仮説

 早起きに成功した。昨日友達と散々話して、頭が起きた感がある。

<昨日話したこと>
・都知事選
・米大統領選
・世界がきな臭い、怖い
・関心領域
・慮り(家族友人パートナーシップにおける)
・いい大人でもはしゃいでもいい
・虎に翼とプール理論
・フェミニズム
・チキさんスーさん砂鉄さん
・ヤーレンズ
・「このご時世」とは(そんなものない)
・猫

 他にも色々話したけど思い出せるのこんな感じ。こんなにたくさんのトピックを真面目になりすぎずに話せるなんて、ほんとうにありがたい。あと友達の家の猫との距離も縮まって良い一日になった。次は来月末の温泉!たのしみ!

 少し前のnoteで、境界を引くことをすると宣言しているけど、これが本当に良くて、人と会うのがものすごく楽しみになった。約束したはいいものの、いざ当日めんどくさい…ということが全くなくなった。健やか。あとその時決めた新しいコミュニティに行く、作るも叶いそう。人との約束が減った分、今まで人と一緒に行っていたところも一人で行くようになった。もともと一人で行動することが多かったけどさらに。その方が行った先での人とのコミュニケーションが楽しい。誰かといると気づかないことも、一人だと自分を発見する機会が増える。
 
 それで思った。自分が自分に持つイメージって、けっこう数年前のそれなのかもしれないということを思った。あまり自分に対して他者がどういうイメージを持っているのかなんて言われる機会ないけれど、不意に自分では思ってなかったいイメージを伝えられたり、態度で示されたりすることがある。自分からしたら意外でしかないんだけど、最近そういうことがいくつかあって、自分を過小評価しているかもしれないという疑いが出てきた。

 これはけして自分がすごいんだとかそういうことが言いたいんじゃなくて、その向けられた私へのイメージ、態度が自分の予測を超えて嬉しいかもしれないということ。で、私が立てた仮説。

<仮説①>
・ここ数年、たくさんのインプットをしたことによって、見た目はさほど変わっていないけど、周囲からの私の見え方が変わっているのかもしれない。

<仮説②>
・自分のことを真に理解できていないのかもしれない。自分が思っているよりも、見てくれている人はそもそも居て、私が目を向けていなかった。

 自分を理解することは、内観も大切だけれど、外から見た自分、他者が思う自分も知る必要があるかもしれない。私たちが自分の顔と思っているものは、鏡で反転しているし、自分のことを見ることは一生できない。しばらくこの仮説の検証をしてみようと思う。

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