いや、父とか父性とも違う。

ジグロを感じる

という方がしっくりくる。
ジグロの育て方、ジグロの教えた処世術がバルサを作っているのは言うまでもない。
そのジグロから受け取った温かさや優しさを、バルサはバルサなりに解釈しながら育ってきた。
それが、バルサ自身の持つ優しさと混ざって溶けて融合し、それをチャグムとの運命で発露させることが出来たのではないかと思う。

バルサ自身、チャグムを守りながら初めて「ジグロもこんな気持ちだったのかもしれない」と感じるシーンが多くあった。守る対象を得たからこそ、知り直すことができた。その気持ちを誤魔化さず、チャグムに向き合い、不器用な生き方を見せてきた。
護衛として、用心棒として、命を守っただけではない。
バルサはチャグムの、そこからの生き方を守ったのだと思う。
故に私は思うのだ。次代の帝の礎を育てたのはバルサだと。



ここまで書いた段階で
【流れ行く者】
【炎路を行く者】
【守り人のすべて 守り人シリーズ完全ガイド】
までを読み終えた。
(感想をまとめるよりも、先を読みたくて時差ができてしまいました)
どうせなら最後の1冊【風と行く者】を読み終えてから出そうかとも思ったけど、やはり自分の中での【天と地】を一旦まとめてしまおうと思って、このままnoteに出すことにする。

本当にいい作品に出会えた。
また、大森ゆきさんという声優・俳優さんの朗読されたAudibleのおかげで、この物語がありありとリアリティを持って私の中に染み入ったことも心からの幸運だと思った。読んで泣き、そのあと聴いて驚き、そして泣きまくった。

新ヨゴ皇国を中心に、サグとナユグを、また人々の心の内を行き来したこの1ヶ月は、どこへ行くにも劣らない、かけがえのない旅になった。また時を置いて必ず、きっと何度でも、同じ旅路を行こうと強く思う。

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