「東京には空が無い」と智恵子は言うけれど

小さいときから本だけはたくさん読んでいた。中学生になってからはそれに新聞が加わって、いつしか自分の中では読むことがあたりまえになっていたけど、きちんと自分の思いを整理して書くようになったのは三十代を少し過ぎたころからだ。

その頃は詩的で力にあふれたみずみずしい文章で、今書きたいと思ってももう書くことはできない。でも今の自分の文章はそれも内包していて、今まで出てこなかった「愛」という言葉が出てくるようになった。これが人としての熟成なのかもしれない。

振り返ると、大学に進学する時には何も考えずに国文科を選択したものの、大学デビューした私はバイトとコンパと麻雀に明け暮れてしまい、まともな小論文すら書けなかった。

上達したものといえば教授に単位をくれと哀願するお願い文くらいなもので、高田馬場の雀荘「西武」の名物カレーのおいしさや麻雀の戦略や戦歴などをピンポイントに早大卒の教授に向けて、おもしろおかしく書き殴った。女子大だったからか目に留まって、次々と単位を取得するミラクルが起き、晴れて卒業することができた。

大学生活の中で印象に残っている授業は、配られたクッキーがどんなクッキーであるかを説明する文章を書く「文章表現」で、私はそこで「入れ歯の人が食べても挟まらない程度のナッツが入っている」と書き、四年間で唯一先生にほめられた。その後、源氏物語を現代風に表現するという課題では光源氏をフェラーリに乗せたりもした。私はその授業を受けるためだけに大学に行ったのではないかという疑念が未だに拭えないが、結局は今の自分につながっていた。

ヨゴレキャラにもかかわらず、ムダにピュアな女子大生だった私は光源氏の落ち着きがない女性遍歴とマザコンぶりが大嫌いで、六条御息所に取り憑かれて殺されてしまえばいいと思っていた。でも、なぜ御息所が光源氏を殺すことができなかったのか痛いほど理解できるくらい、誰かを愛する気持ちも今は知っている。気づけば、それくらいには大人になっていた。

小さいときからこれまで思ってきたことを、私は今弾丸にしている。小さな疑問も大きな疑問も自分ではどうすることもできないことも、やっぱりこの世は無常だということも、全部弾丸にして空に向かってガンガンぶっ放す。「東京には空が無い」と智恵子は言うけれど、練馬にはそれなりの空があって、今の私が知りうる限りの空だ。

私はいま自分だけの言葉を持っていて、それが自分に力を与えてくれる。それをシンプルに誰かに、時には自分の大切な人へラブレターのように渡す。私の心が揺らがずに、どうかそのままあなたに届きますように。

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